紅き炎が開花の時――Memory2.『もう少しだけ』:Vision5
・
・
・
Vision5↓
・
・
・
少し寄り道をしたが……サナッチは目的地へと近づいている。それは大地域から少し外れた森の中。山岳へと続くやや小高くなった辺りにある。
そこには奇麗な泉。常に水が流れ込んでいて、どこか地下水と循環もしているのであろう。小魚なんかも見えてそれほど広くはないがともかく美しい泉である。
泉の岸には淀みもなく、日光が良ければ顔だって映せる。まさに絶好の歯磨き場所だ。
泉の岸近くにまでサナッチは到着した。あと数mで屈めば水面に触れられる距離。
そして、その辺りでサナッチは立ち止まる。ここまできて寄り道ではない。この辺りで立ち止まろうと決めていた。
それはあの勲章を盗った時から思っていた行動。
「……俺さんさ。コレ、返してほしいってのなら返すよ。使える人に渡せば高い物だけど……仕方がない。だって、俺さん長く生きたいから。一生死なないのが俺さんの目標だから……」
サナッチは独り言のつもりで言ったのかもしれないが、そこにだれかが在ればそれは独り言ではなくなる……いや、サナッチは初めから“聞いてもらうつもりだった”。だからこそ、“だれか居れば”聞こえるような程度に抑えた声で言ったのである。
サナッチの寂しそうな発言。彼がそれと伴にポケットから青い勲章を背後からも見やすいように取り出した時――。
背後からの声があった。
「いいから、そういうの……というより、ちょっとサナッチさん? あなた相当に鈍っているのかしら。あなたを尾けていると解りやすくしたつもりだったんだけど……」
女性の声だ。それはくぐもっていて……それこそ鉄仮面のサナッチと同じような声質となっている。
背を向けていたサナッチは数秒停止した後、上半身だけをぐるりと100度くらい回転させて後ろを見た。
視て、言う。
「――――ッ、“マァル”!? マジですかい、とうとう俺さんもココで終わりってことですかい!? い、イヤだぃっ!!!」
サナッチは半身を中途半端に傾けたまま、鉄仮面の下にある表情は硬直して愕然としたものになっている。
そんな様子のサナッチを観ているのは……これも同じく、“仮面被り”。
金属製の仮面を被った女性。それは紺色のブレザーを着用しており、ズボンが丁度に締まった脚は長い。身長まで高く思えるが、実際のところサナッチと丁度である。
ほんの数mの距離。2,3歩踏み出して手を伸ばせば触れられる距離。
サナッチからそれだけの距離を置いて立つブレザーの女性。着用するそれには浅い青、水色のラインが細かく右半身上部に引かれている。襟元には複数の紋章が輝き、そこには涙型のものが3つほど含まれている。
被る仮面は金属製だが、ただの鉄ではない。淡く赤みを帯びた合金のようだ。それは夕刻の光でさらに朱く染まっている。
「久しぶりね、サナッチ。よかった、元気ではあるようね。なんかちょっと変な感じはあるけど……」
サナッチから【マァル】と呼ばれた女性の立ち姿は軽く腕を組んだもので、悠然とした余裕に満ちた静かな気配を纏っている。
気品の中にある重苦しい圧力は彼女の仮面越しにある瞳が与えるものであろう。サナッチが愕然として固まっている原因はそれであろうか。
それもある。あるが、そんなことはサナッチにとって実は慣れたものなのである。
このブレザーの女性、マァル自体は良い。そうではなくて、彼女が“このタイミング”でココに居ることが精神的な重圧となっていた。
鉄仮面の下。半開きの口でサナッチが問う。
「お、俺さんが目的だったんだ……ね? それとも彼が目的で、俺さんはたまたま??」
ちょっと泣いているのかもしれない。声が仮面越しというだけでは説明できないくらいくぐもってしまっている。
上半身だけを捻った状態で涙声かもしれない声で話す成人男性。その捻った角度もまた彼女に物足りなさを感じさせるらしい。
その様子を見ていたマァルは「ハァ」と一息吐き出して、組んでいた腕を解いた。そうして右手を仮面の額に乗せ、左手を腰において左右に首を振る。
「どっちでもないわよ。私の目的はあなたでも、さっきの彼でもない。だからその勲章だって……まぁ、見ちゃったから本当は回収すべきだけどさ。でも、いいよ? ただあなたにまだ少しでも“良心”ってものが残っているなら渡してくれればそれでいいから」
ハッキリとしているが威圧的ではない。声色だけで言えば穏やかなものなのだが、如何せん仮面越しにも眼力が強すぎる。きっと、そういう癖というか性分なのだろう。
マァルは続けて言った。「“久しぶりに会った”のに、いつまでその恰好??」と。
言われてサナッチは「はっ」となったらしい。上半身を元に戻すと、何度か腰をさすったり仰け反ったりした。どうやら急に捻ったダメージがあったらしい。
その様を視て、マァルは言う。
「身体も感覚も、精神まで鈍ったってことかな。そんなんで“本当にそういう状況”で私と会ったら……あなたどうにもならないわよ?」
言われているが、サナッチは腰の調子を整えるのに精一杯だ。どうにか数秒かけて調子を戻すと、姿勢を正して真っすぐに仮面の女性を見据えて言う。
「また辛辣なこと言うなぁ。君さん、いつもそうやって僕を甘く見るよね? そりゃぁ確かに教会教育ではあんなだったけどさ。しかしだね、アレから一体何年の月日が僕たちを――」
「ねぇ、だから久しぶりなのに仮面も着けたまま? お互い、素性が割れてどうのという間柄じゃぁないでしょう?」
「おっ・・・・・そ、それもそうだな。君が正しいッ、その意見に従おうッ!!」
先ほどもだが……今もサナッチは指先をマァルに突きつけている。発言の度に左右の腕を変えて突きつけている。
サナッチは「よいしょ」と仮面を外した。それを小脇に抱えるようにして持つ。ボサボサな頭髪が解放された。
マァルが自身の頭部に青白い電流を生じさせると、それと伴に仮面は虚空へと消え去った。しなやかな白に近い金色の長い髪が垂れ下がる。
そしてその瞳孔もまた、黄金の色合いだ。
「ふぅ……あら、何よ。どうしたのその顔ぉ……髪の毛だって、チラチラ見えて気になっていたけどさ。髭もちゃんと奇麗に剃ってよね。きっと歯は白いままだという確信はあるけどさ……」
ブレザーの女性、マァルは苦いものを噛むような表情で対面した男の風貌を見ている。
対面して晴れ渡っている。どうやら女の素顔を見て、サナッチは自然と穏やかで明るい気持ちになったようだ。すっかり安心したように白い歯を輝かせて魅せた。
夕刻の泉。岸辺に近い森の中。穴だらけのコートを着た不潔な男と汚れ1つないブレザーの制服を着る毅然とした女が言葉を交わす。
「僕にも色々あったんだよ。知ってるんじゃないの? でもそんな変わったつもりはないけどさ……しかし君さんはまるで変わらないな。いつまで学生の姿なんだ?」
「やめてよね、そろそろソレは暴言になるわよ。しかし、どうしたってあなたこんな様に……」
「え。こんな様ってどんな様??」
「鏡見てよね、あなた変わりすぎ! そりゃぁ原型はそのままだけどさ。噂には聞いていたけど、本当にまったく……」
いつの間にかマァルはサナッチのコートに触っている。サナッチもまるであるがままにコートを触らせている。どうやら彼女のほうからツカツカと何気なく歩み寄ったようだ。
彼にとって将来への貯金も入ってるコートだ。彼はそれを他人が探ることをとても嫌がる。アグゥが手をちょっと突っ込んだだけで奇声を発するのがいつもではある。しかし今は穏やかなもので、サナッチはマァルが気になるところを触るがままにさせていた。
マァルはため息を何度も吐きながらサナッチの身だしなみを確認して、直せるところは直そうとしている。
サナッチはまるで抵抗する様子もなく、そのまま自然に会話を継続した。
「そういえば。君さんさ、ファンダル家の当主になったんだろう? それと実に数十年ぶりな“聖刃”に任じられたとも聞いたよ。すごいじゃないか!」
「ああ、ありがとうね。でも私だけじゃなくって、インサルくんもこの前シャダール家を継いだわよ。彼もそのうち聖刃の称号を受けるでしょう。それにラスタールだって、近いうちでしょうね」
「へぇ、彼らもか! みんなすごいなぁ~。頑張ったんだなぁ……友人として誇らしい限りだよ!」
「……えぇ、そうよ。今の中枢には希代なほどに精鋭が揃いつつある。そして、私も含めて教会員はあなたたち神無き民にとっての…………神無き民である限りの、“敵対者”よ」
サナッチのコートの襟を直していた。だから今、マァルの両手は彼の首元に置かれている。
2人はまったく同じ背丈だ。視線を向ければ工夫をしなくとも真っすぐに合う。
サナッチは対面する金色の瞳孔を見据えて応える。
「そうだね。じゃぁ、やっぱり今日、俺さんを殺すのかい?」
サナッチは薄く笑っている。それは彼が諦めの気持ちにあるからか、それとも……。
「――――そうしてもいいんだけど。でも、やめておくわ」
マァルは対面する男から視線を逸らした。そして彼に背を向ける。
自分は敵対者だと確認、宣言した上で彼女は無防備をさらした。そうでもしないと自分の心を護れないと思ったから。
背を向けたままに女は伝えた。
「今日は聖務ではないもの、休暇なんだからね。これから忙しくなりそうだし、せっかく羽を伸ばした時間に不実を断じる気にもなれないわ」
「そうかぁ~、助かったよ! 俺さんは一生死なないつもりだから、君さんがそうして身を引いてくれるならありがたい……」
「ふっ、なによソレ……いや、でも安心なんてしないでよ? “今日は”あなたを断罪しないって、そういうことだから」
マァルは振り返ろうとしたが、思いとどまった。自分の頬に手を触れると、白い手袋越しにも熱を感じる。
だからだろうか。マァルは青白い電流を全身に生じさせる。すると、彼女の全身を鋼鉄の甲冑が覆った。赤みがかった甲冑に夕刻の光が当たり、朱色に輝かせている。
頭部まで金属に覆い隠された女の身体。顔を仮面で隠した女はやっとに振り返る。
振り返った先にある男の表情は愕然としたものだった。口を台形に開いて眉毛は垂れ下がり、眉間には深いシワが寄っている。
愕然としているサナッチは口から言葉を零す。
「・・・・・いつからそんなんできる感じ??」
「ん……ああ、コレ? これはそうねぇ、5年くらい前にはできてたわよ。そうか、あなた知らないのか。ふふっ、どう? 格好良いでしょ♪」
甲冑を纏ったマァル。赤がかりの聖騎士は意外なほどに身軽そうにくるりと回ってみせる。その動作を観たサナッチはさらに眉間のシワを深くした。
「本当に、今日が君さんの聖務じゃなくて良かったぜ……さすがは聖刃様ですね」
「だから安心しないでよね。次に会うときはきっと聖務なのだから、あなたはコレをどうにかしないとなの――解る? だからその鈍ったすべてをなんとかしておきなさい」
サナッチは息をのんだ。自分が知る彼女とはまるで違う、素顔の見た目は変わらないのに……彼女の内側にある力は立派に成長していた。
緊張した面持ちで見ているサナッチ。見られているマァルは彼が緊張したことで少し、ばつが悪そうな気分になった。
無言の空気が流れたので、マァルは咄嗟に話を変えてみせる。
「ああ、そうそう! あなた、あの子たちって……?」
「……へぇ?? あの子たちって、アグゥとセラのこと?」
「ああ、うん。そういう名前なの、彼ら……一体あなたとどういう関係?」
「どういう関係って……どうもこうもないさ。たまたま出会って、なんだかそのまま一緒にいるのさ。何か変かい?」
「変っていうか……だってあなた、子供は嫌いでしょ。“勝手に煩くするからイヤだ”って言っていたじゃない?」
「それは…………今も嫌いかもしれない。でも、どういうことかな……何もかもから見放されたような子供を見るとさ、放っておけないんだよ。あの時に刻まれた僕の記憶が……あの子の声が聞こえるんだ」
サナッチは俯いた。
「あっ――――。」
彼の言葉を聞き、様子を見たマァルは何かに気がつき、仮面の下にある表情を曇らせる。
サナッチはしばらく黙り込んだ後に顔を上げ、そして微笑む。
「だれも守ってくれない、加護なんてない、女神さんだなんて見てもいない……見ていてあんなことになるなら、もっと悪いよね?」
「サナッチ、ごめんなさい。私、思い出させるようなつもりは……」
「えっ…………あっ、違うよ! 君さんは別に気を悪くしないでくれ。そうだな、なんというかそういう……罪滅ぼしだなんて今更ないけど。まぁ、ともかく今は楽しいよ! 彼らはちょっと変わったところもあるけど、一緒に居て俺さんは楽しい! だからなおさら生きたいと思えるんだ、はっははは♪」
サナッチは白い歯を輝かせて満面に笑って見せた。マァルは彼の笑顔に覆われた感情を察した。昔からサナッチは“笑って誤魔化す”質だ。
聖騎士はしばらく沈黙していた。しかしサナッチが「気にしないでよ!」となおも気を遣うので、口を開くことにした。
「そう、あなたが楽しいと今を感じているのなら……幸せなら、それでいい」
「へぇぇ?? いや、幸せってのはどうかな。だってお金も危ないし生きるの大変だし!」
「ふふっ……ともかくよ。これ以上いると危ないから、私はもう行くわね」
「はぁ、“危ない”ってなにさ? せっかくだし、彼らに挨拶でもしてくれたら?」
「ほら、何度も言わせないでよ! 私はあなたの敵なの。つまり彼らにとっても敵だし、私は本来あなたごと彼らも断じなければならないの。今日はたまたま休暇だったってだけ!」
強い口調でマァルは言う。何を怒っているというか苛立っているのかと、サナッチは首を傾げた。
マァルはサナッチに再び背を向ける。そうして右手の指先に小さな青い電流を迸らせた。
「――――さようなら、サナッチ。次に会うときは……いえ、次に会うなんてなければいいわね」
「えぇ~~~、そんな寂しいこと・・・・・うっ!?」
どうにも互いの関係を更新できないサナッチ。そうした彼に呆れながら、マァルは右手の指先を鳴らした。
そこに生じた「パチン」という音。それと同時に周囲を青白い光が照らし、眩しさで一瞬だけサナッチは目を閉じた。
すぐに目を開く。目を開いたサナッチは始めこそ真顔であったが、見る見る内に先ほどより口を歪ませた驚愕の表情へと変貌していく。
そこには白馬があった。大柄な体躯、立派で均整のある白馬が青い瞳をサナッチに向けている。
白馬の全身はよく見ると金属質であり、どうやらその瞳孔からなにまでも金属で構成されているらしい。馬が嘶くように動くと全身から擦れる金属音が聞こえた。
白馬の背には騎士が乗っている。赤みがかった甲冑に夕焼けを映し、堂々たる有様で白馬上の聖騎士はサナッチを見下ろしている。
「ふむーー我が創輝の術は磨き抜かれ、あらゆる不実を断じる力を持つ。あなたのようにコソコソと盗み使うような技では到底至らないだろう。罪深き信仰忘れの民よ、覚悟なされるがよい――――なんてね♪」
聖騎士マァルは馬上で胸を張り、得意気にしながら口上を述べてみせた。なぜか気分が上がっているらしい。
彼女としては冗談混じりなものだが、サナッチとしては深刻な問題である。サナッチは息をのんだ。
馬上のマァルが「それでは……」と言って去ろうとする。去ろうとして何か思い当たり、振り返る。
「そういえば勲章はどうする??」
「えっ、勲章って……ああ、コレかい? そうだなぁ……」
先ほど兵士の亡骸から盗った青い勲章。ずっと手に持っていたソレを眺めて、しばらく考えて。
サナッチはソレをポケットに押し込んだ。
「悪いけど、俺さんもご飯をあげなきゃいけない仲間がいるから……彼ら、成長期なんでね♪」
サナッチは笑顔だ。ただ、まるで爽やかな印象はない。歯だけ奇麗な風貌に似あう卑しい笑顔がそこにある。
マァルは溜息を吐いた。そして「堕ちたわねぇ」と呟くと左右に首をふる。
聖騎士が合図をすると白馬の背にこれも白い翼が広がった。青白い電流を弾かせながら、広げた翼で空を叩く。
森の中に風が吹き、草木は揺らいで泉の水面は波立った。サナッチのボサボサな頭髪も揺れている。
浮かび上がる白馬。その背に乗る人は仮面の奥にある金色の瞳で地上の男を見つめている。
数秒は滞空していた白馬だが、意を決するようにしてそれは大空へと駆けて行った。朱色の空を駆けるように飛ぶ鋼の白馬はいずこかへと、「あっ」という間に消え去っていく。
サナッチはそれを地上から見送った。そしてボリボリと後頭部を掻いた後、歯磨き道具を取り出して泉の岸に屈みこむ。
歯磨きをしながら不潔な男は聞いた。水面にうっすらと映る自分に問うた。
「・・・・・そんなに変わっちゃったかな、俺さん?」




