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盲目の男の話

作者: 二戻 砂月
掲載日:2021/06/11

超短編小説です。

一話限り完結となっています。


あるところに盲目の男がおりました。


男はうまれつきの病気で大掛かりな手術をしなければ治らないほどのものでした。


男はクラシック音楽とワインが好きでした。


いつも夕暮れになると男はテラスの椅子に座り、ワインを嗜むのでした。


そんな男にはある恋人がおりました。


その女は目が見えていなくても人生を楽しむその男の生き方に惚れていました。


男も目の不自由な自分を支えてくれる恋人のことがとても好きでした。


女は毎日、夕暮れになるとテラスへと赴き、自分のグラスにワインを少量注ぐと、男のグラスと 自分のグラスを合わせるのを日課としていました。


男はその時に静かな家に鳴り響くチリンという音を何よりも好いていました。


しかし男は女と結婚しようとは思っていませんでした。


目が不自由な自分と結婚してしまっては彼女の負担を増やすことになることを知っていたからで す。


女はそのことに感づいておりました。


そして男に悟られぬようにお金を借りて回っていました。


女は、その金額は返すことができないほど莫大な金額であることは承知していましたが、女に とって自分の身のことよりもは男の目が見えるようになってくれることの方が大事でした。


しかし、男の手術代が集まる前に女は死にました。


交通事故でした。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





今日も夕暮れが訪れた。 男はほとんど光を写さない目に温かな西日が差し込むことで夕暮れに気づいた。 そして慣れた動きでテラスに向かい、いつもの席にゆっくりと腰を下ろした。 そばに置いてあるワインセラーからワインと二つのグラスを取り出すと、そのうちの一つにワイ ンを注ぐ。 見えないながらも、暖かな夕日の温度や、仕事を終え、帰路に着く人々の話し声はいつも男の心 を温かくするのだった。

ふと、男は振り返った。 振り返っても何も見えないのはわかっていたが、男はいつも目を見て話すことを心がけていた。 男の視線の先には女が立っていた。


「おかえり、今日はゆっくりだったね」


男は柔らかな微笑を浮かべてそう言った。

返事はない。


「君も疲れただろう、こっちに座ってワインでも飲まないかい?」


男は見えないながらも慣れ親しんだ気配に向かって言葉を投げかける。

返事はない。

しばらくの沈黙の後、男はふっと微笑むと自分の隣の椅子を静かに引いた。

そして視線も背後から隣の椅子へと移動する。

まるで誰かの動きを目で追うかのように。


「今日はいい天気だった。何かいいことが起こりそうな予感がしてね、君に早く会えないかと首

を長くして待っていたんだよ」


返事はない。

当然だ。

返事は二度と返ってこないのだ。

もうこの世に男の愛した女は存在しないのだから。 ただそこにあるのは、誰ももう座ることのないであろう空席と、空のワイングラスだけ。


「今日はワインは飲まないのかい?」


男は女に向かって聞く。 男は女が今日はワイングラスを鳴らさないのが気になっていた。 返事はない。 男のこの世で最も好きな音が鳴り響くことはもう二度とない。 グラスを鳴らしてくれる相手はいないのだから。

沈黙が続いた。

男は女の返事を待っていた。

随分と長く沈黙の時間が過ぎた。 街の人気は段々と少なくなり、街は静けさを取り戻す。 それはまるで二人の動向を固唾を飲んで見守るかのようだった。 長い沈黙を経てゆっくりと男は口をひらく。


「そういえば、君はお酒をやめたんだったっけ・・・」


そう呟いた男の目はどこか遠くを見ていた。

そして女の方を見る。 その目は何も見えていないのにしかと何かを見つめるような、あるいは何かを見透かすようだっ た。


「それでね、今日実はこの街に今度オーケストラが来ることを知ったんだ。今度君と一緒に観に

行きたいと思ってさ・・・・」


そして男はいつものように話し始める。

その声はとても楽しそうで、幸せそうで、どこか寂しそうだった。

男はたくさんの話をした。

音楽のこと、女と出かけた時の思い出、隣の家の猫の声が間抜けだという話、今度見に行きたい

というオーケストラの話。

男は三日三晩話し続けた、誰もいない席に向かって。

しかし男は心底幸せそうであった。

そして話は女と過ごす夕暮れの日課の話へと移った。


「僕はね、君とグラスを合わせた時になる音がどんな音楽よりも好きなんだ。あれほど僕を幸せ にしてくれる音楽はこの世には存在しないよ」


男は愛おしそうにグラスを撫でる。 そのグラスは高級なものではないが男にとっては大切なものだった。 そのグラスを丁寧にテーブルの上に置く。 そして一呼吸置き、静かに、しかしはっきりと言葉を紡ぎ始めた。


「僕は、君のことが好きだ。世界で一番君を愛している。神に誓ってだ。・・・・でも君とは結

婚しないつもりでいた。君に負担はかけたくなかったんだ・・・」


男の声は震えていた。


「でもそれは逃げていたんだ。君に負担をかけてしまう自分を許すことができなかった。君はも うすでに僕のことを受け入れてくれてたというのに。僕は大馬鹿者だよ」


男は女を見つめる。


その目には涙があふれんとしていた。

男の心が限界であるのは女から見てもわかった。


「目が見えるようになったら言おうと先延ばしにしていた言葉があるんだ、それを聞いてほし い。僕は目が悪い、世界だけじゃなく、君の気持ちすらろくに見ることができてないような出来 の悪い目を持ってる。でもそんな僕でも今日まで生きてこられた。君がいたからだ。君が支えて くれたからだ。目が見えてなくても君がいるだけで幸せだった。君の鳴らすグラスの音が例えよ うがないぐらい愛おしかった。僕には目なんて最初から必要なかったんだ、君だけでよかったん だよ。」


男の目から涙が溢れ出た。

もう男にはその涙を止める手段はなかった、止めたくなかった。 この想いは誰にも届かない、この言葉の続きは誰も聞いてはくれない。 男は声を上げて泣いた。 ずっと伝えたかった、叫びたかった、抱きしめたかった、様々な思いが胸の中から濁流となって 流れ出す。 幸福も、後悔も、思い出も、伝えたかった思いも、全てが混ざり合った心の叫びが男の全身を突 き破って吐き出される。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




いつの間にか男はテーブルに突っ伏していた。 男はテーブルに頭を乗せたまま、懇願するかのように神に祈る。 彼女に逢いたい。一目でいい。彼女をこの目で見たい。 そして彼女に直接伝えさせて欲しい、この言葉の続きを、僕の願いはそれだけなんだ、 ただそれだけなのに________。



チリン、と音が鳴った。

音は静かな部屋にこだました。

はっと男は顔をあげる。

そして自分の視界の変化に困惑する。

月明かりに照らされる街、輝く星々、飲みかけのワインのグラス。


二つのワイングラスにはそれぞれワインが注がれていた。 見たことのない景色だ、いや、男はそもそも景色というものを見たことすらなかった。 だが男は全てを理解した。

そして微笑んだ。

そんな男の前から一つ、ワイングラスが手に取られる。 そのグラスをつまむ指は月明かりに照らされて透き通っていた。 そしてチリン、もう一度音が鳴る。

それを鳴らした女は柔らかく微笑む。

男は女に向かって微笑み返し、口を開いた。




「僕と結婚してください」

完

読んでいただきありがとうございました。

批評などたくさん受け付けております、むしろたくさん悪い点を指摘してくださるとありがたいです。


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