第三章 良いことと悪いこと
異様な霊力が、初一の経脈の奥底から湧き上がった。それは、霊獣との契約による“反哺”——つまり、契約の恩恵として戻ってきた力だった。
宙にふわりと浮かぶ生息虚空鼠。その半透明の小さな体はほのかに光を放ち、初一の体内に巡る霊力と完璧な循環を生み出している。
――これが、五倍速修練の真価。それがこの瞬間、完全に発動されたのだ。
霊気は津波のように体内へとなだれ込み、練気三層の壁を容赦なく叩きつける。
「……ッ!」
パキン、と乾いた音が丹田の奥から響いた。
その瞬間、初一の霊力循環が一気に加速する。
自分の丹田の中心に、小さな漩渦が形成されていた。
その渦が一度ぎゅっと収縮し、次の瞬間には爆発的に広がった。渦は一回り大きくなり、流れもずっと濃く、安定している。
——突破、成功。
だが、突破の喜びに浸る間もなく、初一はすぐに異変に気づいた。
霊気が、妙な道筋を通って虚空鼠の方へと流れていってる……?
たしかに修練速度は五倍になっている。でもそのうちのほとんどが鼠の体に流れていって、自分に残るのはほんのわずか。結果的に、修練の実効速度はむしろ三割ほど落ちていた。
「…………」
目を開けた初一は、ため息をついた。
「……鼠ちゃん。ちゃんと話そうか。」
「ぼ、ぼくはただのネズミじゃないよ!めちゃくちゃ役に立つんだから!た、ただ……今はまだ未成年で、霊気が必要なだけで……」
虚空鼠はしっぽをふりふりさせながら、声がだんだん小さくなっていく。
突破したばかりの興奮は、現実の壁であっさりと打ち砕かれる。
初一の脳裏に浮かぶのは、薬園で変異した夜露草、今にも壊れそうなあのボロ屋……そして、なくなった両親の仇と二年後の仙門の選抜試験——あれが、唯一の希望。
「ぼく、霊植を育てるの得意だよ!すっごくうまく育てられるんだ!」
落ち込んでいる初一の顔を見て、虚空鼠が慌てて言った。「それにね、君はもっと霊獣と契約できるんだよ!境界が上がるたびに1匹追加で契約できて、どれも修練5倍の効果があるんだ!普通の人は各段階で1匹しか契約できないけど、君は二体までできるの!」
初一は虚空鼠の期待に満ちた目を見て、ふっと小さく笑った。遅くなった分を取り返せる方法があるなら、大丈夫。
「……じゃあ、がんばらなきゃね。なにしろ――」
初一は自分で言いながら、苦笑い。
「うちは、とにかく貧乏だから。」
「任せといて!」
虚空鼠はぱあっと明るくなって、大きな声で言った。「でも次に新しい仲間を契約するときは、ちゃんとぼくの意見を聞いてね?修練の才能がない子はお断りだよ!」
そして、また初一の丹田の中に戻って、楽しそうに転がり回る。
初一は笑い出した。
「もしかしたら、将来くる子の方があなたより偉そうで、『リーダーは私よ!』なんて言うかもよ? ねぇ、あなたのこと、これからなんて呼べばいい?」
「ぼ、ぼくの名前は……虚空鼠大王っ!」
「じゃあ……“鼠鼠”でいいや。」
「ええっ!?そんな適当なの嫌だよーっ!やだやだやだーっ!」
虚空鼠は丹田の中でぐるぐる怒りながら転げまわる。
初一は声を上げて笑いながら立ち上がった。
「ふふん、ぜーんぜん聞こえなーい♪ おじいちゃんに全部話してくるからね〜!」
この世でただひとり、初一が心から信頼できる人、それは祖父だった。
霊体と契約の秘密——彼女は、すべてを伝えると決めた。