1年後
ソフィアが王宮を離れて1年後から、物語がまた動き出します!
「は〜い!みんな、起きて!」
朝の光が差し込む中、私はいつものように寝ぼけた子どもたちを起こして回る。
カーテンを勢いよく開けると、柔らかな陽光が部屋いっぱいに広がった。
今日は雲ひとつない快晴。洗濯日和だ。
子どもたちがようやく起き上がるのを見届けて、食堂に集まる。
皆で食卓を囲み、笑い声を交わしながら朝ごはんを食べる。
その後は、洗い物、洗濯、買い出し、食料の仕入れ――。
一日中、やることが山のようにある。
最初の頃は、街へ出ることさえ少し怖かった。
けれど、帽子を深く被れば案外誰にも気づかれないと分かってからは、買い物も私の担当になった。
まさか、こんな場所にシャーロット・ソフィアがいるなんて、誰も思いもしないだろう。
あれから一年。
私は、この孤児院で暮らしている。
王宮を出た私を、何の理由も聞かずに受け入れてくれたナタリーさん。
あの優しさには、いくら感謝してもしきれない。
そして、今でも、ウィリアムと協力して、国中の孤児院への支援を続けている。
王族の務めを離れ、自由に動けるようになった分、むしろ以前より活動の幅は広がった。
王女だった時に、支援事業のための資金を投資で確保しておいたことも功を奏している。
ウィリアムの助けもあり、資金繰りに困ることはなかった。
――これが、私にできる唯一の償い。
孤児を奴隷として売っていた父。もう、そんな犠牲を生まないために。
この命が続く限り、私は彼らのために生きていく。
街で食材を買い、帰り道の掲示板にふと目をやると、一枚の新聞が目に留まった。
そこには、現国王――アルベルト様の功績を讃える記事が大きく載っていた。
彼は今も、確かにこの国を正しい方向へ導いている。
その見出しを見つめながら、私はそっと胸の奥でつぶやいた。
――よかった。あの時、彼の隣を離れる覚悟をして。
今でも、時々彼のことを思い出す。
けれど、以前のように胸を締めつけることはもうない。
きっと、時間が少しずつ、心の痛みを優しく削っていくのだろう。
孤児院に戻ると、今日は年に二度の大掃除の日だった。
子どもたちのはしゃぎ声に混じって、「ふざけないの!」と叱る声を張り上げながら、私は屋根裏の掃除を任される。
「こほっ……!」
めったに立ち入らない場所だけあって、埃が舞い上がる。
古い箱を開けて中を整理していると、古びた革のアルバムが目に入った。
表紙には「――1866」と手書きの数字。
好奇心に駆られてページをめくると、そこにはかつての孤児院の様子を写した写真がたくさん挟まれていた。
「こんな感じだったのね…。ナタリーさんも、若い」
懐かしさと微笑ましさが混ざる中、一枚の写真で手が止まる。
そこには、少し照れくさそうに並ぶ二人の少年と若い頃のナタリーさんが写っていた。
少年の一人――その顔に、私は見覚えがあった。
――まさか……アルベルト様?
黒髪の少年。幼さの残る面影の奥に、あの凛とした瞳の印象が確かにあった。
隣の赤髪の少年も、どう見てもデュークにしか見えない。
でも、おかしい。
彼は確か、公爵家の生まれだったはず。
孤児院にいるはずがない――
そう思い直しても、その写真の彼は、あまりにアルベルト様に似すぎていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜。孤児院に静寂が訪れる。
昼間の喧騒が嘘のように消え、眠りについた子どもたちの寝息だけが穏やかに響く。
日中の出来事がどうしても頭から離れず、今日は久しぶりに眠れなかった。
最近はあの日の悪夢にうなされる事なく、眠りにつくことができていたのに。
私は一人、礼拝堂へと足を運んだ。そこは、私にとって一番落ち着ける場所だった。
月明かりがステンドグラスを淡く照らし、床に青白い模様を描く。
静まり返った空間に、私の足音だけが響いた。
古いピアノの前に腰を下ろし、そっと鍵盤に指を置く。
ここに来てからは、子どもたちのために明るい曲ばかり弾いていたけれど――
今夜は違う。静かに、心の奥に眠る旋律を弾きたかった。
一曲、弾き終えたその時。ぱち、ぱち――と、拍手の音が聞こえた。
驚いて振り向くと、ランプの明かりの中にナタリーさんが立っていた。
「相変わらず上手ね」
「あっ、ごめんなさい。勝手に……」
「いいのよ。子どもたちの前では、弾きたい曲を弾けない時もあるでしょう?」
「そういうわけでは……」
ナタリーさんは微笑みながら、前の席に腰を下ろした。
「最近はどう?よく眠れてる?ここに来た頃はうなされていたけれど」
「はい。おかげさまで、もう悪夢を見ることも減りました」
「そう。なら良かったわ」
私は、ずっと胸に引っかかっていたことを口にした。
「ナタリーさん……」
「ん?」
「屋根裏で、昔の孤児院のアルバムを見つけたんです。そこに……」
「……」
「アルベルト様に似た男の子が写っていました」
私は彼女の反応を伺うように見つめた。けれど、ナタリーさんの表情は穏やかなままだった。
そして――
「あなたが思っている通りよ」
その一言に、胸が締めつけられた。
「隠していたわけじゃないの。ただ、私の口から言うことでもないと思ってね」
「彼は……公爵家で生まれたと聞いていたので、驚いて」
「アルベルトは軍での功績を認められて、後から養子になったの。元々は、この孤児院で暮らしていたのよ」
養子――。
そんな過去があったなんて、知らなかった。
「どうして、彼はここに?」
「それは、今でもよく覚えているわ。あの日は、雪がひどくてね。街で薪を買った帰りに、道端で倒れていたあの子を見つけたの。それで、ここに連れてきたの」
「道端で……どうして?」
「それは私にも分からない。彼は何も話さなかったし、私も無理には聞かなかった。でもね、あの時の彼は――大人をひどく警戒していたわ」
私は息を呑んだ。彼がそんな過去を抱えていたなんて。
公爵家の出身で、軍人として栄誉を掴んだ完璧な男だと思っていた。
けれど、私は彼の外側しか見ていなかった。彼の中身に触れようとすらしていなかった。
――まただ。
また、私は何も知らなかった。孤児として過ごした彼が、私の父と王政に憎しみを抱くのも当然だ。
その怒りが、あの革命へと繋がったのだと、ようやく理解できた。
「……私は、また知らなかったんですね。いつも、何も知らずに、後から後悔してばかり」
私の呟きに、ナタリーさんはそっと微笑んだ。
「今からでも知ろうとすることは、遅くないのよ」
その瞳は、穏やかで、どこまでも優しかった。




