『警備の朝』
いわゆる「教会」とされた場合、大概の人は「家の教会」を想起するだろう。
一般的な信徒・聖圏人にとっての“教会”とは共通した価値観、社会生活における礼儀や常識など根幹となる共通意識を司る存在と思ってよい。
教会の種別としては他に「筆」と「剣」が存在するが、それらを「家」と区別して考えている者は聖圏人全体でも少数派である。きちんとそれらの差異を理解する必要が普通は無いからだ。
差異を理解する必要がある人、つまりは生活における根幹を担ってもらう以外の理由を教会に求める人。それらは主に言ってしまえば上流層となろう。
神意を授かり、協議し、解釈をもって意味を成す「筆」。
神意を享受し、信仰し、鍛錬をもって意味を成す「剣」。
護るべき神の真意と意向を成すべく在る彼らは、神意を成すための傾向が異なったものだ。
信仰とはつまり“信じて動くこと”、あるいは神意の元に生きることを意味する。
「筆」が思うところは「信仰をより強固に強力なものにする」こと。
「剣」が思うところは「信仰をより広めて反意を正していく」こと。
筆は正しき行いをより正しくする――研究や協議といった行動がこれに該当するだろう。
剣は正しき行いを守護して間違いを正す――布教や粛清、戦争といった行動がこれに該当するだろう。
彼らはこういった考え方などを“(存在)意義”としており、それぞれの役割というものを全うすべく活動を行っている。ちなみに「家」の意義としては「正しさを安定させる」ことだとされる。
それらの意義の在り方からして、必然とそこに“(社会的な)流れ”が生じる。
「筆」が神意を授かり、それを解釈などしたものを「剣」が守護し、「家」が人に浸透させる。ちなみに一応、教会が定義する「人」とは正しき信仰ある者のみを指す。
つまりは「筆」が“流れ”の初めに存在するのだ。もっと細かく言えば「筆」より上流に「教父」、「教父長」、「教父学会員」そして神意に等しき唯一絶大偉大な【大教父】が在る。
そういった「教父」以上の存在は信仰として「別格」であるので、「教会」とはまた別に考えられている。人が「教父」として信じられるにはそれ相応なる“超人性”が求められる。ちなみにここで言う“超人”とは「通常の域を超えた信仰と理解」を得た人を指す。ただ、大教父の不在期間が長引くと、そうした判断まで淀んでいく。
まとめると……教父から筆へ、筆から剣あるいは家へと……信仰の流れというものはそのような形式で成されている。
こうなると自然な流れで「筆が剣に指示を出す」機会が増える。別にそのような決まりはなくとも、いつしか「筆によって剣は動く」という風潮が人の社会には出来上がっていた。
今となっては割と当たり前なものとなっているが……冷静に考えて「なぜ筆が偉そうにしている?」とか「なぜ力ある剣が低姿勢であるのか?」と思うものがあっても仕方ないだろう。また、そういう思考の流れを社会が本質的には理解しているからこそ、「筆」や「剣」の上位層は繊細な関係性を求められている。「家」はどちらからも指示される側だが、言い換えれば庇護される存在でもあるのである意味気楽なものだ。板挟みになって苦しむこともあるだろうが……。
研究所は「筆」に属する学者が運営する場合がほとんどである。研究所には重要な情報や技術が隠されていることが多い。そうでなくとも、高額な機材などが導入されていることがほとんどだ。
また学者は特定の教父などと繋がり深いことも多く、親族がそういった存在であることも珍しくない。高位な聖人であることも同様。
そうなると、研究所というものは「聖圏として護らなければならない」場所となる。護るとなれば「剣」の出番……という、このよくある流れが「剣」の信徒達を悩ませる。
剣の聖戦士達にとって何が嫌かと言うと、単純に学者の下で使われるのが嫌ということもある。そしてそれとは別に“勤務地”と“勤務環境”の問題がある。
研究所というものはその性質上、辺鄙な場所にあったりする。様々な理由があって研究内容などでそれは異なる。もちろん、聖圏中心や街にの中に存在する研究所もあるが、およそ半分くらいはいわゆる“ハズレ”と言われる研究所となる。
ハズレとは兵士達がこっそりと呼称しているもので、ようは「行きたくない」研究所を意味する。
ハズレの研究所は不便な場所にあって、生活自体が面倒な上に娯楽も身近に無かったりと望んで行くようなものではない。それにハズレである理由としては大半が嫌な研究を行っているからである。生体系の研究……それこそ変質人間の研究などは代表例となろう。
そういったハズレに送られる人のことを「ハズレ者」などとも言われる。聖圏の兵士にとっては形式的に研究所務めは“名誉”であるはずなのだが、ハズレ務めとなると「剣」内部ではまるで“不名誉”かのように言われる。実際にハズレ者となった兵士は出世が難しいという話しもあるにはあるほどだ。
ハズレでの勤務は基本的に“生涯”ということがない。ある程度勤務すれば「異動」を申し出ることができるし、教会の中枢から通達が来ることもある。
教会の内部処理としては「名誉の勤務」とされてはいるので、我慢していると意外と中枢に戻されて出世、などということも有り得る。ただその保障がなくて“忘れられる”ことがとても多いだけだ。
望んでハズレ勤務を続ける変わり者もあるが、基本的には皆が中枢へと戻りたがる。だからと言って不祥事や「学者意見」として異動となるのはマズい。それこそ“不名誉”の最たる者となって、出世どころか冷遇の人性を送ることになるだろう。まぁ、ハズレ勤務自体が冷遇ではあるのだが。
ハズレ者も、そのすべてが先暗い存在ではない。
教会幹部候補……いずれは教父をも目指せるとされる若者。そういった上質な兵士が社会見学とばかりにハズレ勤務となることがある。
研究所務めというものは教父とすら関係深い学者と顔見知りになれるチャンスでもある。しかもハズレにある所長というものは、ハズレでも運営できるほどの何らかの庇護がある可能性が高い。
そういった所長級の学者と顔見知りになるため……という意味合いも兼ねて上質な兵士が派遣される場合が往々にしてある。生まれまでが上質な兵士にそういったことがよくある傾向だ。
ロビアン所長が運営するクラーベン研究所。そこに派遣された若き兵士、アキラ・カチースキーもその1人であった。
両親が医療に携わる学者一家に生まれたアキラ。医者という「家」の領分にある学者はどうにも下に見られがちだが、この頃はその傾向がさらに顕著であった。まだ技術が未発達だったということもあるだろう。
下級とはいえ学者の子。アキラは聖圏中枢にて幼いころから学者を目指していたのだが、健康的な育成のために通った剣術塾にて才覚を発揮。
中枢外円育ちでありながら、その才覚によってイダシア塔の近隣で行われた剣の会に幼少の部で参加し、良い結果を残した。そこで彼の活躍を見た教父の1人が「剣」への入会を推薦。(内部書類にて上質)兵士として剣の教会入りを果たした。
思いもかけない出世コースに乗った彼だが、その本質は読書好きな学者肌の若者。趣味は変わらず静かに本を読むことであり、それは研究書類や物語に問わず、多岐に渡るものであった。
アキラの容貌として。薄い色合いの黒髪は陽に当たると赤の色合いを帯び、深い緑の瞳孔が珍しい。肌は透き通るように白く、一言に言って美男子である。
声をかけてくる女性も多かったのだが、本人は一貫として誘いを断っていた。その理由としては彼がなんにしても大人しいこともあるだろうが、何よりその強い正義感にある。
彼にはそもそも婚約者があった。それは幼馴染であり、同じく両親が医者である少女。これは別に親が言い出したことではなく、幼いころから惹かれ合った2人は同時な日に16歳となった時、永遠の愛を誓うと約束したのである。
聖圏の掟としては婚姻そのものは20歳からだが、婚約は16歳から可能とされている。だから最短のタイミングで彼らは将来を誓ったことになる。
勤務地が中枢を離れても、2人は手紙にてやりとりを続け、年に数回は会って愛を確かめ合っていた。どちらの両親としてもそういった光景に喜びと安心を感じていたことだろう。
そんな読書好きで一途な若き兵士、アキラ。
彼が19歳となり、中枢を離れて剣の訓練地として高名なマルフォート勤務を3年続けていた頃。
彼を見込んだ教父から親類であるロビアン博とその研究を護る職に就かないかと提案があった。いわゆる“ハズレ”の提案だ。
されどアキラは快諾した。そもそもが一介の兵士に教父の提案を拒否するも何もないのだが……この教父は律儀な人であまり権威を振りかざさず、まるで親愛な友人かのようにアキラを尊重していた。年が近いということもあったのだろう。
快諾したアキラだが、教父は「実はね……」と実情を語ってもう一度意思を問うた。
つまり、その研究所はハズレらしく混成人間の研究を行っている場所だということ。加えて言うと所長のロビアンは長年の研究が上手くいっておらず、少し変わった人になってしまっているという話しだった。
おそらく、この教父は親族に頼まれて「依頼した」という事実だけを作ろうとしていたのだろう。実際にアキラをハズレに送ろうとは考えていなかったのかもしれない。
だが、アキラは変わらずに言う「せっかく学びの地に誘われたのだから、これ以上の光栄はない。喜んで任務を受けます」――と。
あまりに爽やかに言われたものだから、教父も「それなら……」と1年間限定での勤務を言い与えた。やっぱり、この依頼自体に教父は乗り気じゃなかったと思われる。
ただ1年間でも勤務を受けてもらえれば親族にも顔が立つし、アキラにとってもいい経験にもなるだろうし、実績として今後彼を上層へと推薦していくのもスムーズになる。いずれは自分の右腕として活躍してもらおうと、若き教父としては成長したアキラに対するそうした下心があったのかもしれない。
加えて言えば、1年ならば丁度、アキラは20歳となる。そうすれば任務を終えたと同時にこれも最短に近いタイミングで彼と婚約者の誓いが果たされることになる。そうした配慮もまた、教父は慮ったに違いない。
こうしてアキラはロビアン博が運営する研究所警備の任務に就いた。
任務地では先輩となる兵士達がいて、いずれも典型的な“先暗い”いかにもハズレ勤務な人達である。すっかりベテラン風をふかせる彼らに最初は戸惑ったものの、アキラは持ち前の明るさと度胸で彼らと渡り合い、数か月もすると“仲間”として迎えられていた。
ただ、そうした状況となっても本心でアキラが彼らをどのように思っていたのかは知れない。
何せそこはロビアン博の研究所である。そこに長居することでそうなったのか、それとももともとそのような感じだったからここに流れ着いたのか……。
どうにも先輩達の素行の悪さは気になったことだろう。真面目なアキラにとって、下ネタや昔の武勇伝を楽し気に語る彼らを心の底でどのように思っていたのか。
粛清は神意であるものの、そこで無下に命を弄ぶことは神意にない。正すための尋問はともかく、欲望のままに楽しむことはただの悪行ではないだろうか。
アキラは神無き民を嫌悪している。それはそうだ、彼らには良識が無く人として当然の義務たる信仰が無いのだから。
だが、それはそれとして彼ら神無き民を、生命を悪戯に扱うことには納得ができない。回心叶わずなら、一刀のもとに粛清して去るのがせめてもの、人としてあるべき正義ではないだろうか……と。
アキラは疑問を抱き、命をあざ嗤う先輩兵士たちに反論もしたかったが……同意はせずとも愛想笑い程度にその場をやりすごすしかなかった。日々をそのようにやり過ごすことしか彼にはできなかった。
何せ彼らの所業は過去のことで、今はもうその行いを正すこともできないからだ。信仰は同じくともそこにある価値観の差異に悩みながら、アキラはせめて自分の思う正義だけは彼らの側に染まらないように日頃心掛けていた。
ーーというより、彼ら先輩兵士よりロビアン博が許容できない。アキラとしてはむしろそっちの方が嫌だった。
研究内容のため仕方がないにしろ、彼には生命に対する尊重とか謙虚さというものが感じられない。それは彼が本質的にもつものなのか、それとも友人である教父が言ったように“壊れてしまった”からなのだろうか。
自分の正義から目を逸らす日々はアキラにとって辛いものではあっただろう。だが、自分が請け負った責務であるからには全うしようと、彼は日々を堪えていた。
そうして我慢の時が数か月経過。あと少しすれば故郷に戻れる頃ーー。
日課として毎朝、アキラは起きると決まって手紙の束を読む。
それらは婚約者から送られてきた手紙。一枚一枚、すべてが大事な宝物である。
月日を重ねるごとに読む時間は増えた。なにせ手紙を交換する度に読む量が増えるのだから、早起きも大変だ。
大変だが苦にはならない。それは朝のその時間が幸福なものだからだ。
我慢の日々も、幸福な時間があるからこそ頑張れる。婚約者の思いを受け、彼女への思いを抱くと活力が沸いてくる。
そんな日々のある朝。その日も変わらず、アキラは早起きして手紙を読んだ。
最新の手紙には「もうすぐ会えるね、一緒になれるね」とある。アキラは「そうだね、もうすぐだね」と手紙越しに微笑んだ。
その後、いつもの流れでコーヒーを飲みに研究所の一室を訪れる。実は朝が大の苦手であるアキラは朝食を食べない悪癖がある。いや、健康にまったく良くないので婚約者からは「一緒になったら絶対毎朝食べさせる」と宣告されていた。
コーヒーを飲んでいると先輩兵士が入ってきて「おはよう、アキラぁ!」と肩を組んでくる。いつもそうやってやられるので、最初の頃はコーヒーを毎回零していた。今ではすっかり慣れたので、身構えて零さなくなっている。
先輩が朝食をとりながらいつものように武勇伝を聞かせてくる。それに相槌をうっていると、夜間警備の兵士が「おっす、交代頼むぅ~」などと半分寝たようにして欠伸をして入室してきた。
少し早いが……と、先輩兵士が立ち上がる。それに合わせてアキラもコーヒーカップを置いて部屋を出た。
空は晴天。早朝には霧が生じていたようで研究所の外観は湿っている。
アキラは腰元の剣を一度抜いて刃の状態を確認した。そうしていると先輩兵士が「相変わらず真面目だねぇ」などと茶化してくる。
研究所を出てすぐのところで一度、地に膝を着いて祈りを主に捧げた。これは先輩も同じくしており、そうして2人の兵士は祈りを終えると立ち上がって研究所の門へと向かう。
錆びた門も見慣れたものだ。日中は2名がここに立つ決まりとなっている。
警備の2名は揃って前を見た。そこにはこれも見慣れた景色が広がっている。
研究所の前には均された道があるものの、あまり手入れはされていないので雑草が至る所に見えて小汚い。気が向いた時にはどうせ暇なので草取りをするのもまた、警備の仕事となっている。
警備の先輩はしばらく大人しくしていたが、やがてまた思い出したように武勇伝を語り始めた。
若い警備兵は「やれやれ」と相槌をうつ。時折、慣れてしまった下ネタで「クスっ」とくることもある。そんな自分が嫌だなと思いつつも、笑うという気分転換にはなっていることに多少の感謝はあっただろう。
若い警備兵は自分も稽古の失敗談など、たわいもない話しをしては先輩を笑わせてやっていた。
いつもと変わらない朝の光景、警備の朝。
いつもと変わらない光景にしかし……異変があった。
門を護っている警備の2名。談笑をしていた2人だが、ふと、目の前の存在に気がつくとどちらも息をのんで黙った。
黙るのも無理はない。視界には自分たちに向かってゆっくりと歩いてくる少女の姿……。
黒髪の少女が下着のみの姿で近寄ってくる光景。彼女の足元からは流血がある。
若き警備は思わず、言った。
『えっ、なっ……なんだ、どうした?? あの、大丈夫ですか、そこの君??』
『警備の朝』――END




