木崎桜子:花束と「いいこと」
目が合うと夏芽はぎょっとした表情で駆け寄ってきた。
「な、なんで泣いてんの!?」
「え、いや……ていうか、そっちこそなんでいるの?」
「さっき店で会ったとき様子が変だったっていうか、元気なさそうだったから心配で。スマホで連絡しても返事ないからここら辺探してた。なんかあった? ひとり?」
「えっ……と」
シオンが、と言おうとして、私の口は止まる。ちらりと後方を見てももうシオンの姿はなかったから。
これできっと、本当にばいばいだ。
そう思うとまた泣きそうになる。
「ほんと、どうした?」
「……夏芽はさ、私が、」
いなくなると寂しい? と問おうとして、首を横に振る。そうじゃない。
「私、寂しくて泣いてた」
え、と夏芽の茶色い瞳が見開かれる。
「何が……寂しいの?」
「一人が。春から仕事のために東京に引っ越すのが。家族とも、友達とも、は、離れて暮らす、のが」
人の目だとか年齢だとかを考えるのが面倒になり、やけくそな気分でそのまま子どもみたいに声をあげて泣く。
「さ、さくちゃん……」
はらはらと涙をこぼす私に夏芽がおろおろしているのもわかっているけど、自分でもどうしようもない。止め方がわからない。
このまま、不安も苛立ちも全部、私の中から一切残らず出ていってくれたらいいのに。
すると、私たちの隣に誰かが立つ気配がした。
「あの。道のど真ん中で迷惑なんですけどー」
近くの花屋のエプロンをつけた店員の青年が、呆れた顔でそこにいた。
「おねーさん、元気出して」
はい、と小さな花束を手渡される。
「これ、サービス。……女の子泣かすのサイテー」
「え、ちょ、ちが……」
花屋の店員は夏芽の言い分を聞くことなくさっさと店に戻っていった。2人でぽかんと見送る。
「……ご、めん。帰る」
しゃっくりをしながら言うと、「じゃあ俺も」と夏芽は私の背を軽く押した。
「さくちゃん」
「うん?」
「いいこと、かはわかんないけど、いいこと教えてあげようか」
「何それ……いいことかいいことじゃないのかどっちよ」
私の数歩先をいく夏芽の背中を追いかけながらながら尋ねると、夏芽は首を傾げつつ振り帰る。
「どっちだろ。あのね俺、東京の大学に合格したんだ。AO入試で」
「え……?」
東京、という単語に反応して思わず声を漏らす。彼はちらりと私を見て、自信なさげに立ち止まった。
「だから、俺だけだったらさくちゃんが一人になんないように、一緒にいてあげられるけど……」
「夏芽……」
「さくちゃんがしんどいもうダメってときに会いに行くとか話し相手くらいなら、できる。頼りにはならないだろうけどね」
一度落ち着きかけていた目の奥が再び熱くなってくる。それがまた流れ出さないように力を入れながら、私は首を横に振った。
「それだけで十分、頼りになる」
「ほんと?」
「ほんと。ありがとう。ちょっと気が楽になったかも」
「よかった」
柔らかい毛布で私をくるむように、夏芽が笑った。
その笑顔は初めて見るものみたいに私の瞳に鮮やかに映る。何年も前から見慣れた姿のはずなのに、
「さくちゃん、帰ろう」
彼の顔をじっと凝視していたことに気づいた私は、熱を持った目や頬をごまかすように瞬きをする。
いつの間にか涙もしゃっくりもおさまっていた。
「帰ろ。一緒に」
もう一度言われ、私は無言でうなずきだけを返した。
隣に並んで歩きながら、ふと手元の花束を見る。見たことのない花だ。
「なんて名前の花だろう」
「俺もわかんない。コウちゃんに訊いてみる?」
「なんでコウ?」
「なんか、そういう系の専門学校に進学するんだって。フラワーデザイナーを目指すとかで」
「そうなの!? というかあんたら男子はなんで進路教えてくれないの? 東京って聞いてびっくりしたんだけど!」
知らなかったことばっかりだ。夏芽の進学先をもっと早く聞いていたら、あんな大泣きすることなかったかもしれないのに。
今さらながら、泣き顔という彼の目の前で見せた失態に恥ずかしくなってきた。
「ごめん。言うタイミングがなかったんだよー」
夏芽は眉を八の字に下げながら、それでも穏やかに私に言った。
「綺麗なお花だね」
あたたかな声の響きは、私が幼い頃から知っている夏芽のものだ。
彼が高校や私の知らない場所でどんな日々を送っているのかなんてわからない。
でもどんなに変わってしまっても夏芽は私の幼なじみの、優しい夏芽だ。
2か月後。
「じゃあさく、私たち帰るからね。朝、一人でちゃんと起きられるね? 毎日3食ちゃんと食べなさいよ? それから、えーと……」
「お母さん、大丈夫だから」
玄関口で心配事を並べ立てるお母さんその場にいた私、お姉ちゃん、かすみ、夏芽が苦笑する。
みんな、私の引っ越し作業のために東京の新居に来てくれたのだ。夏芽は私よりも数週間早くこっちに着いていて、自分はもう落ち着いたからとわざわざ手伝いに来てくれた。
今日から生活の形が変わると思うと、春だなあと実感する。
お姉ちゃんが呆れてお母さんの肩に手を置いた。
「お母さん、さくはしっかりしてるから心配いらないって。ね?」
「うん、大丈夫だよお母さん。……でも」
初めての一人暮らしに不安がないわけではないけれど、たぶん大丈夫だと思う。
どちらかというと今はわくわくしている。けれど。
結局、シオンと夏芽以外に言えていなかったこと。ずるずる引き延ばしていたけれど、家族にもちゃんと言おう。
「ちょっと寂しいかな。お母さんたちと離れちゃうのは」
お母さんの瞳がほんのわずかに見開かれるのを私は見逃さなかった。
「……そうねえ。私もさくがいなくなると寂しいわ」
優しく見つめられて、ずっと私が欲しかった言葉をお母さんが口にしてくれる。
「私はー?」
「お姉ちゃんと会えないのも寂しい」
「だよね。いつでも連絡しなよ。電話ならすぐ喋れるんだし」
お姉ちゃんがふわりと頭を撫でてくれる。
「さく姉。あの、これ……」
かすみが遠慮がちに、縦長の茶封筒を私に差し出した。
「何?」
「ずっとリビングの棚に保管してたでしょ? でもやっぱり、さく姉のそばに置いとくほうがお守りになると思って勝手に持ってきちゃった」
中身は、中3の冬に届いたオーディションの通知だった。しかも、私の分だけでなくシオンの分も合わせて2枚。
「これから頑張るさく姉を、これまで頑張ってきたさく姉と天国のシオンさんが見守ってくれますように! でもあたしも寂しいから、ときどきは帰って来てね!」
かすみはそう一息に言い切ると、照れ隠しなのか勢いよく抱きついてきて、顔を私の胸に埋めた。
受け取ったその紙を握ったまま、私は彼女の背に腕を回した。
かすみの体温が私に伝わる。
私もこの子も生きている。そう思った。
花束くれた店員さんは那由多です




