『紅き炎:アグリサス・フェノー(3)』
人間と動物の境目は文明の有無ではないか。逆に言えば文明がなければそこに区別はなくなる。
間違えてならないのは文明=人間というわけではないことだ。これは文明が人間の専売特許だとか、そういう意味でもない。
豚が文明を得ればそれは人のようなものになるだろう。牛が文明を得れば人のようなものになるだろう。猿が文明を得ればそれは人間であろう。
これらは別に動物でなくとも、例えば昆虫であったり植物であったとしても当てはまる。
つまり問題となるのは「どうして文明を得られたのか」ということ。枝を使い、火を点ける可能性が身体能力に宿ったから、そういうこともある。
ただそれ以前に導かれたからである。何にかと言えば言うまでもなく我々だ。
竜の導きがなければ今頃にも人間は動物であった。
文明を得た人間は動物を脱して、人となった。人とはつまり文明を有するその惑星の住人であろう。姿かたちの問題ではない。
では何故、与えられたか。それは竜によって理由は異なる。とくに何も考えずにホイホイと教えた竜もあるだろう。
ただ、最も賢い竜は違う。理由がある。
何度でも言おう、大事なことはただ1つ。“起こさないこと”だ。厳密に言えば完成するまで起こさない、か。
そのためには研究が重要となる。研究にはサンプルが必要となる。
人は種から生えた粗雑な模造品だ。されど文明を得られたように知識を扱う余地が存在している。
実に便利だと思うよ。無限にも思える被験体かつ、外付けの脳細胞。
与えた文明をどのように使おうがかまわない。ただ、淀まず停滞せずに繁栄してもらおう。
私が回答を得るその時まで……。
どうぞ、無意味な自我を求めて生きてくれたまえ。




