木下茜:理想の恋愛
「じゃあ最近、茜はその瀬戸先輩? って人と仲いいんだ」
さくちゃんが、目の前のパフェをスプーンでつつきながら私と夏芽を見る。
高校生になってから、幼なじみたちの中で私が今でもしょっちゅう会っているのは夏芽とさくちゃんだけだ。こうして定期的に会うたびに、さくちゃんの甘いもの好きが増している気がする。本人曰く多忙によるストレスの発散方法らしい。
今日はここのファミレスで一番大きなサイズのいちごパフェを注文している。
そのパフェの大きさに若干引きながら、私は自分のチョコケーキを一口食べた。隣では夏芽が学校帰りの夕方にも関わらず、ハンバーグセットを黙々と食べている。絶対、家に帰って晩ごはん食べられなくておばさんに怒られるやつだ……。
「まあ、仲良いとまで言えるのかよくわからないけど、よく喋るようになった。向こうからも声かけてくれるし」
「へー。じゃあ付き合うの?」
軽い口調でそう尋ねられて、曖昧に首を傾げる。一緒に駅まで帰った日以来、瀬戸先輩はたびたび私を見つけては話しかけてくれるようになった。一見友だち同士みたいな関係だけれど、一応状況は私の返事待ち、ということだ。
私が告白にOKするなり断るなりしない限り、今のような中途半端な状態が続く。それはさすがに瀬戸先輩に悪いなと思うわけで。
「……たぶん」
「たぶんって何よ」
「先輩、一緒にいて嫌じゃないし、友だちとしては好きかなーって思う。だけど彼氏となると、まだ知らないことが多すぎるというか……。こんな感じで付き合っても大丈夫だと思う?」
「そんなの私もわかんないよ。こっちだって彼氏いたことないもん。ていうか恋愛禁止になっちゃったし」
「え……事務所から?」
「なんで? アイドルでもないのに」
不満そうな表情のさくちゃんに向かって、私も夏芽も目を丸くした。
彼女は夏頃に、東京の芸能事務所に入った。詳しいことは教えてくれなかったけれど、みんなに内緒で中三の冬にオーディションに応募していたらしい。ここは東京から距離があるため、今は高校の勉強や部活をこなしながら、週一回ほどデビューに向けて東京にレッスンに通う日々を送っている。最近、女優として活動する方向に決まりつつあるらしく、歌やダンスよりも演技の課題が増えているとこのあいだ愚痴を聞かされたところだ。
「同じ事務所の少し年上の先輩が熱愛報道されたうえに、相手の芸能人と金銭問題で揉めてるらしくてさ。十代のうちは原則恋愛禁止っていう新しいルールができちゃったの。……それに、私のデビューも決まったし」
「ええ!?」
「いつ!?」
再び、夏芽と一緒に目を丸くしてしまう。さくちゃんははにかみながら、春から放送の連ドラ、と教えてくれた。
「もちろん脇役だけど、オーディション受かったの」
「おお~おめでとう」
「よかったね。頑張って」
「うん。ありがと」
にこりと笑って、彼女は目線を窓の外に向けた。冬の空は日が落ちるのが早い。さっきまで明るかったはずが、もう薄暗くなっていた。
「ねえ。明日さ、シオンの命日だね。生きててくれたら、二人みたいに喜んでくれたよね」
突然出てきたシオンの名前に、油断していた私はぎゅっと胸がしめつけられる。それでも夏芽と一緒にゆっくりとうなずいた。
「そうだね」
「俺たちよりももっとはしゃいで喜んだよ、きっと」
そうだ、もう明日だ。もう一年になるんだ。
時間の流れの速さにしんみりとしながら、私たちはにぎやかなファミレスの一角で黙り込んだ。彼がいなくなった季節だからだろうか。それとも、瀬戸先輩が少し似ているからだろうか。最近、シオンのことを思い出すことが増えている。
ファミレスから家への帰り際、さくちゃんがそういえば、と思い出したように私に言った。
「茜、さっきの先輩と付き合うかどうか、の話なんだけど」
「うん?」
「告白されたからって好きになるかどうかは別だし、知らないことが多すぎるっていうのも、なんか私、わかるな~って思った。誰でもいいから彼氏がほしいって言ってる友だちも私の周りにいるけどさ……私はそれよりも、自分がどんな恋愛がしたいのか、とか。そういうことが大事だと思う。なんか違うなって思うなら、断っちゃえばいいんじゃない」
「どんな恋愛……」
つぶやく私に、さくちゃんは困ったように笑った。
「ま、私も恋愛経験ないからわかんないんだけどね。なんか茜、迷ってるみたいだし、無理しないでね」
どんな恋愛がしたいか。そういえば前に同じことを考えたことがある。
長続きする恋愛がしたい。大切にされて、大切にできるような。
シオンと一緒にいるときにそう考えたことを思い出す。それから、シオンに見つめられて目をそらしたことも。あのとき立ち上がらずにあのまま彼の目の前で座り込んでいたら、私たちの関係は変わっていたかもしれない。
そこまで考えて、私は慌てて思考を瀬戸先輩に切り替えた。もう過去のことは考えても仕方がないのだ。
「瀬戸先輩?」
放課後、美化委員の用事で三年生の教室のある階の廊下を歩いていると、瀬戸先輩と会った。私に気づくと先輩は、軽く手を振ってくれる。
「それ、委員会の?」
「はい。備品チェックです」
私は手にしていたファイルを軽く掲げて見せた。定期的に学年の掃除用具を確認して、洗剤のような消耗品を補充するのも、委員の仕事なのだ。今回は補充するものもなかったから、このまま三年生の委員長にファイルを提出すれば仕事は終わる。
「先輩も備品チェックの当番ですか?」
「そう。ただ、教室備品のバケツの数が足りないクラスがあるから委員長や先生と補充の相談しなきゃなんだよ。あんなデカいもん、どこ行ったんだろうなー」
「そうなんですね」
たまに帚とか大きいものが行方不明になることはある。大抵、他の場所に間違ってしまわれていたりするのだけれど、委員としては、捜索や補充という面倒な仕事が増えて困るのだ。
「すぐ終わりそうなら、待ってるんで一緒に帰りませんか?」
「ほんと? たぶんそんなにかかんないと思うから、じゃあ帰ろ」
瀬戸先輩は嬉しそうに笑った。そういう反応をしてもらえると、誘ってよかったなと思う。彼の笑顔はシオンの笑い方とも似ている気がして懐かしくなる。
そのまま私たちは三年の教室にいた委員長のところへ行き、私はファイルを渡して離脱。瀬戸先輩は委員長に事情を話して委員会担当の先生に備品補充のお願いをするために職員室へ向かった。
先輩を待つあいだ、昇降口でひとり下駄箱にもたれてぼんやりする。
校舎の中だけど、教室でもないから空調も効いていないし、それなりに寒い。巻いていたマフラーを少し上に引き上げて顔を覆った。
帰宅部の生徒はとっくに帰ってしまい、部活をやっている生徒はちょうど活動中の今、廊下や昇降口を通りかかる生徒はまばらだ。
静かな空間で、私はさくちゃんに昨日言われたことを思い返した。
どんな恋愛がしたいか。瀬戸先輩と付き合って長く続くかなんて、未来のことはわかるわけがない。だけどたぶん、大切にはしてもらえると思う。まだよく知らなくても、いい人だ、というのはなんとなくわかる。
だから大丈夫だよね、付き合っても。
「茜は高校でも美化委員かー」
話しかけられて横を向き、私は固まった。
「さっきの人、委員会の先輩?」
シオンが、さっきからそこにいたかのような顔で、私の隣に立っていた。
一瞬、思考が停止する。そこにいるのは、少し跳ねた黒髪に人懐こそうな瞳、赤いパーカーの上から中学校の学ランを着た、一年前そのまんまの、
藤田シオンだった。




