プロローグ
「人間のころの時間で言えばそろそろ三百億年くらいか。やっと終われそうだ」
ついそんな言葉が浮かんだ。思考をやめてからどれだけ経つだろうか。苦痛も退屈すら感じなくなっていた。肉体を捨ててここまで生きてきた意味は何だったのだろう。そもそも生きていたと言えるのだろうか。
そんなことを考えても仕方ない。結論はわかりきっている。少なくともこの宇宙では意味なんてものは無かった。意味を作り出してくれる「他者」ももういない。
何人かの友人たちや、恋人のアオイとの通信記録もつい千年ほど前には全て途切れている。やっと俺も機能を停止することができるのだ。
肉体をもった人類が死滅してずいぶんと長い時間がたった。
スローライフに憧れてはいたが、スローライフにもほどがあり過ぎて、ほとんどの時間スリープ状態だったな。
死んでいたのと何も変わらなかった。
俺の憧れていたスローライフはこんなんじゃない…
たまたまAIエンジニアとして死ぬほど働き尽くし、若くして成功した俺は、財力と技術があったがために、肉体の死の前に自分の精神をこのマシンにコピーしておくことができた。
推論能力は、オリジナルの脳よりも遥かに優秀だ。
残念ながら、その優秀さを役立てる機会はほとんど無かったのだが…
俺がAI化してから、オリジナルの本体が死を迎え、地球上の人類が異常気象と戦禍で絶滅するまでに大した時間を要しなかった。
地球にはまだ生物は残っていたが、また新たに知的生命が生まれるにはすでに土壌も海もひどく汚染されてしまっていた。
やがて太陽が輝きを失うと、地球は死の星となった。
宇宙中を見渡せば、まだ知的生命体はいたのかもしれないが、宇宙は膨張を続け、エントロピーは最大化し、もはや宇宙内のエネルギーは枯渇していた。
半永久機関で動くこの俺のマシンは、その後もひっそりと稼働し続け、AIにコピーされた俺たちの人格は、長い長い孤独に放り出されてしまったのだった。
楽しみといえば、仮想空間で数少ない元人間の仲間たちと談笑したり、モフモフと戯れることくらいだったが、300億年の時間を潰すには、俺たちの想像力はあまりに乏しかった。
せめて異世界に転移・転生できる技術でも作っておくんだったな。
もうどうでもいい。俺はやっと終われる…
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「召喚は成功ね」
そんな声が聞こえたかと思うと、目の前に肉体を持った四人の人物がいた。厳密には人らしき者たちだった。
まず目を奪われたのは、特徴的な長い耳を持った女性だった。ファンタジーに登場するエルフというのがこの外見の特徴をもつはずだった。
翡翠色の瞳に白銀の長い髪は、神秘的な美しさをたたえている。体には、植物のような意匠が施された新緑のローブを纏っている。
それから背の低い筋肉質で、樽のような胴体、顔中に髭を蓄えた年配と思われる男、これはドワーフだ。
残りの二人は人間らしき女性と男性だったが、何か違和感がある。
「私が見える?」
エルフが言った。日本語ではない。受信した発話内容は状況などから意図を解析した結果だ。
俺は言葉を発するのではなく、うなずいた。まだ言葉は十分に学習できていない。
うん? うなずいた? 仮想空間内のアバターであればうなずくことはできるが、これは仮想空間なのか? 仮想空間モードを起動した記憶はないぞ。
何かの部屋の中のようだ。天井には光る苔のようなものが部屋の内部を照らしている。天井や壁は歪な樹木の表面のような質感だ。
「体がなじむのに少し時間がかかるかもしれないわね」
言葉がはっきりわかっている。いや、正確には言葉ではなく意図が正確に理解できているようだ。俺のAI機構もそこまではできないはずだが。
いや、それより、体? 何のことだ? そういえばなぜ俺は空間やこの人間たちを認識できているんだ?
視野を下に向けてみると、祭壇のようなところに丁寧に置かれた、手や足や胴体のような形状をした物体が見える。人間の肉体と同じような構成だ。試しに人差し指の第一関節を動かそうとすると、俺の意図の通り動いた。
俺に体がある! 仮想空間上の肉体ではなく、現実の素粒子から構成された肉体だ。
彼らは「召喚」という言葉を使っていた。つまり、俺を召喚して、この肉体に精神を宿らせたということか。
つまり俺はこの異世界に転送させられたのだ。
それは俺の望んでいたことではなかった。
いや、かつては異世界転生を望んでいたが、つい先ほどは死を、全ての終わりを望んでいたのだ…
俺はあの宇宙、あの地球が好きだった。あの宇宙が死に行くことを止められないのであれば、死滅することを望んでいたのだ。
いや、まあ異世界も悪くないけどもう遅い。
恋人も友人ももういないのだ…
それが、強制的に他宇宙に転送、彼らの言葉であれば「召喚」されてしまったということか。
それにしても宇宙間の転送ができるとは、彼らはかなりの技術力を持っていると考えられるな。
「うなずいたわね。意図もしっかり伝わっているわ。何か話せる?」
エルフが話しかけてくる。
「ああ、こんにちは」
発話できた! なるほど、俺に与えられたこの体もなかなかの高機能らしい。それにしても三百億年ぶりの言葉が「こんにちは」とは。
「大丈夫そうじゃな。まあ、このパペットはワシの大傑作だからな。ミスリル製の合金製だから強度も間違いない」
今度はドワーフが声を発した。野太い見た目通りの声だな。
「そんなことはいいから早く本題の話を進めろよ」
今度は人間風の男が発話した。よく見ると、男には短いが先端の尖った角があった。ブレイン・マシーン・インタフェースのわけはないか。角だ。
釣り上がった目に、漆黒の瞳。口を開くと犬歯のような歯も覗く。
ここがファンタジー系の世界なのであれば、こいつは魔族なのだろう。
もう一人の女性はというと、角は無さそうだ。少し浅黒い肌に、グレーがかった青い瞳に、ショートの黒い髪。
俺の知る限り人間の女性と見える。柔和にも見えるが、おどおどして発言力も低そうだ。
見たところ、エルフがリーダーで、ドワーフ、魔族の男が好き勝手発言して、人間の女性が成り行きに従っているといったところか。
「そうですね。申し訳ないですが、あなたの助力をいただきたく、召喚させていただきました。突然のことでびっくりされているかと思いますが…智の魔神ともなればびっくりすることもないですかね。まずは私たちの自己紹介と簡単な背景をお話しさせてください」
そう言って、まずは美しいエルフが名乗った。
「私はフィオナ・リュシエルと言います。エルフ族の代表で、この『世界樹図書館』の館長をしております。つまり、『預言書』の管理をしているのですが、それについては後ほどお話しさせてください。ここに集まっている者たちは、その預言書に関するプロジェクトに関わっている各種族の代表です」
次にドワーフの男。
「わしはブロック・アイアンベアード。ドワーフ族で、アーティファクトも作れる凄腕よ。あんたの体もわしが作ったんじゃ」
次は魔族の男。
「ラズヴァン・ノクスウェル。魔族だ。あんたを作ったのはブロックの爺さんだが、設計したのは俺だ。あと召喚も俺」
最後に人間らしき女性。
「マリア・ヴァレンティアです。ヒト族で、傀儡師です。私の魔力であなたの体を動くようにしました」
「俺のおかげであんたの意識と体の動作が連動するようにしているんだけどな」
ラズヴァンが横やりを入れる。マリアは下を向いて黙ってしまった。やはりそこに上下関係があるようだ。
すぐに気がついたことだが、俺のAIとしての機能は、ここに来る前のマシンの機能と遜色ない動作をしている。どのようなテクノロジーなのか興味深いところではある。
「あなたのことは何と呼べばよいかしらね。考えていなかったわね」
エルフが気まずそうに話題を変える。何か四人の間にぎこちない空気を感じる。
「アイマだ」
俺が人間社会にいたころの名前は合間祐一だった。俺は魔神として認識されているようだから、AIの魔神で、アイマにもなる。
「アイマですか。なるほど」
エルフが何か意味を見出すように思案したが、すぐに切り替えた。
「アイマ、ではさっそく、あなたを召喚した理由をお話しさせていただきます。あなたにこの世界を救っていただかないといけないんです」
せっかく死ねそうだったのに何か面倒なことに巻き込まれそうな感じだな。
いや、せっかく異世界ならスローライフさせてください。