今日は何の日:田中正造が足尾銅山について直訴(1901年12月10日)
本日12月10日は、田中正造が足尾銅山の鉱毒事件について、明治天皇に直訴した日であるらしい。
フーン。足尾銅山か。ここ行ったことあるわ。
写真:栃木観光協会
Half-Lifeという海外ゲームの坑道マップを彷彿とさせるような、あるいは宮崎アニメか何かでトロッコ走らせて逃げるシーンとかあった気がするが、そんな気分に浸りつつ坑道内部を観光した。
また、併設に銅関連の資料館があり、銅銭を作る過程とかがあった。今なら歴史転生チートもできるだろうか。
しかし最も印象に残ったのは、観光協会が力を入れている? 足尾銅山の坑道内部ではなく、高台から見た周りの景色だった。(写真取ったハズだが探すの面倒くさいので国の公開写真を引用)
写真:関東森林管理局 足尾地区三川ダム上流
ここは日本か? 西部劇に出てくるような、広大なはげ山が続く。一見の価値がある。日本のグランドキャニオンと呼ばれているらしい(松木渓谷)。え、そういうネタなの?
しかし、これでも部分的に緑が戻ってきたほうらしい。
”かつては草木が枯れ果てた山肌も、現在では、久蔵沢や安蘇沢を中心に緑が着実に回復しつつあります。緑が回復するにつれ、山にはツキノワグマやニホンカモシカ、川にはイワナやヤマメといった生きものが見られるようになってきています。”
- 足尾荒廃地の緑化 関東森林管理局
足尾精錬所付近の状況(昭和28年)
久蔵沢(昭和30年代前半)
↓ 約55年後
久蔵沢(平成22年)
1890年(明治23年)代から農民の鉱毒反対運動があり、「押出し」(現在のデモ)が起き、1900年に警官と衝突、逮捕(川俣事件)。これを受けて、現地を地盤とする帝国議会(現在の国会)議員、田中正造が「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」という議会演説をした。
”民を殺すは國家を殺すなり。
法を蔑にするは國家を蔑にするなり。
皆自ら國を毀つなり。
財用を濫り民を殺し法を亂して而して亡びざる國なし。之を奈何。
右質問に及候也。”
しかし当時の総理大臣・山縣有朋、農商務大臣・陸奥宗光は黙殺。
陸奥宗光の二男潤吉は、足尾銅山の経営者、古河市兵衛の養子となっており、後に古河財閥の後継者となった。息子を罰するような提案は受け入れ難かったのか? あるいは鉱業優先の国家戦略のためか?
議員としての発言を封じられた彼は、その翌年の1901年12月10日、明治天皇の馬車に足尾鉱毒事件について直訴する「御願が御座ります――」。しかし騎兵の槍に躓いて届かず。直訴には失敗したが、訴えは広く知られた。
しかし・・・
訴えは認められなかった。
1905年、政府は該当地域の谷中村全域を買収して、鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てた。田中正造は反対運動の中心的な村をつぶす名目だとこれに反対。谷中村に移住してまで反対運動をしたが、残留民家の強制破壊により谷中村は消滅。(成田の映像は見たことあるが、似たようなものだろうか。)
そして、1912-1918年、大戦、1963年-1998年 にかけて、現在の渡良瀬遊水地ができた。
鉱毒とは直接関係ないが、深読みすると、
”財用を濫り民を殺し” 富国(強兵)にひた走って、
”法を亂して” 法の抜け道を利用(統帥権がどうのとか、大臣出さないとか)して軍部が力握ったりして、
"而して亡びざる國なし" 大日本帝国は滅びてしまった。
という未来を暗示してるように読めなくもない。
それから約70年後。
1970年(昭和45年)、渡良瀬川から基準値を超える砒素を検出。1971年、米からカドミウムが検出された。翌1972年、足尾銅山が原因と群馬県が断定。
1972年(昭和47年)、代々垂れ流され続けてきた被害農民らが、足尾銅山経営企業を相手どり、国の公害調査機関に提訴。2年後の1974年(昭和49年)、15億5,000万円で和解が成立した。
興味深いことに、1961-1965にかけて、水俣病や同様の病気が医学的な裏付けとともに指摘され、1968年、厚生省が工場排水が原因であると公表した。そして1969-1971にかけて、水俣病の提訴や損害賠償、公害認定が行われている。
そうした時代の中で、足尾銅山の鉱山被害が70年ぶりに(農民はずっと反対運動していたが、政府や社会に)再発見され、公害認定されたのではなかろうか。
足尾銅山は1973年(昭和48年)に閉山となった。しかし「銅山」が閉山しただけで、輸入鉱石での製練が続けられ、製練所の廃水が渡良瀬川を汚染することに変りはなかった。(*2)
1989年(平成元年)にJR足尾線の貨物輸送が廃止されて(現わたらせ渓谷鉄道に移行)、鉱石からの製錬事業を休止。
2011年3月11日、1958年に決壊した源五郎沢堆積場が東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により再び決壊。鉱毒汚染物質が渡良瀬川に流下し、下流の農業用水取水地点で基準値を超える鉛が検出される。
足 尾 銅 山 公 害 は ま だ 終 わ っ て い な か っ た
”永遠に続く公害対策 「宿命」年4~5億円投入
日光市足尾の中心部を見下ろす山腹に、巨大な「ダム」の堤防が横たわる。閉山後も鉱山内から排出される重金属を含んだ沈殿物を集積する「簀子橋堆積場」(幅337メートル、奥行き800メートル)だ。いわば旧足尾銅山の最終処分場。決壊という事態に陥れば、渡良瀬川に流れ、鉱毒の惨事が繰り返されかねない。
「365日24時間体制で、安全確認を徹底している」。
(略)
1973年の足尾銅山閉山から40年。「公害の原点」といわれる足尾では現在も、鉱毒事件という「負の遺産」と向き合う日々が続く。”
- 下野新聞 2013年7月2日
銅山そのものは、現在は観光地となっている。そして田中正造が明治天皇へ渡そうとした直訴状は、2013年(平成25年)に私的にご旅行された明仁天皇(現上皇)がご覧になった。直訴未遂から112年後のことだった。
”佐野市郷土博物館では鉱毒問題に取り組んだ田中正造が明治天皇へ手渡そうとした直訴状をご覧になった。”
- 産経ニュース:両陛下、栃木で田中正造の直訴状ご覧に 2014.5.21 (*3)
100年以上をかけて、農民の被害は認定され、直訴状もご覧いただいた。しかし自然は・・・
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資料:陸奥宗光と古河潤吉と古川財閥
”この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の邸宅でしたが、次男が古河家の養子になったのち、古河家の所有となりました。尚、この当時の建物は現存していません。”
- 庭園へ行こう:東京都公園協会
”古河財閥【ふるかわざいばつ】
古河市兵衛創始の金属鉱業を基盤に形成された財閥。足尾鉱山の開発に成功して発展。発展のかげで足尾鉱毒事件が起き,それを契機に2代目古河潤吉(注:陸奥宗光の二男)が組織改革を行い1905年古河鉱業(古河機械金属)を設立。以後金属加工,電機,化学など経営を多角化。直系・傍系80数社を支配。1920年の恐慌期にその勢いは少し衰えるが,満州事変後の軍需景気で復活。第2次大戦後,財閥解体により古河家の支配は排除されたが,古河電気工業,日本軽金属,富士通,横浜ゴム,第一勧業銀行(注:現みずほ銀行)などの〈古河三水会〉を中心とした古河グループを形成。
→関連項目朝日生命保険[相互会社]|ジーメンス[会社]”
- 百科事典マイペディア
大学教授の論文がいろいろえぐすぎる。まとめ切らん。
本貿易振興機構(JETRO) アジア経済研究所
足尾銅山の鉱毒問題の展開過程
著者名: 菅井益郎
シリーズ名: 国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告
出版年: 1982年 (*2)
(*1) 足尾荒廃地の緑化 関東森林管理局
http://www.rinya.maff.go.jp/kanto/policy/business/santi-saigai/ashio/asiokouhaiti.html
(*2) 足尾銅山の鉱毒問題の展開過程
https://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/wp_unu_jpn76.html
(注:と論文にはあるけど、浄化装置とかないんかな?)
(*3) 産経ニュース:両陛下、栃木で田中正造の直訴状ご覧に 2014.5.21
https://www.sankei.com/life/news/140521/lif1405210002-n1.html
参考: wikipedia
佐野市郷土博物館 https://www.city.sano.lg.jp/sp/kyodohakubutsukan/tenji/2/1217.html
田中正造出身地の佐野市郷土博物館の解説だと、思い切り田中正義で政府悪視点で書いてるけど、ええんかいな。今は亡き大日本帝国政府だからどうでもいい?
関連(青空文庫):
田中 正造
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person649.html
亡国に至るを知らざれば之即ち亡国の儀に付質問
https://www.aozora.gr.jp/cards/000649/card4892.html
直訴状
https://www.aozora.gr.jp/cards/000649/card4889.html
おっと、直訴状まで読めるとは。現代語じゃないので読みにくいが、歴史ロマン?
木下 尚江
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person525.html
彼を取材しつづけた毎日新聞記者。後に社会民主党の結成に参加。
佐野だより(第一報)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000525/card43025.html
足尾銅山の鉱毒被害を訴えるために大挙東京へ行こうとした農民を阻止する為に「川俣事件」が起こった。その翌日、毎日新聞の特派員として現地を訪れ、佐野から発した現地第一報。
鉱毒飛沫(第二報)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000525/card42765.html
雪中の日光より(第三報)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000525/card43026.html
政治の破産者・田中正造
https://www.aozora.gr.jp/cards/000525/card42766.html
臨終の田中正造
https://www.aozora.gr.jp/cards/000525/card43027.html
大野人
https://www.aozora.gr.jp/cards/000525/card43240.html