再会
目を覚ますと、そこは見慣れない病室の天井だった。
ぼんやりと焦点の合わない視界の端で、側にいた看護師がこちらに気づき、はっと息を呑む。
「……目を覚ましましたよ!」
その声に呼応するように、白衣を着た医師が慌てて病室へ駆け込んでくる。
「ソフィアさん。ここがどこで、あなたが誰か、わかりますか?」
「……はい。でも……なぜ?」
掠れた声でそう返すと、医師は一瞬だけ表情を曇らせた。
「なぜ、とは?」
「なぜ……私は助かったんですか。あんなに血が流れて……普通なら……」
私の問いに、物腰の柔らかな医師は静かに頷き、丁寧に言葉を選ぶ。
「確かに。運ばれてきた時は、正直、助かるかどうかわかりませんでした」
「……」
「ですが、すぐに輸血用の血液を確保できたのが、大きかったのです」
「輸血……?」
「はい。出血量が異常でしたから」
そして、少し困ったように微笑んで、こう付け加えた。
「たまたま、あなたと同じ血液型の方がすぐそばにいらっしゃいましてね。その方が……」
「……?」
「『自分の血は全部くれてやってもいいから、助けてくれ』と仰るものですから。こちらも、正直参ってしまいましたよ」
胸が、どくんと鳴る。
「それって……」
「アルベルト様です」
私は、その名前に言葉を失った。
「……あの、今……彼はどこに?」
「え?」
「会いに行かないと……」
思わずベッドから身を起こそうとすると、医師が慌てて制止する。
「ソフィアさん。あなた、一週間も眠っていたんですよ。傷口も、まだ完全には塞がっていません。安静にしてください」
「でも……!」
「アルベルト様は、昨日、外交のため隣国へ向かわれました」
「……」
「昨日まで、ずっと、あなたのそばを離れずにおられましたが……」
その言葉に、私は再び静かにベッドへ腰を下ろした。
「今は、回復を最優先に考えましょう」
そう言って、医師は病室を後にする。
私のベッドの脇を見ると、そこには小さな花瓶に生けられた霞草があった。
その後、毎日リハビリを続け、さらに一週間が過ぎた頃。
病棟の庭では、患者たちがキャッチボールをしたり、談笑したりしており、私も昼間は自然とそこに混ざるようになっていた。その日も、いつものように他の患者たちと遊んでいると、ふと、若い青年がじっとこちらを見つめる視線に気づく。
「……ずっと思ってたんだけどさ。君、ソフィア王女、だよね?」
その一言で、周囲がざわついた。
――しまった。
王宮を出てから、顔も名前も隠して生きてきたのに。
ここ最近の出来事に追われ、すっかり気が緩んでいた。
「確かに……前に見た時と印象が違って、気づかなかったけど」
「こんな綺麗なブロンドに青い瞳……ソフィア王女以外いないわよね」
次々に同意の声が上がる。
胸が早鐘を打つ。また、憎悪の視線を向けられるのではないかと。
「……ご、ごめんなさい」
無意識に、謝罪の言葉が零れていた。けれど、誰も、私を責めなかった。
「ねえ、見たわよ! あの記事!」
「……記事?」
「王女様が、人身売買で攫われた子供を、身を挺して助けたって!」
差し出された新聞に目を落とす。
そこには、血を流して倒れている私の写真と共に、《勇敢なソフィア前王女、子どもを救う!》という大きな見出し。
事件の詳細と、攫われた子供たちを庇って刺されたことが、はっきりと書かれていた。
「ソフィア様は、王族としての矜持を持った、ご立派な方だったんですね」
――久しぶりだった。こんなにも、あたたかい視線を向けられたのは。
こんな日が来るなんて、1年前は想像もできなかった。
この先、一生隠れて逃げるように生きていかなければならないと思っていたのだから。
でも、ちゃんと生きていれば、こんな良いこともあるものなのかと、思わず涙がこみ上げそうになったーー。
◇◇◇◇◇◇◇◇
やがて日が傾き、庭が夕色に染まり始めた頃。
私は花壇のあたりを、ゆっくりと散歩することにした。
色とりどりの花が咲いている中で、私の好きな霞草の花を探すも、残念ながら見つかりそうになかった。
――その時。
遠くに人影が見え、顔を上げる。
そこにいたのは、私が、今、一番会いたかった人だった。
泣きそうで、嬉しそうで、どこか怯えたような表情で、彼は確かめるように私の名を呼ぶ。
「……ソフィア」
「アルベルト様……」
彼が駆け出すのと同時に、私も足を前へと踏み出した。
引き寄せられるように、彼の胸に抱きしめられる。
「よかった……よかった……目を覚ましてくれて」
「ごめんなさい……心配かけて」
「もう二度と、ごめんだ。君が目を覚ますのを、待ち続けるのは」
顔を上げると、彼は不安そうな瞳で、私を見つめている。
「……今度は、忘れてない?」
「ええ。ちゃんと覚えてる」
私は、はっきりと頷く。
「苦しいことも全部……もう、忘れたくないから」
その言葉に、彼は深く息を吐き、安堵したように微笑んだ。
「私……あの時、罪を償って、人のために死ねるならそれで良いと思った。でも……」
「……」
「貴方の顔が浮かんで……。私、やっぱり死にたくないって。もし、許されるなら……もう一度、貴方のそばにいたい」
彼は、静かに首を振る。
「それは、俺のセリフだ。俺は君を傷つけた。君のそばにいれば、また苦しませるんじゃないかって……それでも」
「……」
「だめだった。君が、ずっと頭から離れなかった」
そう言って、彼は霞草の花束を差し出した。
「俺は、君の家族を殺した。それでも……そばにいたいと言ってくれるのか」
「そんなの……私だって」
花束を見つめながら、答える。
「私の父が、貴方にどれだけのことをしたか……それでも、その娘と一緒にいてくれるの?」
「ああ。だって――」
彼は、迷いなく言った。
「君は、君じゃないか」
その言葉に堪えていた涙がこぼれ落ちた。
もう、ずっと私には彼の前で泣く権利などないと、堪え続けていた思いがダムのように溢れ出す。
私は花束を受け取り、涙に濡れたまま、はっきりと告げる。
「アルベルト様のことを愛してます」
「っ…!」
その言葉に彼は満面の笑みを浮かべた。
その時、ようやく、分厚い仮面を被っていない本当の彼を、見られたような気がした。
次で完結になります!ハッピーエンドです!




