リアン町長の回顧録
ーー少年時代を振り返るとまず思い浮かぶのは母の泣く姿。そして笑顔で私を囲む少年たちの姿だ。
あの頃に殴り、蹴られた傷と痣は数日もしたら治ってしまった。今の私を見て「どうしましたか、ひどいケガをしてますね?」などと聞く人はない。
しかし、本当は今も治っていない傷がある。それは私の深い部分において、決して閉じることのない亀裂となっている。
教育もなにも、そもそもが治安維持すら無かったあの頃に私はいつも泣かされていた。
痣だらけの小柄な少年、弱さのせいでいつも母親を泣かせる親不孝な自分……。
つくづく嫌だった。少年の私は「自分さえいなければ母が泣くこともなくなる」と考えたりもした。今にして思えば、そのように考えていることが何より親不孝なことだったと、実行せずとも己を蔑ろにしていた自分がとてつもなく情けなく感じられる。
時代が時代だったと、私個人だけのせいではないとは言い訳させてもらうが……いずれにせよ、あの頃に母が感じた心身的な負担というものがどれほどなのか、自分が親になって想うほどに胸が苦しくなる。
逃げる力も伝手もない私たち親子のような弱者にとっては絶望的な時代と社会だった。あの頃のマバラードというものは観光がどうのとか、そう言った光景など想像もできない有様だった。
そのような絶望的だった町が変わったのは間違いなく、雄帝サルダン様のおかげである。
子供の頃はいつの間にか町の雰囲気が変わった程度の認識だったが……立場をもって街の経過などを整理していると実によく解る。どのように町が、街として急速に整備・作り変えられていったのか。
サルダン様のことは様々に言う人があるにしろ、マバラードの人間からすれば間違いなく“歴史的な英雄”である。王がマバラードを変えてくださったからこそ、今の秩序と活気がある。
私はあの方のそれこそ“人ならざる力”というものを実際に眺めた。あれを見てしまってはそこに敬意と崇拝を感じないものはないだろう。
サルダン皇帝はマバラードにとっての英雄。さらには国家としての英雄と私はそのことも疑っていない。
ただ、私にとって……私が今も個人的に考える英雄像というものが他に存在する。私の心の中には消えない傷があるが、その傷を覆い隠してしまうほどの光が燦然としてあるのだ。
時代はあまりにも強烈で危険な熱量のある太陽、偉大なるサルダン帝を歴史に深く刻み込んでいる。きっと数百年の未来でもあの方は日々の話題にあって、人々から良くも悪くも親愛されていることだろう。
その偉大なる太陽、その影として……対比するかのような“彼”のことを人は月として例えた。青き炎は月光を想起させるものでもあったかもしれない。
私は、まったくもって納得がいかない。
私にとって“彼”は……ロキアという人こそが真の太陽だと信じている。青き光で人々を包み込む、人を護り、導いてくれる存在だったと確信している。
風潮としての彼は強大な力を持つ竜人に付き従う竜人。いわば配下であると……いや、それは確かに事実。なにせサルダン様は皇帝でロキアは一介の将軍なのだから。だが、だからといってロキアが影だの弱い方だのと言われることには我慢がならない。
確かに彼は負けた。私は見ていたし、あれは彼の負けだったなとそれは思う。ここでの話はマバラードの海上において彼らが喧嘩した時の話だ。
ただ、どうにも世間ではロキアが難癖をつけてサルダン様に挑み、そして圧倒的に負けた結果屈服したなどと……とんでもない誤解がある。そんなことを流布するトンチキな歴史者までいる始末。
私にとっては昨日のことのようだが、そうした逸話はすでに伝説となり、歴史として残されつつある。それを思うと、歴史というものはとかく曖昧で憶測や噂が多分に混じった、決して純粋な事実だと鵜呑みにしてはいけないものなのだと心底に感じる。
だって事実は異なっている。なんとか事実を残そうと……執務以外に慣れない筆をとったのもそうした思いがあるからだ。これをどのようにするか、書籍にするのかそれともやっぱり机の引き出しに仕舞うかは解らないが、ともかく私は納得できていない思いと真相をこの世に残しておきたい。
ロキアはサルダン様に負けたけど、彼らはだからといって主従となったわけではない。彼らは友人となったのだ。
聖圏の進行前は年に1度ほどマバラードを訪れていたロキア夫婦だが、たまにサルダン様もくっついてくることもあった。そうしたときに見る限り……しかも友人とは言えど、基本的にロキアにサルダン様がくっついている印象がある。ロキアがサルダン様に従っていたのではなく、サルダン様がロキアにつきまとっていた……そのようなことこそが事実。
公の場などでロキアはほとんど言葉も発さず、静かにしていた。いつか彼に聞いたのだが「皇帝が一番目立たないでどうすんだよ」ということだった。つまり、彼は意図的に控えてあげていたのである。あくまで将軍として、国の仕事に就く者として大人しくしていたということだ。
ロキアという人間が寡黙で無骨かつ不愛想などという偏見を多くに持たれる理由はここなのだろう。確かに軍人としてはそのような評価で間違いはないかもしれないが……。
とにかく、私から見たロキアはまるで異なる。口は悪くて手も早いが、よく笑って話すし、何よりいつも人のことを気遣っている。
サルダン様と会う以前の彼をぶっきらぼうで乱暴者いうのも見かけるが、それも違う。かなり繊細に周りを気にしているし、乱暴なのは乱暴な相手に対してのみだ。私も手が早いとさきほど記したが、それは危険な相手に対する反応が早いという意味である。彼は決して乱暴者などではない。ただ口の悪さは事実である。
彼は真面目で誠実。器が大きく頼りになって、しかしどこか助けたくなる不器用さがあるーー。
これこそが私から見た彼の印象だ。完全なる事実と言い切ってしまうと彼に怒られるだろうが、申し訳ないがどれほど口を悪くされたってこのように感じてしまうのだから仕方がない。
子供時代の私は乱暴な少年たちから酷い目にあわされていた。大人のだれもが素通りして見過ごされ、だれの助けもないと絶望していた……たが、そんな時。
ずっと鮮明に覚えている。確かに“乱暴”な有様で殴りこんできたけれど、事実として彼は私を助けてくれた。彼に背負われて家に帰る途中、あまりの運動能力に驚いて怖かったけど、それもいい思い出だと感じている。
お礼のキャベツを目の前で食べ始めたね。母は驚いていたし、後で「変わった子ね」と少し怖がっていたけど。僕はとにかくうれしかったよ、君がキャベツを食べてくれて、僕の名前を呼んでくれたことがさ。
私にとっての“英雄”とは、それ即ちロキア=スローデンである。サルダン様も英雄ではあるが、それは国家単位、歴史的な存在としてだ。
息子は君をちゃんと覚えてはいないよ。だって最後に会ったのは幼い年だったからね。
しかし、その後も君のことを英雄として僕が語っていたからかな。息子は軍に入って昨年将軍職に就いた。「憧れの存在に少しは近づけたかな?」と僕に聞くものだから、「まだまだ遠く及ばないね」なんて……2人して笑ったよ。
本当は君に稽古をつけてもらえればなぁって……将来は頼むよって約束だっただろう?
そうさ。約束……私もだけど、他にも沢山あったはずだ。それをさ、ロキア……放っていくなんてひどいと思うよ。
なぁ、ロキア……やっぱり私はさ、今も本当のところで信じられていないのかもしれない。私の英雄は、ロキアという名の太陽は……だって今もこの心に輝いている。
なのに君はいない、見えない。もし、君がいればきっと悪夢だって見ないよ。
あの日から私は悪夢を見るようになった。心の支えが消えた気分があるのだろうね。
君が英雄らしくあったことはうれしいよ。誇らしいことだよ。
ただ、そんなことより……生きていてほしかった。生きて私の家族に会ってほしかった。いや、私にもっと会ってほしかったんだろうね。
……なぁ、ロキア。私もきっと、サルダン様と同じさ。だから解るんだ、あの方がなぜ壊れてしまったのか……。
ロキア。君はやっぱり英雄なんだ。私にとっても、サルダン様にとっても、そしてこの世界にとっても……。
私は憎いよ。戦争が争いが聖圏が……いや、あのアグリサスがだね。だってあれが君を世界から奪ったんだ。憎いに決まっているだろう。
あと何年かすれば私も旅立つことになる。その時はさ、ロキア? また沢山話そうよ。息子の自慢話がしたいんだ。
本当は君の遺した彼女らのことも知らせたいけど……すまない。手を尽くしたが行方は不明なんだ。
君が愛したあの子は……君が遺したスローデンの子は、今頃元気にしているのだろうか。
無事を祈ることしかできない僕を、どうか許して欲しい……。
『マバラードの邸宅に隠された手記』――END




