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木下茜:カピバラ

 シオンと私の関係は、歩いて一分もないところにお互いの家がある幼なじみだ。

 といっても、それはシオンだけじゃなくて、アンナはもちろん、夏芽や桜子、光志郎も同じ。みんな、すぐ近くに住んでいて幼稚園に入る前からよく一緒に遊んでいた。

 その中でもシオンはなぜか特別だった。

 みんなが集まっても私と彼は必ず隣り合わせに座って遊んでいたし、どんくさい私が転ぶと手を差し出すのはシオンだった。

 当たり前のようにシオンと一緒に小学校の登下校をして、放課後はどちらからともなくお互いの家を行き来して遊んだり宿題をしたりして、夏休みや冬休みもなんだかんだでどちらかの家でぐたぐだと駄弁って、というようなお互いにべったりな状態の小学校時代を経て、関係が変わったのは中学生になってからだ。


「俺さー、彼女できたー」


 藤田家のリビングの床に寝そべりアイスを食べながらそう言ったシオンを、私たちは凝視した。

 コウちゃんと夏芽とさくちゃんはテレビで格闘ゲームの対戦中で、そのすぐそばで私はマンガを、アンナは小説を読んでいた。

 いつも通りの夏休みだった。


「……誰っ?」


 コウちゃんがコントローラーを投げ出してシオンににじり寄る。彼が動かしていたキャラクターは、夏芽のキャラクターによってあっという間に倒されてしまったが、本人はもう対戦の勝ち負けはどうでもいいらしく、画面をまったく見ていない。


「麻衣ちゃん」

「あー、麻衣ちゃん」


 私と夏芽とさくちゃんとアンナが、麻衣って誰? という顔をすると、コウちゃんが「俺らの友だち」と教えてくれた。


「隣の中学の一年生の女の子。前にうちの学校の先輩にカラオケに誘われてシオンと一緒に行ったら、向こうの学校のやつも混じってて麻衣ちゃんとも知りあった。だよな」


 コウちゃんに確認されて、シオンは小さくうなずいた。

 なんとなくわかった。つまり……


「シオンたちの不良仲間の一人ってわけだ」


 私が考えたことをさくちゃんが代弁してくれる。シオンとコウちゃんはここ一か月ほどのあいだに、いつの間にかちょっと怖そうな同級生や先輩とつるむようになり、部活も授業もさぼりがちになっていた。どうやら他校の同じようなタイプの人とも一緒に遊んだりと交流があるみたいだ。

 私が何も変わらず黙々と学校に通い部活に参加して家で宿題をやっつけたりして日々を過ごしているうちに、いつの間にかシオンの耳にはピアスが光り、コウちゃんの髪は茶色になっている。

 二人を変化させてしまった中学校という場所が少し怖い。シオンに彼女ができたこともだ。私たちはまだ誰も、誰かと付き合ったことがなかった。一人だけ抜けがけされたような気分。


「俺、そんなに不良じゃないと思うけどなあ」

「不良だろー。そんなちゃらちゃらした見た目しといてさあ」

「夏芽は不良をはき違えてるよ。先輩たちの中にはタバコ吸ったり無免許でバイク乗ったりしてる人もいるけど、俺とコウはそういうのには手を出してない!」

「そういうのは真の不良っていうんだよー。シオンは……仮の不良?」

「仮の不良ってなんだよ」


 言い合いを始めたシオンと夏芽の横で、ゲームを一人勝ちして終了させたさくちゃんがコントローラーを床に置いて笑った。


「コウも夏芽も見てないあいだに私が勝っちゃったよーん。まあ何にせよ、おめでとうってことでいいんじゃない? 初カノジョじゃん」


 カノジョ。シオンがその麻衣という人を彼女として特別扱いをすることになるということが、いまいち想像ができない。

 なんとなく隣を見ると、ずっと黙っていたアンナが淡々と口を開いた。


「中学生の恋愛など、お遊びである。好きも恋も愛もわかっていないくせに恋人ができたところで、他人をおもちゃのように所有したい独占欲と、自分は周囲よりも大人であると誇示し自慢したい傲慢さしか、そこには存在していない」

「……アンナ?」

「お前、どうした?」


 思わず私とコウちゃんが声をかけるけれど、彼女は不機嫌そうに立ち上がった。

「そんな彼女作るとかどうでもいいことをしてる暇があるなら、普段の行いを反省してください。あんたが学校無断でさぼったりするせいで、お母さんがしょっちゅう学校に呼び出されて困ってるってのに……」

「どこ行くの」

「トイレ!」


 私にそう言ってリビングを出て行ってしまったアンナを見送ってから、私たちは顔を見合わせた。


「アンナちゃんはどうしちゃったの」

「難しい本の読みすぎで悟りを開いてしまったとか? 期末テスト学年一位だったって」

「一位!? すげー。でも怒りっぽくなってない? 特にシオンに対して」

「……俺のことが気に入らないんだろ。あいつクソ真面目だから」


 シオンが吐き捨てるようにつぶやいた。


「でも俺だって気に入らねえよ。こっちのやることなすこと否定して。お行儀よく人形みたいに先生の言うこと聞いてお勉強して、優等生でいることがそんなに偉いのかよ」


 わかるわー、とうなずくコウちゃんとなんとなく同意の笑みを浮かべているさくちゃんに対して、私と夏芽は複雑な気分で目を見交わした。

 シオンやコウちゃんほどではないけれど、さくちゃんも制服を着崩してたまに先生に注意されるタイプだ。一方で私や夏芽は校則を基本的には真面目に守っている。

 どちらかといえばアンナ寄りだけれど、彼女ほど頑固でもないからシオンたちに拒否反応があるわけでもないという中途半端な立ち位置。

 微妙な表情をしている私に気づいたシオンが、気まずそうに頬を掻いた。


「えーっと。茜は今のままでいいと思います」

「なんで敬語」

「なんとなく。とにかく茜は今のままが可愛いからそのままグレないで。アイスあげる」


 ごまかすように食べかけのカップアイスを押し付けられる。


「また茜ちゃんだけ甘やかしてる。俺もアイスほしいなー」

「夏芽の分は、ない」

「なんでだよ、ひいき良くない」


 さくちゃんとコウちゃんが笑いながら夏芽の肩を叩いた。


「あきらめろ。シオンの茜大好きモードは今に始まったことではない」

「私のぽっきーあげるから元気出しな。……でもシオンに彼女ができたんなら、ほどほどの距離感にしたほうがいいんじゃない? あんたたちがただ仲良しってだけなの、うちらはわかってるけど、彼女さんはそんなの知らないだろうし浮気とか誤解されるかもしれないよ」

「ほどほどの距離感ってどんなだよ?」


 それは私もよくわからない。友だちとして何をしても良くて、何をしてはいけないのか。

 突然、シオンが私にぎゅうっと抱きついてきた。


「こういうのは駄目ってこと?」

「アウトアウトアウト!」

「駄目に決まってんじゃん」


 私がぽかんとしているうちに、コウちゃんとさくちゃんの手によってシオンが引きはがされていく。

 さすがに今のが駄目なのはわかる。

 わかるけど、なんだろう。

 今までに感じたことのない、胸の痛みのようなものが私を突き刺していた。

 私たちの様子を黙って見ていた夏芽と目が合う。彼はきょとんと私を見て、微笑んだ。

 私の戸惑いを見透かしているかのように。







 私はまだよく知らない瀬戸先輩との距離感をはかりかねていた。

 隣を歩けばいいのか後ろをついていけばいいのか迷って、彼が放課後すぐに教室に迎えに来てくれてから、中途半端に彼の斜め後ろをキープしながら校舎を出る。


「俺、自転車通学なんだけど、木下さんは?」

「電車です」

「じゃあ駅まで一緒に行こう。俺の家、駅の向こう側だからちょうど良かったよ」


 そう言って校門横の駐輪場へ向かう瀬戸先輩についていきながら、少しほっとしていた。

 たぶん私はこの人のことを嫌いではない。

 柔らかくて明るい声、適度に見せてくれる笑顔、はきはきとした話し方と動き。そういったものに緊張がほどけていく。

 瀬戸先輩の自転車は、至って普通のママチャリだった。というか、この学校に自転車で通学してくる人はみんなママチャリだ。マウンテンバイクとかに乗って来たら先生に注意される。


「乗ってく?」

「え?」


 一瞬、何を言われたのかわからなくて私は瞬きをした。

 視界の端に二人乗りで校門を出ようとしている他の生徒が目に入り、ああ、と合点がいく。


「乗りません」


 自分でも思っていた以上にきっぱりとした口調になってしまった。先輩も驚いたように目を丸くしている。

 私はごまかすようにして笑みを浮かべた。


「自転車に乗ったら真の姿に戻ってしまうので」

「真の姿とは」

「カピバラです」

「なるほど」


 瀬戸先輩は大真面目な顔で頷き、「じゃあ歩こう」と自転車を押し始めた。

 下手くそな冗談に乗ってくれる優しい人だということは、なんとなくわかった。

 変なこと言う子だなとは思われたかもしれないけど、自転車に乗るよりはマシだ。身近な人間が死んだ例を知っているのに、二人乗りなんて怖くてできない。

 校門から最寄り駅までは徒歩で十五分ほどだ。私たち以外の帰宅する生徒も多くて、小さなビルや商業施設が並ぶ道を同じ制服の人たちが何人も歩いている。

 最初は「寒いね」とかいう初対面の会話のお手本のような会話を意味なく続けていた私たちだけれど、途中からはありがたいことに、瀬戸先輩が話題を振ってくれるようになった。


「木下さん、部活は何かやってんの?」

「いえ、帰宅部です。中学のときは手芸部だったんですけど」

「そうだったんだ。この高校は手芸部ないもんなあ」

「先輩は?」

「俺も帰宅部。だから、何もやってないなら暇だろーってクラスで美化委員を押し付けられたわけよ」


 面倒そうに言ってはいるけれど、彼は普段の委員会の活動はちゃんとやっているのを知っている。

 各クラスの清掃状況や掃除用具の管理、学校の花壇の水やりといったような、地味な仕事が多いのだ。さぼる委員もちらほらいる分、真面目にやっている人も目立つ。

 瀬戸先輩は文句を言いつつもなんだかんだで仕事をするタイプだ。


「木下さんは? なんで美化委員?」

「なんていうか……学校を綺麗にするっていう目的がはっきりしているところが好きで。放送委員みたいに喋らなくていいのも楽だし、ボランティア委員みたいに何をやるのかよくわからないのも、もやもやするっていうか」

「ああ、なんかわかるかも」


 実は小学生の頃からずっと、同じ理由で美化委員をやっている。小学校にしろ中学校にしろ今にしろ、どこでも仕事内容はそんなに変わらない。この不思議な単調さがわりと好きだったりする。

 面倒くさがりのコウちゃんや新しいことが好きなさくちゃんは、そんな私を「意味わからん」と言っていたけれど。

 中学までの委員会のことを思い出したついでに、昨年の冬にシオンと交わした会話が頭の中によみがえった。

 確か、一緒に美化委員をやっている男子のことを訊かれたんだ。

 好きなの? って。

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