『騎士の朝』
流れる川。小鳥たちのつつき合う声がのどかに聞こえてくる。穏やかで晴れやかな早朝。朝霧も晴れた時刻、川辺の草葉から雫が垂れた。
大きな魚が尾を振って泳ぐ影が見える。ここいらの川に生息する灰色魚と呼ばれるものだろう。比較的珍しい魚で身は脂が多く、焼いて食べるとジューシーで美味しい。しかし警戒心がとても強く、頭も良いので釣り人にとっては手強い相手だ。
「灰色魚か……この前は準長が釣ってくれたんだよな。美味しかったなぁ、また釣ってくれないかな?」
ゆるやかに流れる川。その岸辺にしゃがんで顔を洗っている青年。
白衣の制服に身を包んだこの青年はまだ若く、年齢は21歳。実は昨晩に誕生日を迎え、仲間たちから祝いを受けたばかりである。
白衣の制服は前のボタンを外して開かれており、彼は首元も冷たい水をしみ込ませたタオルで拭いた。白い頭髪は当然年齢のせいではなく、生まれつきのもの。
朝日が水面を照らして煌めいている。穏やかに流れる風は静かなものだが、肌に当たる気温は低く厳しい。山岳から吹き下ろしてくる風が山頂の雪っ気を感じさせてくれた。
白い雪が冠されている山岳。連なる山々の頂上を見上げて、白髪の青年は爽やかな笑顔を浮かべている。
青年が清潔感のある朝に浸っていると、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
「お~~~い、小手長様! 今朝の戦略的祈祷はお休みですかぁ~?」
声の方向を青年が見ると、そこには白い甲冑を着込んだ中年男性の姿が確認できる。彼は兜を小脇に抱えてこちらに手を振っているようだ。
白髪の青年は白衣のポケットから時計を取り出し時刻を確認した。すると「いけない、ゆっくりし過ぎました!」と言って立ち上がり、駆け足に中年男性のもとへと向かう。
「ごめんなさい、アルマダス準長! あまりに良い景色だったので整容に集中しておらず……隊をまとめる身として時間に雑ではいけませんよね」
「何を仰るか。あなたはいつも真面目すぎるくらいなのだから、たまにこんなことがあったっていいでしょう。すでに十分、あなた様の神聖中隊は規律と勇気に満ちておりますぞ。ほら、自信をもって……まぁでも遅刻は遅刻なので、若干腰を低く行きましょうか?」
甲冑の中年男性はアルマダスと呼ばれた。準長であるアルマダスは少し身を屈めるような仕草で悪戯な笑顔を見せている。
アルマダスの無邪気な笑顔を見て、白髪の青年は後頭部を掻きながら「面目ない」とこれは恥ずかしそうに苦笑いした。
「小手長、今朝は全員がすでに起床。目立った体調不良者はなく、陣地内の安全も確認を終えております」
「そうですか……ならば祈りましょう。敬愛なる主様へ、大地の底へと感謝の祈りを捧げましょう」
白髪の青年はその場でしゃがんで両手を地に着いた。同じくアルマダスもしゃがんで両手を地に着いている。そうして数秒沈黙してから2人は立ち上がり、歩き始めた。
白髪の青年とアルマダス。歩き始めた2人だが……目的地はすでに見えている。
小高い丘が川辺からすぐ近くにあり、丘の上には白い布を基調とした陣地が形成されている。白い布の幕によって周囲360度をほぼ覆われたソコには聖圏の教会に属する兵士たちが集っているようだ。
白布の陣地内では調理のために火が焚かれており、隊に同行する調理人が兵士たちのために腕をふるっていた。
木製のテーブルに皿を置いてスープをすする者、地べたに座ってパンを頬張る者、布と木で作られた人形を相手に剣の型を修練する者、椅子に腰掛けて本を――女神の加護を祈る教典を黙して読む者など。兵士それぞれが思い思いの時間を過ごしている。
白布の陣地に白髪の青年とアルマダスが入ってきた。するとそれまで思い思いにしていた兵士たちが立ち上がり、毅然とした姿勢で「小手長、おはようございます!!」と礼を示した。全員が左手を胸に当てており、右手は剣の柄頭に添えている。左利きの者もこの時ばかりは右手で剣の柄に触れる。
白髪の青年は兵士たちの挨拶に個別で応じない、応じてはいけない。視線を送る程度で真っすぐに陣地で一番大きな仮宿へと歩いていかなければならない。
大きな仮宿の前につくと、白髪の青年は振り返った。そうして全員の視線が集まったことを確認すると静かに息を吸い、呼吸を穏やかにしてから左手を胸に、右手を剣の柄頭に置く。
「――精鋭なる兵士皆様、おはようございます。今朝は良く晴れ渡り、皆様も健康であると知らせを受けました。これも皆様の注意深く、確かな警備によるものと、なにより女神様の恩寵に他なりません。
感謝いたしましょう。敬虔なる我々の規範と、すべてを愛する我らの主に……」
白髪の青年がしゃがんで両手を地に着くと、続くように兵士の全員がしゃがんで両手を地に着いた。
白衣と甲冑の集団が30名ほど、丘上の草地に黙してしゃがみ込む。この光景は彼らが地の底に眠る女神へと尽きぬ感謝を送る仕草である。
数十秒ほどそうしてから白髪の青年が立ち上がる。すると、続けて兵士全員も立ち上がった。
全員が立ち上がったことを確認すると、白髪の兵士は言う。
「……それで、皆様ごめんなさい。私、遅刻してしまいまして……今朝の戦略的祈祷はこれより開始いたします。準長、準長格、規律兵、それに神意傾聴役の各位は陣地本営へとお集まりください。ほんと、ごめんなさい皆……」
気まずそうにしている。うつむいてモジモジとした様子でそのように言う白髪の青年。
その姿を見た兵士たちが次々と言った。
「気にしないでくださいよ、小手長! おかげで今朝はゆっくりできた!」
「珍しいこともあったと、これも奇跡を見れたと主に感謝いたしましょう」
「たまにはいいじゃないですか。それに、こういう時こそ変化があったりするものですぜ?」
兵士たちはとくに怒ったりする様子もない。ただ「仕方ないなぁ」とばかりに笑顔をみせている。
白髪の青年はそれらを見て「面目ない……」と言いながら、少し安心した気持ちで大きな仮宿へと入って行った。続くようにその中へと数名の兵士たちがゾロゾロと集っていく。
本営の中には大きな木製の机がある。そこには何枚かの小さな紙と大きな紙が1枚、広げて置かれている。
椅子は用いずに兵士たちは机を囲んで何やら話始めた。話を主にまとめて進行するのはアルマダスであり、話が滞ると本営内の机上が見えない位置に立つ人へと訊ねる。全身を深い青・紺色の制服に身を包んだその人は「神意」に基づく返答を行い、それを受けてまたアルマダスが話を進めていく。
1つの話がある程度まとまると白髪の青年が決定・許可の意思を問われ、青年が地の底に誓って判断を下すことで彼らの今後に執行される行動方針が確定となる。
そのような流れでいくつか話題があった。
例えば先月に指導博が何者かに殺害され、彼を警護するはずだった準長格および彼の部下までもが命を奪われていた一件。これは現地の様子からどうにも紅炎術士が絡んでいるようで、それも草原の有様から相当な手練れによるもの。尚且つこれは堕落者による背反行為であると予想されている。教会に現状で所属する紅炎術士がこのような大胆かつ不敬な行いをするとは思い難いからだ。この一件への対処を任された隊はしかし、1ヵ月の間結果を出せずにいる。
他には長らく放置されている大地域への神意執行。これはかなり大きな地域なので隊も慎重になっており、前述の一件とついでのように頼まれたことは皆が不本意に思っている。それこそ紅炎術士でも派兵して焼き払ってくれてもよいのにと隊は思っているが、「可能な限りを救済せよ」との通達がある。焼き払いは効率的だが確かにそれでは皆殺しとなって救済も何もできない。例えば高位聖人が死に類する穢れを受けるなど、何かしら重大な罪がなければ行われない最終手段であることは確かだ。
それらの聖務に関する話をひとしきり行い、そのすべてに隊の長が判断を下すとこの集まりは解散となる。
ゾロゾロと兵士たちが大きな仮宿から出てくる。それに混じって白髪の青年も出てきた。
白い甲冑のアルマダスがひょいと仮宿の入口から顔を出した。
「おや、小手長様。どうしたんです、この後は先ほどの祈祷から検討を行わないのですか?」
アルマダスの問いに白髪の青年は少しだけ顔を向けて答えた。
「ええ、今朝は……少し散歩をしてまいります。なに、昼前には戻りますよ。そうしたらまた助言をよろしくお願いいたします」
そう答えて白髪の青年は歩いていく。行先は陣地の外らしく、どうにも歩行に元気がない。
「小手長、散歩は解りましたが気を付けてくださいよ! 近いってほどでもないですが、地域はある程度の距離にあるんです。最近は“聖者狩り”なんても増えてるらしいから、十分に気を付けてくださいね!」
「解っております、準長殿。大丈夫、ほんと近場を歩いて戻ってくるだけですから!」
一度立ち止まって振り返った青年。その表情は明るいものだったが、それが無理に照らされた明るさであるとアルマダスはすぐに察した。彼の背がまだ今の腰ほどの高さで、一生懸命に木の剣を振るっていた頃から知っているのである。理解するのは簡単なことだった。
甲冑のアルマダスは青年の背中を見送りながら呟く。
「……そうだよなぁ。せっかくに昇格して初の聖務だってのに、まるで進展なく時間が経過しているものな。いくら立派な精神だとしても、あの若さだ。圧力を感じていないはずはない。どうにかしてやりたいが、如何せん手がかりも無いし……やれやれ、どうしたものか」
アルマダスは青年の寂し気な後姿を見て溜息を吐いた。すると、少し離れた位置にいる兵士たちの声が聞こえる。
「おっ、小手長様がお出かけだ。これでちょっと気軽な時間ができるな♪」
「あの人は良い人だが……しかし小手長様だからな。おまけに涙勲章付きでかのセイデン生まれの生粋なる信仰者。ずいぶんと年下だが、やはり近くにいて緊張はあるぜ」
「セイデンのお方々はとくに信仰への理解が深いよな。それはいいんだが……しかしどうにも融通がきかんというか、真面目すぎるというか……」
「それな。他の隊とかだと、もうちっと神意執行の際に色々してるぜ? ほら、帝国の村で帝都甲軍を叩き潰した部隊があるだろ? フラマラン生まれの隊長が率いるあの中隊なんか、それはもうお愉しみだったと聞くぜぇ?」
「ほんとな。主を忘れた民なんてもうちょっと扱いアレでもいいのにね。信仰の深さと神意への忠実さはちょっと別物なのかね……」
そのような会話。そうした会話は物陰でコソコソと話されたものだった。
しかし、甲冑のアルマダスの耳。その経験豊かにして鍛えられた聴覚にはしっかりと聞こえていた。
陣地に響き渡る準長アルマダスの咆哮。彼の得手である金色のハンマーがブンブンと風切り音を轟かせ、それに追い回される兵士たちは悲鳴を上げながら許しを請うた。
そうした賑やかな様子。遠ざかる陣地から聞こえる騒ぎに肩をすくませながら、白髪の青年は言う。
「おやおや、だれかアルマダスを怒らせましたね。困ったものだ……彼は昔から細やかによく気がつく優秀な執事ですが、頭に血が上ると荒くれた兵士と化してしまう。フフっ、しかしそこがまた彼の楽しいところ。気性の落差は魅力的なものですよね……」
陣地を離れて歩く白髪の青年。遠ざかる陣地はいつしか森の木々に阻まれて見えなくなった。
森を切り拓いた道を歩く。この道は陣地のある丘の近くを通っており、聖圏に属する村と村を繋ぐ道である。それら村と村の距離はかなり離れていて、そのせいか不実の民、即ち女神を信仰しないのに聖圏領で生活している輩がよく出没する。長い期間に渡って大地域がこの辺りで形成されている理由もここにあるのだろう。
そうした道を歩く白髪の青年はふとして立ち止まり、そして空を見上げた。
晴れた空。朝の空を流れる雲を眺める。
「父上、母上……私は今日も主に護られ、神意に尽くしております。ですが、授かった信頼、地位にこの力は及ばないのでしょうか? せっかくに与えられた聖務を果たせず、時間は過ぎるばかり……」
独り、道の只中で青年は語りかけている。それは雲の流れる先、遠く故郷の地で今頃、妹たちと揃って朝食を摂っているであろう両親に向けたものだ。
青年は続けて言う。
「それでも私はこの力を神のため、そして主を信じる民のために尽くします。積み重ねた鍛錬はきっと私を聖務の達成へと導いてくれるはずです。何より、我らが神の加護がこの身にある……感じる。私ごときに過ぎたものとは思いますが、この勲章に誓って……必ずや。我が聖務を全うし、故郷の花園でご報告いたしましょう。セイデンの誉あるブリーガー家の歴史へと、新たなる信仰の証を加えてみせます!」
左手を胸に置き、右手を剣の柄頭へと添えて……白髪の青年は声と胸を張ってみせた。
そうして強い語気で誓った後に視線を空から降ろす。そしてふと、何気なく左側を見た。
森の中に何か気配を察したのである。それは声……泣き声かと白髪の青年は感じた。
様子をうかがいながら森の中に足を踏み入れる。すると、よけた枝葉の先にうずくまる人を発見した。
それは少女だ。細身の少女が1人、うずくまるように屈んで泣いている。
白髪の青年は彼女の姿を見て、一瞬でも迷わなかった。迷うことなく彼女の傍で座り、穏やかな声で問いかける。
「どうしましたか、お嬢さん。こんな森の中で……だれかとはぐれましたか?」
問いかけに少女は答えない。泣き続けている。
青年は少し考えた。そしてまずは安心と信用をしてもらおうと優しい声色で言う。
「私の名前はアルサン・ブリーガーと申します。大丈夫、安心してください。困っているのならあなたを助けたい、どうか私を信用してほしい……どうか、泣き止んで?」
白髪の青年は自らをアルサン・ブリーガーと名乗った。
青年の名乗りを聞いて、少女が応える。
「……ぐすっ、助けてくれるの? パパとママを、見つけてくれるの?」
やっと応えてくれた少女。まだ涙は流れているが、ようやくに顔を上げて自分を見てくれたことにアルサンは安堵した。
アルサンは少女の不安そうな問いに優しく応える。
「ええ、なるほど。やはり迷子になってしまったのですね? この辺りだとパスカンとナルメダを通る行商人さんでしょうか。しかし、どうしたって森の中ではぐれて……」
「……おトイレ行ったの。ちょっと離れて、森の中でと思ったら……パパとママ、見つからなくなっちゃって……」
「あっ……なるほど。いや、申し訳ない。理由を私が察するべきでした……」
少女が両親とはぐれたらしい理由を聞くとアルサンは顔を赤らめて謝罪した。
咳ばらいをしてアルサンは話を再開する。
「と、とにかく森の中ではぐれたのですね? この森の中……どうしたって道を外れて……」
「パパとママ、近道を通るって……いつもそうなの」
「ああ、なるほど。聞いたことありますよ、この道を通る商人さんは慣れていると森を抜けて村を行き交うと。そうすると確か、森の中に彼らが踏み鳴らした道のようなものがあるそうですね。まずはそこまで行ってみましょう」
「ほんと? いいの、一緒に来てくれるの……?」
「もちろんですよ。さぁ、ほらコレを使って……涙を拭いて、気をつけて歩いてくださいね?」
会話の中で少女の表情は次第に明るくなり、そうすることでアルサンもより安心できた。
少女はアルサンからハンカチを受け取り、涙を拭いた。その様子を見守ってからアルサンが立ち上がる。
差し出された青年の手をとり、少女も立ち上がった。清廉で清潔で、穏やかな青年。しかしその手にはいくつも傷があってこぶなどで硬くなった箇所もある。それらは彼がこれまでの生涯で積み重ねた鍛錬の証。
2人は歩き始めた。アルサンは少女の名前を聞き、彼女の名をよく通る声で周囲に響かせる。
少女の名と両親への声掛けを響かせながら、森の中へと少女と共に入って行く青年アルサン。
アルサンは歩く途中、少女に向けて言った。
「そうそう、ここいらには少し危ない人たちも出没すると聞きます。十分に注意して、くれぐれも私からはぐれないように歩いてくださいね? でも大丈夫、もしそんな輩が現れたって、きっと私が倒してみせますから。フフっ、こう見えて結構、私って強いんですからね? まともに戦ったら、絶対に負けませんよ!」
その表情は得意気なものだ。自信もあるのだろうが、それより少女を前にして少し恰好をつけたかったのだろう。
そこにある彼の笑顔は年相応に無邪気なものだった。
『騎士の朝』――END




