木下茜:一年後
ここから茜視点です。まだ序盤なのにプロットを無視して登場人物が暴走し始めました。なんだか自分の手に負えない内容になりそうですが、なんとか最後まで書けるように頑張ります…。
シオンの葬儀の日のことを、私はほとんど忘れてしまった。
彼が事故に遭ったのは、光志郎と自転車に二人乗りをしながら帰宅している途中のことだったらしい。
葬儀に参列する前に集まった暗い顔の私たちの中で、アンナが光志郎につかみかかったのだけは、なんとなく覚えている。
彼女は光志郎に詰め寄りながら、なんでシオンだけ、光志郎を責めるように口走っていた。けれどそれもぼんやりとした記憶だ。
光志郎も事故に遭ったのは事実で、彼は足を骨折して松葉杖をついていた。
そんな状態の彼にかまわず胸倉をつかむアンナと、それを止めようとしている夏芽の三人がもみくちゃになっている光景を見ていられなくて、私はその場にしゃがみこんで泣いた。
桜子に背中をさすられながら、泣いた。
結局、大人たちがすっ飛んできてアンナたちを止めて、泣き止めなかった私も葬儀には参列せずに親に連れられて帰った。帰り道のことはもう、思い出せない。
ただ、冷たくなったシオンもシオンの遺影も見ないですんだのは、ほっとしている。その一方で、そうしたものを見なかったおかげで、まだ彼が生きているような気がしてならない。
一年が経とうとしている、今もまだ。
*
「俺と、付き合ってください」
比較的周囲から目立たない廊下のすみっこで勢いよく頭を下げられて、私の頭の中は真っ白になる。
告白なんてされたことがない。しかも相手はよく知らない上級生。
教室で友だちとお弁当を食べながら、いつも通りの昼休みを過ごしていたら、急にこの人が教室にやって来て私を呼んだのだ。
確か、同じ美化委員の人。委員会の全体ミーティングで顔を見たことがある。会話したことはないけど。
「あの、木下さん……?」
私が黙り込んでいると、彼は不安そうに頭を上げて、話しかけてきた。
アーモンド形の綺麗な目が私をまっすぐに見ている。ちょっとかっこいい顔の人だな、と思った。でも、いきなり付き合ってもいいかというと……うーん。
「えっと、二年の瀬戸先輩、ですよね?」
「そう、同じ委員会の瀬戸 大輔です」
「私、先輩の名前くらいしか知らないので、急にそんなこと言われても、正直困るといいますか……」
「それは確かにそうだよね……じゃあ、返事は追々でいいから、とりあえず友だちになるのは?」
物凄く本気の顔で提案されて、その必死さにつられてうなずいてしまう。
「は、はい……友だちならいい、です……」
「ほんと? それだけでも全然嬉しい、ありがとう!」
ぴょんと跳ねる瀬戸先輩を、何事かと通りかかった他の生徒たちが遠慮がちに見ながら通り過ぎていく。
先輩が着ている真っ赤なパーカーのフードが、彼が跳ねるタイミングに合わせて揺れた。
ふと、中学時代の記憶と目の前の光景がダブって見えた。
学ランの下に校則違反のパーカーを着て、校舎の中を走り回る幼なじみ。藤田シオン。
この高校は服装についてはあまり校則が厳しくないから、制服に私服を合わせてもいいし、髪染めやアクセサリーも問題ない。だから瀬戸先輩は校則違反をしているわけではない。だけど同じような服装をした彼は、どこかシオンに似ている気がした。
高校生になってからの新しい習慣となった電車通学は、私の好きな時間のひとつ。
毎日、朝二十分と夕方二十分、スマホを触ったり英単語を覚えたり、ぼんやりと窓の外の景色を眺めたりしながら過ごす。
一方で、一緒に電車に乗っている夏芽のほうは、嫌いな時間のようだけれど。
「電車、もう嫌だ……」
青い顔でそうつぶやく彼の背中を私はさすった。
「大丈夫? 夏芽が乗り物酔い体質って知らなかったよ」
「俺も自分のことなのに知らなかった」
はあ~、と大きなため息をつきながら、彼はリュックから取り出した水を飲む。せめて座席に座れればよかったのだけれど、学生の帰宅時間にちょうど被ってしまったこの時間、満員電車ではないものの空いている席は見当たらない。
これ以上遅い時間になると、部活終わりの学生や仕事終わりのサラリーマンが帰宅するピークになるから、車内の混雑はさらにひどくなる。
週三日ほど科学部で活動している夏芽はそうした混雑に巻き込まれる日もあって、大変そうだ。
地元の駅に着いて電車を降りると、夏芽は解放されたように深呼吸をした。
「冬の冷たい空気、最高~。電車って暖房効きすぎなんだよ」
「そうかな。私はちょうどいいくらいだけどなあ」
「うそ。それは茜ちゃんの感覚が変。冷え性なんじゃないの」
「変は言い過ぎでしょ」
言い合いながら改札を通り抜けたところで、誰かが夏芽の肩を叩いた。
「あ、コウちゃん」
同じく学校帰りらしいコウちゃんが、私たちを見てにこっと笑った。
「二人とも、久しぶり」
私よりも彼と仲の良い夏芽が嬉しそうに顔をほころばせた。
「久しぶり~。最近うちにも来ないから寂しかったよ。忙しいの?」
「うん、まあ。少し前にバイトも始めたから」
静かに答えるコウちゃんに、私たちはそっかと頷いた。少し複雑な気分になる。
あの交通事故以来、騒がしいことが特徴だった彼は、物静かな人間になってしまった。
お互い高校生になってから会う機会が減っているとはいえ、大声をあげて笑う姿は一度も見ていない。
コウちゃんがそんなだから、私もなんだかどう接すればいいのかわからないのだ。夏芽のように今まで通りにすることもできなくて、曖昧な笑顔を張り付けたまま、会話に加わり続ける。
すると急にコウちゃんの顔色が変わった。
「……あ、俺もう帰るわ、ばいばい」
「え、うん」
「あ、ばいばい……?」
慌てたように帰っていってしまった彼を、私と夏芽はわけがわからないまま見送る。
「なんだったんだ?」
「さあ……どうせ帰り道同じだし一緒に帰れるかと思ったのに」
けれど、彼が血相を変えて去ってしまった理由はすぐにわかった。
次の電車が駅に止まって、人がどんどん改札を抜けてくる。その中にアンナの姿があったのだ。
アンナは私と夏芽を見つけて目をとめると、表情を変えずにひらひらと私たちに向かって挨拶代わりに手を振り、そのまま歩いて行ってしまった。
「まだアンナのこと避けてるんだね」
「しょうがないよ。アンナちゃんがコウちゃんのことをまだ許してなくて、無視し続けてるんだから。コウちゃん自身も自分の自転車で二人乗りしたせいで事故になったんだって思い込んでるみたいだし」
コウちゃんの自転車はハンドルを曲げたりと元の形からかなりアレンジを加えていて、運転しにくい状態になっていた。先生にも注意されていたけど無視して直さなかったらしい。その自転車に二人乗り、しかも光志郎が運転していた。責任を感じるのはわかる。
当日の事故の様子を想像して、私はふるりと身震いをした。嫌だ、考えたくもない。
無理やり話題を変えようと思い、駅の出口へ歩きながらそういえば、と夏芽を見た。
「今日ね、二年生に告白されたんだ」
「……ええっ!?」
驚いた夏芽の丸い目と開いた口を見て、話題の方向転換ができたことにほっとする。
「どんな人?」
「委員会の先輩なんだけど、ほとんど喋ったことないからよくわかんない。見た感じはちょっとかっこいい」
「へえ、付き合うの?」
興味津々といった風の夏芽に対して、私は首を傾げた。
「返事はまたでいいからって言われて……とりあえず友だちになった。で、明日一緒に途中まで帰ろうって言われた。いい?」
「もちろん。俺明日部活だからいないし。もしかしたらこのまま流れで付き合うことになるかもしれないね。そのときは言ってね、俺、一緒に帰ったりするの遠慮するから」
「うん……ありがとう」
夏芽が言う通り、流されて付き合うのだろうか。誰かと付き合ったことがないから想像がつかない。
ふとシオンの顔が思い浮かぶ。彼を好きなのかよくわからないうちに、彼の存在そのものがいなくなってしまった。だから私は、恋がというものがよくわからないのだ。




