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15/18

満月の夜~喪失~

その朝、目を覚ますと、いつも隣で眠っているはずのアルベルト様の姿がなかった。

でも、別にそれは、珍しいことではなかった。

彼は軍の司令官として忙しく、朝早くから軍へ赴くことも多々あったし、特に最近は、彼が王宮を離れる頻度も増えていた。


その理由はわかっている。

父がまた戦を起こそうとしていたからだ。

さらなる鉱山資源を獲得するために、侵略戦争を仕掛けようとしていた。

近年、長く続いた飢饉の影響で、国民が苦しんでいるというのに。

このまま戦争になったら、さらに苦しい日々が続くことになる。

それでも、私は何も言うことはできなかった。

あの日、父の冷たい目を見て以来、反抗する勇気をなくしていたのだ。


だから、私はいつも祈ることしかできない。どうか、全てが上手くいきますようにと。

――どうか、誰も死にませんように。と。


昼過ぎ、政務に没頭していると、執務室の扉が叩かれた。

入ってきたのは、父の側近イザークだった。

いつも冷静沈着な彼の瞳が、珍しく揺れている。


「ソフィア様、突然で恐縮ですが……お父上の代わりに、隣国の王女への親善訪問をお願いしたいのです」

「私が……お父様の代わりに?」

「はい。お父上に外せない要件が入りまして。ですが、今から訪問を断ることはできず…」


イザークの声はどこか急いていた。

いつもなら、何事にも計画的で慎重な彼が、今は焦りを隠せていない。


「いつ出発すればいいの?」

「……今から、です」

「え、今から?」

「明日の朝にはエーデル国に到着する必要がございます。ですので、今すぐ出発し、国境前のホテルで一泊していただいて、その後港から出る船に乗って向かえればと」


あまりにも急すぎる。それに、彼らしくない仕事の仕方だと思った。

イザークは几帳面で、雑な仕事を嫌うタイプだ。父のもとで働いているのを長く見てきたから、よくわかる。

そんな彼がこのような対応をするなんてーー。

だが、彼にはいつもお世話になっている立場だ。拒む理由がない。


「わかったわ。すぐに準備をするわ」


イザークは深く頭を下げたが、その表情にはどこか言い知れぬ陰があった。

それが何を意味しているのか…。この時の私は、まだ知らなかった。


私は、すぐさまイザークが手配した馬車に乗り込んだ。

急ぎの出発だったが、数人の騎士が同行している。

馬車の中では、侍女のイザベラが窓の外を見つめながら笑っていた。


「楽しみですね、ソフィア様。花の都に行けるなんて!」

「……花の都?」

「ええ。エーデル国は四季の花が咲き誇る国。まるで楽園のようだと聞きました」


彼女の無邪気な笑顔に、私の胸のざわめきは少しだけ和らいだ。

彼女は、ホテルに到着するまで、そのまま話に花を咲かせていた。



国境付近のホテルに到着したのは、夕暮れ時だった。

部屋の窓から見える海には、夕陽がゆっくりと沈みかけている。

都心部から離れた場所で、辺りは閑散としていて、まるで現世から隔離されたような、そんな場所だった。


私は息を吸い込み、海風にあたりたくなり、冷たい風に誘われるように、浜辺へ足を向けた。

夏であれば港町として、もう少し栄えているはずだが、夏の終わりを迎えた港には、人の気配がなかった。


少し歩くと、一人の女性が立っているのが見えた。

黒い衣に身を包み、胸には白い花を抱いている。

彼女は、海の先を見ており、私には気づいていないようだった。


「あの……」


声をかけると、女性は驚いたように振り返る。その瞳は、悲しみを湛えていた。


「…旅行者の方ですか?」

「ええ、まあそんな感じです」

「珍しいですね。こんな時期にここに来るなんて」


自分の正体を明かすわけにいかないので、それとなく彼女の言葉に合わせる。


「こんな時間に、何をなさっていたんですか?」

「弔いです。祖国の女王が亡くなられたと聞いて……。私たちの国では、花を海に流して魂を弔うのです」


そう言って、彼女は花をそっと波間へ放った。花は波に揺られ、夜の海へ静かに消えていく。


「そんな慣わしがあるんですね。ちなみに、ご出身は?」

「エーデル国です」

「……え?」


一瞬、自分の聞き間違いかと疑った。

でも、彼女は間違いなくエーデル国と口にした。私は確かめるように続ける。


「女王が……、亡くなられたんですか?」

「ええ、一週間ほど前に」


私は頭の中が真っ白になった。

――亡くなっているのなら、なぜイザークはあんなことを言ったのだろう。

目的の人物がこの世にいないのだ。私が、エーデル国に出向く理由がない。


――何だか嫌な予感がする。

ひとまず、王宮に戻ろう。


急いでホテルに戻り、荷物もそこそこに馬車を手配した。

イザベラたちに伝える暇もなかった。手紙だけを残して、私は夜の街を後にした。


馬車の外の景色が段々と見慣れた風景に変わっていく。

――あと少しで王宮。そんな矢先だった。


――ゴトンッ!


激しい衝撃とともに、馬車が前のめりに大きく揺れた。

思わず体を支える。胸の奥で、ざわりと不安が波打つ。

ほどなくして、外からノックの音がした。窓を開けると、運転手が困惑した顔で立っていた。


「どうしたの?」

「すいません。車輪が抜かるみにハマりまして…。少しお時間いただくかと」

「…いいわ。ここで、降ろして」

「でも、お一人では危ないですよ」

「大丈夫よ。もうすぐそこだし。誰も私が王女だなんて気づきはしないわ」


ここで時間を取られることの方が惜しかった。

それに、王宮の近くの道は、幼い頃から何度と通ってきた。

大人には内緒で、ウィリアムと駆け回ったり、木に登ったりして遊んでいたのだ。

だから、知っている。王宮に近づく誰も知らない近道を。

この場所からなら、その道を使った方が速い。


私は裾をつまみ、林の中を急ぎ足で進んだ。

やがて木々の隙間から、王宮を囲む白い壁が見えてくる。


「…やっぱり、まだあった」


茂みに隠された大きな穴。

かつて、外に抜け出すために使った秘密の抜け道。

身体をかがめて中へ入り、裏口へと向かう。


その瞬間、ふと肌を刺すような違和感に気づく。

――何だろう。この静けさは。


裏門には、いつも立っているはずの護衛騎士の姿がいない。

あたりに、全く人の気配がしなかった。

――何かがおかしい。


嫌な予感を抱きつつも、私の足は王宮の中に向かった。

重い扉を押し開けた瞬間、鼻を突く鉄の匂いが流れ込んだ。


「…っ!!」


目に飛び込んできたのは、惨憺たる光景。

騎士たちは山のように倒れ、あたり一面には赤い血が飛び散っていた。

足が思わず怯み、恐怖のあまり息が詰まりそうになる。


すぐに引き返そうとした時、奥の方から、あの人の声が聞こえた気がした。

私をいつも安心させてくれる、あの穏やかな優しい声が。


震える足で廊下を進むと、玉座の間の扉がわずかに開き、

その隙間から柔らかな光が漏れていた。どうやら、あの部屋から、声がするようだ。


――アルベルト様がいる。


今、ここで何が起きているのかは、わからない。

でも、彼がいる場所に行けば、この胸のざわめきが落ち着くような気がした。

玉座の間に向かう私の足は、どんどん速くなる。彼に「大丈夫だ」と言って抱きしめてほしい。


その一心で、扉を押し開けた。だが、そこには思いがけない光景が広がっていた。


玉座へ続く階段の途中――父が、胸を真紅に染めて倒れていた。

血が絨毯を濡らし、ゆっくりと広がっていく。


「お、お父様…」


震える声が漏れる。そして、その上段、玉座の前に立っていたのは、血の滴る剣を握る、アルベルト様だった。


信じられなかった。どうか悪い夢であって欲しいと願った。

けれど、彼のこんなにも冷たい瞳を見たのは初めてで、それが、これは現実なのだと全てを物語っていた。


「…アルベルト様?」


私は、驚きのあまり、その場に立ち尽くすことしかできない。

―どうして、どうしてあなたがそこにいるの?

そう聞きたいのに、言葉にできなかった。


彼は、コツ、コツ、と階段を降りながら、私へと近づく。

その足音が、胸の鼓動と重なり合う。そして、私を見下ろすように立ち止まった。


「なぜ、戻ってきてしまったんですか」


唇の端に浮かんだのは、皮肉めいた笑み。

こんな風に笑う彼を私は知らない。まるで、知らない人のようだった。


「王女を監禁しておけ」

「…え?」


言葉の意味を理解する前に、背後から腕を掴まれた。

兵士たちが私を押さえつけ、扉の外へと引きずる。


「待って…!アルベルト様!説明して!どうしっ…!」


彼は私に背を向けて、どんどん離れていく。

そして、彼を取り囲む兵士たちに命令していた。


――「王族の血が流れている者は、残らず探し出せ」


私の叫びは、虚空に吸い込まれていった。

声は届かず、ただ冷たい沈黙が返るだけ。


「アルベルト様っ!!!」


いくら叫んでも、私の声は届かない。なぜ、どうして、と疑問ばかりが、頭の中に残る。

そして、彼の遠くなる背を見たのを最後に、扉は閉じられてしまったーー。



それから、私は地下室のような場所に閉じ込められていた。

灯りのない部屋で、時間の感覚はすぐに失われ、食事は1日に3度運ばれてきたが、どれも喉を通らなかった。

外では、何が起きているのか。ここでは何もわからない。


父上が殺された。それも、アルベルト様の手によって。

母は、弟は?他の親族たちは…、無事なのだろうか。この国の行先はどうなってしまうのだろう。


月明かりが小さな窓から差し込むたび、私はただ、祈るしかなかった。

――どうか、皆、無事でありますように。


しかし、その願いは残酷に砕け散った。

革命軍の名のもとに、アルベルト様は王族を一掃した。

私を除いて――すべて。

どうやら、王国の軍隊たちは、アルベルト様の手により、水面下で統率され、アルベルト派を確立していたようだった。


王を討った者が罪人ではなく、新たな王として迎えられた。

それは、つまり国民が革命軍を正義だと判断したという事だ。

父を倒したアルベルト様は、これまでの父の圧政に耐えかねていた国民の、英雄になったのだ。


極度な資本主義により、貧困層はその日食べる物にも不自由する生活。

そして、度重なる領地獲得のための戦争。

国民が苦しむのに反比例するように、王族は富を蓄えていた。

そして、何より父の大きな罪。それは、密かに孤児たちを集め、奴隷として他国に捌いていたことだった。

そこから巨額の富を得ていた。

ただでさえ、民たちを苦しめ、富を得ているというのに、なぜそのようなことをしていたのかは、今となってはわからないーー。


――私は、何も知らなかった

いや、正確には知ろうとしなかった。ふとした瞬間に見せる父の暗い影に。


反逆者であるアルベルト様は新しい王となった。

そして、王族は裁かれるべき罪人に、私はその唯一の生き残りとなった。

それが、この革命の答えだった。

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