『二つの炎――前章:黄金なる怪物皇帝(2)~怪物が産まれた時代~』
『例えばそれが“怪物的”であったとして……果たして、“強さ”は必ずしも正義となるのだろうか?』
2(前節).黄金なる怪物皇帝~怪物が産まれた時代~
帝国史における1つの転換期を迎えようかという時代。当時の帝都であるアプルーザンでは偉大なる祖竜への感謝が薄れつつあった。
竜人という特異な指導者達があったとして、それでも彼らは“人間”である。始まりのブローデンや祖竜ダリアそのものとは違い、どうしても人々は「畏敬」というものを忘れ始めてしまう。
歴史とは社会の記憶ともいえる。人も長く生きれば幼い頃の記憶が薄まっていくこともあろう。それが不特定多数の人々による総合的な記憶ともなれば、よほど強烈なものですら「伝説」となって遥か記憶の奥へと埋もれていく。
伝説と言えば聞こえよくとも、結局は「物語(=幻想)」扱いである。「昔のことなんだし……当時の人はすごいと思ったんでしょ?」と、嘲笑混じりにされても仕方がない。
科学、魔学の進歩は確かに帝国人を賢く、強くしているのであろう。だから伝説になど頼らずとも生きていけると、そのように傲慢となっていくのもまた仕方がないことだ。
時の皇帝、ミシュアン=ブローデンは竜人として強い力を備えながら、されど身体が弱かった。性格も真面目で寡黙、穏やかで優しくはあったがこれを言い換えれば“生温い”存在となる。
当時にあった人々は多くの発明、それこそ印刷技術であったり魔素の発見であったりと……進歩する自分たちの社会に対する自信というものを深めていた頃である。
後のジェット=ロイダーら学徒黄金期による文明特異点を第二世代とするなら、この頃は特異点の第一世代であった。
「百学の天才」ことユリトラ=ファイザーや、「魔素工学の母」ことキリエッタ=セイントロゥ、「古典芸術の破壊者」ことロックロー=プリンセット、「魔役士の開祖」ことライゼンバルト=キャラバックなど、そうそうたる“怪物的な偉人”が入れ替わり立ち替わりとした特異的時代である。
そうして文明的な怪物達による発展を急速に感じていた人々は口々に言ったらしい……「帝国は偉大である。そこにある我々もまた、偉大なものである」……と。
自身を偉大と自負するなら、それまで偉大とみなしていたものへの敬意などは軽んじられて然り。それも“月夜の皇”が偉大であるべき象徴ならば……竜の血が“ナメられてしまう”のも当然の流れであろう。
そのような時代。ミシュアン帝はそのような風潮を察していたのかどうかは定かでない。
おそらく心優しい皇は「これも時代の移り変わり」だとブローデンの家を自らも軽んじていた節すらある。
普通の人間……竜人である自身も帝国人の1人であると皇帝は考えていた。後の賢帝、ユウマ=ブローデン以前にもそのように考えた竜人があったのだと、歴史に残る資料は今に伝えている。
文明的に多くの天才、怪物達を生み出した時代。帝国人の自我は増長したが……大地の反対側では逆に、邪道の民がこれも現れた“希代の怪異”によって強固な集団性を築き上げていた。いくら個としての力が強まろうとも、結束された巨大な軍勢には敵わない……それが“普通の時代”であったならば“そうなるはず”だったのだろう。
だが、歴史の誤算とでも言おうか?
ともかく【彼】はそのような時代にこの世へと出現した。ただし、産声などという人間“らしさ”は初めから皆無だったと伝えられている。
いくら人間が“怪物的だ”などと言われようとも、本物の怪物と比べたら小さなものだ……と、そのように人々の目を覚まさせた存在。
サルダン=ブローデン……それは竜人の中でも特異的かつ、産まれながらに……いや、“産まれる前から異常”としか言い表せない状況だった。