アルベルトVSウィリアム ~sideアルベルト~
ソフィを寝室へ送り届け、ドアを閉めた瞬間、ようやく一息ついた。
胸の奥に渦巻いていた焦燥が、まだ静まらない。
――危なかった。
デュークの部下が血相を変えて駆け込んできた時、頭の中は真っ白になった。
その場で、政務を放り出し、ただ無我夢中で駆けつけた。
もしも一瞬でも遅れていたら……考えただけで背筋が凍る。
よりによって、彼女と出会した相手がウィリアムとはーー。
デュークには「ソフィアにある程度の自由を与えつつ、王宮内で他者と接触させるな」と言いつけていた。
その采配は確かに機能していたはずだ。
つまりこれは、完全に俺の読みの甘さ、最悪のケースを想定していなかった俺自身の責任だった。
彼女の様子からすると、「あのこと」は告げられてはいないようだ。
だが、それでもソフィとウィリアムの間に何かを隠している気配がある。
――一体、何を話した?
「アルベルト様! ここにいらしたのですね」
息を弾ませながら、宰相イザークが駆け込んできた。
俺が慌てて政務の場を離れたせいで、探し回っていたのだろう。
「すまない。今から戻る」
「いえ、その件ではなく……ウィリアム様が」
足が止まった。
「……ウィリアムが、何だ」
「アルベルト様にお目通りを願っております」
「……!」
「いつも通りお断りしようとしましたが……どうやらソフィア様と会ったと仰っておりまして。
念のため、待合室でお待ちいただいています。どうなさいますか」
「……すぐに行く」
彼は、誰よりも諦めが悪い。
例の事件の後も、何度も何度も俺を訪ねては「彼女に会わせろ」と食い下がってきた。
まるで、自分こそがソフィを救える唯一の存在だと言わんばかりの顔で。
これまでは「療養中」を理由に追い返すことができた。
だが、今回は違う。彼女と接触してしまった以上、俺自身も探らねばならない。
ソフィと彼が交わした言葉を。
イザークの案内で待合室に入ると、ウィリアムは余裕を纏い、ソファに腰掛けていた。
俺も彼の正面に座り、視線を合わせる。
「ようやく、ゆっくり話せますね」
「ああ」
ウィリアムの瞳には、幼少から何不自由なく育った者特有の自信が滲んでいた。
俺が最も苦手とするタイプだ。
「僕がここに来た理由は、分かっていますね」
「……彼女のことだろう」
「ええ。ソフィは療養中だったはずでは?」
「そうだ。ただ、体調は回復に向かっている。だから王宮に戻した。最近はリハビリがてら、よく一緒に街に出かけたりもしている」
もちろん嘘だ。外に出たのは一度きり。
なのに、なぜこんなすぐに嘘だとわかることで見栄を張っているのか。自分でも呆れてしまう。
「……なぜ、彼女がここにいることを隠していたのです」
「隠していたわけではない。彼女がここでの生活に慣れるまでは、公表すべきではないと判断したまでだ」
「では、今後は会わせていただけますね。ソフィに」
「……それは、無理だ」
「なぜです?」
「医師の進言だ。環境の変化は避けるべきだと。だから“必要以上の人間”には会わせない」
ウィリアムは黙り込み、唇を引き結んだ。これまでもそうだった。
俺の言葉を盾にされると、彼は何もできずに悔しそうに引き下がるしかなかった。
今日もここまでだろう。どうやら、ソフィと彼の間には特に心配するようなことは何も起こっていなかったようだ。
「お帰りいただこう」
立ち去るよう促すと、彼は動かない。
しばし沈黙の後、顔を上げ、まっすぐ俺を射抜くように見据えた。
「アルベルト様は……気にならないのですか。僕とソフィが何を話したのか」
「……?」
「彼女、記憶を失っているんでしょう?」
「……っ!」
思わず心臓が跳ねた。抑え込んでいたはずの感情が、一瞬にして表情に滲んでしまう。
それを彼は見逃さなかった。
「ソフィが口にしたわけではありません。言わずとも分かるのです。ずっと一緒にいたから。家族よりも近い距離で」
――“ずっと一緒にいた”。
その言葉は鋭い刃のように胸を抉る。彼はソフィの幼馴染であり、元婚約者だった。
小さな頃から常にそばにいて、無条件に、彼女にとって絶対の信頼を寄せられていた存在。
俺が、その立場を何度羨んだことか。
「……それで。お前の目的は何だ」
「アルベルト様を否定したいわけではありません。むしろ、貴方のしたことは正しい。今や、貴方は国民の英雄だ。ですが――無礼を承知で言います。ソフィにしていることだけは容認できない。だから彼女を…、解放してやってください」
「……はっ。解放?」
馬鹿げた言葉に、思わず乾いた笑いが漏れた。
「ソフィには、このような汚れた場所とは関わらないで生きてほしいんです。静かに平和に」
「それは無理だ」
「なぜですか!」
「彼女は私の妻であり、この国の王妃だからだ。ここにいる義務がある」
「そんなことを言って…。貴方はソフィの“血筋”が欲しいだけでしょう?だから、いまだに彼女だけを側に置いている」
「違う!」
「じゃあ、彼女をどこか遠いところへ、こんなところとは関係のない平穏な場所に行かせてあげてください!」
「……そんなことは、もう何度も考えたさ」
この国の権力も王位とも関係のない遠く離れた場所で、彼女は安らかに暮らす。
その方が彼女にとって幸福であることは、頭ではわかっている。
だが、それでも――俺は彼女を手放すことなどできなかった。
「それなら、なぜそうしないんです?」
ウィリアムの声は鋭く、まるで真実を暴く刃のようだった。
「やっぱり、ソフィの“血筋”がないと、自分の権威が揺らぐからでしょう?」
「……ソフィは、バルコニーから飛び降りて記憶を失った」
口にしてから、ハッとした。本当のことを伝えるつもりはなかった。
だが、彼女を“血筋の道具”としてしか見ていないと断じられることが、何よりも耐え難かったのだ。
よりによって、こいつに。
「……え?」
ウィリアムは、息を呑んだように目を見開き、言葉を失う。
「彼女が記憶を取り戻せば、また同じことが起こるだろう。君も分かるはずだ。あの性格なら、苦しみと罪の意識に苛まれ、再び死を選ぶ。……自由にするのは簡単だ。だが、もしも誰も知らない場所で、ふと記憶を取り戻したらどうなる?」
「……」
「だから、彼女を生かすためにこそ、私たちの監視下に置くしかない。これは彼女のためなんだ」
「っ……!」
ウィリアムは拳を握りしめ、唇を強く噛みしめる。
俺はそれ以上言葉を与えず、懐中時計をちらりと見て席を立った。
実際にはこの後の予定など存在しない。だが、これ以上の会話はもはや不要だった。
「そろそろ、次の政務に戻らねばならない。失礼する」
ドアへ向かう俺の背に、ウィリアムの低い声が落ちる。
「……貴方は悪魔みたいな人ですよ。本当に」
その言葉を聞こえなかったふりでやり過ごし、俺は静かに扉を閉めた。
廊下に一人立ち尽くし、深く息を吐く。
「……悪魔になるしか、なかったんだ」
誰にも届かぬ呟きが、虚空に溶けて消えた。




