『二つの炎――前章:黄金なる怪物皇帝(5)~真に怪物的であるということ~』
3(後節).黄金なる怪物皇帝~真に怪物的であるということ~
サルダン=ブローデンという竜人についての情報は多い。しかし、それはいずれも彼の行いや周囲の印象がほとんどであって、彼自身の“内面”についてとなればグッと少なくなる。それを推察する材料すらほとんどない。
人々が竜への畏れを忘れかけていた頃。そこに現出した希代なる竜人は不意に沸いた地上の太陽かのような存在であり、皇家をいくらか軽んじ始めていた人々の意識を良くも悪くも変えることになる。
『竜人とは言っても、結局のところ人は人。悩みもするし怪我もする。病気もするし、なんだって同じく彼らは死ぬじゃないか?』
当時の風潮としてはそういった意識が帝国人に蔓延っていたのであろう。
実際、サルダンの父であるミシュアン帝は病気がちで人々から“弱さ”を指摘されていた節がある。それまでにも長く“強い”皇帝が不在であった歴史的な流れもあった。
竜光を灯せる存在も久しく、やっと現れたと思ったら病弱だったという現実。人々が「竜人も普通の人間みたいになってきたんだな……いや元々大差ない存在だったのか」と勘違いしてしまうのも無理ないことかもしれない。
だが、そのような時代にサルダンが産まれた。
産まれながらに異常な存在だった彼は赤子の時点で城内の度肝を抜き、その年の内には堂々と人々の前に姿を現して国中の度肝を抜いた。
彼の生後半年に行われた「※蓋前披露(=ダリアの頭蓋前にて行われる皇帝子息の伝統的お披露目会)」において、ほんの数分であったが彼は演説を行っている。
その一部を要約・抜粋するとーー
『私はこの世に産まれた。産まれたからには竜の転化として君たちを導くことを※母(=祖竜ダリア)に誓おう。それが命の役目であると考えている。
だから君たちは何も不安に思うことはない。私がこの国を私のように強くするからだ。私は国のために誠実であるため、君たちも私に誠実でありなさい』
実際はさらに強い口調で威嚇するように発言されたというサルダンの宣言。威嚇の理由としては彼が産まれてから自分の父親やその周囲にある様子を見ていたからだとされている。今にして思えばこの宣言というものは彼の内面を見れる貴重な資料と言えよう。
サルダンという竜人は一貫してその生涯を“竜人として国を強くする=人々を平和へと導く”ことに注いだ。平和にできたのかはともかくとして、そうした意志がゆらぐ様子は微塵も無かったと言ってよいだろう。
サルダンといえばその尋常ならざる竜の力にばかり話題が向きがちである。だが、彼の多岐にわたる影響は彼そのものが生まれ持った“頭脳”によるものが大きい。
概要を聞くだけで法律・時勢を理解し、見るだけで魔術を習得した。学問は独断で取捨選択を行い、いくらか偏りはあるものの統治者として必要な知識は急速に蓄えられていった。
並列思考能力に優れ、複数の問題に対する彼なりの回答を同時に判断することができた。書物はペラペラとめくるだけで全て記憶されたとされており、視覚情報に関する瞬間記憶の能力も備わっていたのであろう。それも人間ならざる動体視力で行われるので、一日の内に数千冊を読破したというあまりにも虚偽だと思いたい帝宮記録もある。
彼は5歳の時点でもう政治に関わっていたとされる。そんな馬鹿なという話だが、すでに身長は170cmを超えており、宮殿の定期会に混じってもなんら違和感はなかったという。厳密には3歳の時点で混じっていたらしく、国家運営の事実的な中心人物となったのが5歳だったということらしい。
そんな状況で周りは何も言わないのかというと……それはもう、何も言えなかった。
サルダンの判断が全て正解だったのかといえばそれは異なる。というより……政治判断というものに明確な正解はなく、何にしてもリスク・リターンの天秤を推し量りながら行う必要があるものだ。
そうしたリスク・リターンのバランスが竜人であるサルダンの判断(独断)によって行われていたというだけのことでもある。
彼は確かに書物を数万と記憶し、集まる情報を毎日五感で捉え、更新していた。複数人が同時に報告しても何ら問題なく聞き分けて理解したというのだから、単に五感が人間を超えているという話ではない。やはり、その頭脳も稀有なものを生まれ持っていたのであろう。
彼が武芸というものを学んだ記録はない。むしろ武術や戦術がどうのと言わずとも彼の皮膚は刃も通さず矢も弾き、指で突けば鋼鉄の扉が真っ二つにへし折れた。
これは彼が“日常的に竜光を纏っていた”からであり、常に黄金の被膜が彼を覆って輝いているようだったという。絵画に見る彼が妙に色白く描かれているのはこの光を再現しているからだとされる。ただ、そもそもが父親譲りの色白であったとも云われている。
また、本来は“エネルギーではない”とされる竜光であるが……彼に至ってはこれを刃としたり砲撃のような何かとして放ったりもできたらしい。空だって当たり前のように飛んだ。
……さて。ここまでくるともう、サルダン帝は「明らかに人間ではない」と思いたくもなるだろう。
そう、彼の出現によって人々は思い出すことになった。
竜の存在。そこに遥か古より抱いていた“畏敬の念”というものを……。
(――――果たして、強さは必ずしも正義となるのだろうか?)き
そう、人々は畏れた。時代に現れた明確に普通の人間とは異なる存在。
竜人の中でも突出した傑物、異常個体……歴史的な“怪物”。
誰し
もが畏れた。実の父親さえ彼を「時代を変える人」として畏敬し、早々に息子を支える1つの欠片となった。
母親は彼を産んでからその異常性を最も近くで実感していた人であろう。それでも彼女はこの異常個体を「私の坊や」と呼んで普通の親として接していた。
しかし……母親が彼を“理解”できていたわけではない。彼女は精一杯の愛情を向けていたものの、この傑物が何を考え、何を想像しているのかなど推し測ることはできなかった。ただ、人間的に愛することしかできなかったのである。
病気もしないし怪我もしない。
悩みもしないし笑いもしない。
何を見てもまるで無感情かのように情報として処理するのみ。高揚や疲労もなく、常に一定の体調で高性能な機械かのように執務を片づけていく。
彼にはどうやら美味いも不味いもなかったらしい。味覚は優れてあるのだろうに、それは意義を失っていた。つまり味覚によってそれが「安全」か「危険」かを判断する必要すらなかったのである。だから彼は自身が「食べる」と判断したものを作業のように消化していた。
サルダンが生まれ持った信念――竜の血に記憶というものがあるとするならば、もしかしたら彼は本当の意味で祖竜ダリアだった……いや、それに限りなく近い“器”のようなモノだったのかもしれない。
生まれ持った信念は何をしても揺らがず、揺らがすこともできず。心を揺さぶる“感激”というものはなく、何者も彼を傷つけることすらできない。“変化を与える”ことがまずできない。
対等に話す存在などありはしなかった。もちろん、必要なら意見を聞いて判断の材料とすることはしたが“語り合う”という場は生じることもなかったのだろう。
少年時代の彼が何を考えていたのかは誰にも解らない。ただ、そのサルダンという竜人は生まれ持った“人を導く”という残留した思念を成すだけの存在だった……そう言えるのではなかろうか。
楽しいも辛いもなく……ただ、存在する。
それが強い信念に基づいた意志によるものならばそれはそれで充実した日々ではあったのだろう。だが……それではまるで彼に“心”というものが無いようではないか?
実際、彼の行っていた国政というものは良くいって合理的だが悪くいえば非情なものだった。
言ってしまえば「100を助けるために1の犠牲が必要なら何も迷うことはない」というものである。それが「2のために必要な1の犠牲」であっても、彼は微塵にも判断を迷うことが無かっただろう。1人が死ぬことで2人が助かるなら、彼が迷うことはない。そもそも“迷い”などそれまでの彼にあったのか疑問ではあるが……。
少年期の彼において伝わる逸話として、“1日に8時間は睡眠した”というものが唯一と言っていい人間らしさであろう。だがそれも「高性能な機械の冷却時間」とすれば話は変わってしまう。
サルダンが10歳を迎えた時……父親のミシュアン帝は持病の悪化により崩御した。
悲しむ一部国民の中心に立つ黄金なる少年は父親の棺を背にして帝国人へと語ったという。
「父親は竜人としての役割を全うした。君たちは彼に導かれ、そして今後は私によって導かれる。
今、ここに、偉大なる母へと再び誓おう。
私は君たちを導く“強き灯”であり続ける。よって君たちはこの灯を見失わず、存分に護られてほしい。安心してくれたまえ、私とこの国は何よりも“強い”ものだ」
涙の1つもない継承の宣言だった。アプルーザンの新たなる皇となった10歳の子供は父親への賛辞を機能的に行い、それから人間達へ今後の指針を示した。
サルダンは非情な存在だったわけではない。彼は何よりも人間のことを考えていたのだろうし、父親に対しても本当に尊敬していたと思われる。ただ、それは“役目の先人”としてであって、生命として自身に“父と子”などという概念がこの時点であったかは疑わしい。
そして彼の母親もまた、父の翌年に崩御している。
若くして両親が亡くなった場合……人間ならほとんどは悲しみ、辛さを感じ、涙を流して時には精神や体調を崩すこともあるだろう。
サルダンは父親、母親の崩御当日から執務を継続していた。
アプルーザンの伝統として“皇帝(皇后)崩御の慰民期間”というものがある。これは通常、皇帝なら崩御から2週間、皇后なら1週間を最低限の業務のみに留め、国民全体で導きの火を弔おうとする期間を意味する。
これには厳密な取り決めはなく、どこまでを必要最低限とするかはわりと時代ごとに異なるものだ。そしてサルダンは「公務」を必要最低限と合理的に判断したのだろう。だから執務を継続した。
……もし、ミシュアン帝が健康であったのなら。彼だって希代なる竜人として力強くあったのかもしれない。そうであったのならば、幼いサルダンに“変化”をもたらすことができた可能性はある。それは心身共にそうであろう。
何かの切っ掛けで拳を交えることでもあれば、早くからサルダンが変わっていた可能性はある。幼い頃に彼が“人間らしさ”を得ていれば未来は違ったものになっていただろう。
よく、サルダン帝は“孤独な皇帝”であると言われる。それは彼が“孤高”だからこそだ。
だが、彼の生涯が通して孤独だったのかというと……そうではない。そうではない時期が彼にもあった。
――――サルダン帝が即位してから数年のこと。
大地の南に位置する地域、“マバラード”という田舎の集落にて変化がおきていた。
あまりにもちっぽけだったその漁村は当時、“ある伝説”によって沸騰したかのような熱気に満ちていたという。
多くの人々が帝域、中立地、果ては聖圏からすらも集っていた熱狂の時。
移民やら何やらが命知らずに血眼を見開き、海へと舟を漕ぎ出すその場所にて……。
“ある少年”がマバラードで目立ち始めていた。
その少年はフラリとその地に至ったらしい。それこそ、何か導きによるものであろうか?
激しい感情の持ち主で、口が悪くとても乱暴だったとされるその少年。
強い感情によって“蒼き炎”を帯びる彼を、多くの人々は恐れていたらしい……。
――人間としての感情や価値観、そうしたものが封じられたかのように成長したサルダン=ブローデン。
彼の治世というものには“情がない”とよく言われる。これは確かに彼の前半生においてはそうであろう。
サルダン帝が纏う黄金の光は彼を護る力であると同時に、他者と彼を分かつ隔壁のような存在だった。
その隔壁を揺らがすことができる者。
壁を突き破って彼を揺らがす可能性。それがあるとするならば――