木崎桜子:弱音
どうしてお母さんもかすみもそんな反応なの。私がいなくて寂しくないの。
誰だったら私のことを、もっと……。
また、くだらないことに思考を巡らせてしまっていた。
私は一度、大きく首を振って頭の中を空っぽにしようとする。
今日の私は一人でいつものファミレスにいた。
気が付くと今日は1月20日。シオンの命日だ。だからといって私が今日、特別に何かをするつもりはないけれど。
私たち幼なじみは、彼が亡くなった日だからといってわざわざ集まって弔うようなことはしない。昨年も一昨年も、それぞれがそれぞれなりに彼のことを思い出して過ごしたのだろう。
彼を利用してイベントごとのように会おうとはしないその空気は、私はわりと好きだ。ただその結果、今の自分はこうしてぽつんと隅のテーブルに座っている。
今日は光志郎もシフトには入っていない。茜も受験期にこちらから連絡するのははばかられて、結局ぼっちでパンケーキを完食したところだ。
大好きな甘いものを食べていても、頭の中では今みたいにどうしようもないことを考え込んでしまう。
ふうと息をつきながら、何もなくなった皿を眺める。しょうがない、帰ろう。
会計を終えて店を出ようと自動ドアに向かうと、向こうから高校生グループが入ってくるのとすれ違う。
「約束通り、あんたのおごりね」
「えー、やだよー」
「あたし高いやつ頼んじゃお」
「ナツメくん、今日はバイトの友だちシフト入ってないの?」
騒がしい女子たちの会話の中に聞き覚えのある名前が出てきて無意識に顔を上げる。と、その集団の中に夏芽がいた。
目が合うけれど、1秒も経たないうちに横から「あーっ」と声が割り込む。
「木崎桜子! さん!ですよね?」
「え、うそ! あたしインスタフォローしてるー」
その場にいた女の子たちから一気に視線を向けられて、私は曖昧に笑いながら軽く頭を下げ、逃げた。
感じ悪かったかな。でも、夏芽が見ている前で芸能人の桜子として上手く立ち回る自信がない。
というか何なのだ、あいつは。あんなうるさいだけの女の子たちに囲まれて、どういうつもりなんだ。受験生じゃないのか。勉強しなくていいのか。
なんだかだんだん腹が立ってきて、私は鼻息荒く歩く。すぐ近くの交差点にある自動販売機の側面に、もたれかかるように座り込んだ。
今の光景の何が私をこんなにいらつかせたのかはわからない。
でも無性に夏芽のばかやろうと叫びたい気分。どうしてあんな、ちゃらちゃらと遊んでいるの。どうして。
「今日、シオンの命日なのに……」
彼を思い出したりなんかしなさそうな、そんなことはどうでも良さそうな、気だるげな顔をしていた。
たぶん私はそれが許せないし、羨ましい。
「さっくー、久しぶり」
俯いて見ていた地面に暗く影が差す。見上げると、シオンが薄く微笑みながら私を見下ろしていた。
目をこすってみるけれど、その姿が消えることはない。
「何これ」
「藤田シオンだけど」
「そんなん知ってるけど」
そういう意味じゃなくて。幻を見ているのか、心霊現象なのか。
そういえば2年前に、茜がシオンと会ったとか言っていたなと急に思い出す。
半分信じて半分信じていなかったけれど、こんな感じで茜の前にも現れたのだろうか。
久方ぶりに見るシオンは、中学生の頃のままの姿をしていた。18歳になった私にとってはもう、年下の少年。
まだ戸惑っているこっちにはお構いなしに、シオンは私の隣にしゃがみ込む。
「どうよ、最近は」
「ど、どうって……」
「俺が応募したあれで、人気女優になれた?」
人気と言うにはまだまだほど遠い。だけどおかげで私の高校生活は中学時代に想像していたものとは全く違うものになってしまった。
文句のひとつも言ってやりたくて彼の腕を強めに叩くと、そこには生きているかのようにしっかりと人間の感触があった。
なのに彼の身体は全体的にどこかぼんやりとしていて、この世のものではないこともなんとなくわかる。
怖くなってきた私は考えるのをやめて明るく答えた。
「シオンが勝手に応募したから、私の人生めっちゃ変わったよ、まったくもう。学校と部活と仕事で死ぬほど忙しいし、どうせ高校卒業したら地元で就職すんだろなって思ってたのが、春から東京で芸能活動に専念するとか……わけわかんないよ」
「そっか。でも、ここまで続けたのはさっくーだろ。俺は最初のきっかけを作っただけ」
「それは……うん。そうだね」
途中で辞めなかったのは自分の意志だ。思い返せば結構楽しかったような気がする。
だったらシオンには感謝するべきなのかもしれない。でも。
「ずっとここで暮らせたらよかったのにな」
どうしようもない思いが声になって零れ落ちる。切ない響きを含むそれをごまかしたくて、私は慌てて続きの言葉を探した。
「えーと、ほら、やっぱ実家って居心地いいじゃん。一人暮らしは大変って聞くし。テレビ局がこっちに来てくれたらいいんだけどねえ。そしたらすっごく楽ちんに仕事ができ……」
「強がり」
ぴしゃりと遮られ、ひゅっと息をのむ。
「シオン……?」
彼はなめらかな口調で告げる。
「さっくーはずるい。自分からは何も言わないくせに、周りに自分の気持ちを察してもらおうとする。わがままだよねー」
一言一言が、私の胸を突き刺す。忘れかけていたいらつきが再びむくむくと膨らみ始める。
「シオン。あんた、何しに来たの」
私が睨んでも、シオンは特に気にする様子もなく穏やかに私を見ている。それが余計に気に障り、私は唇を噛み締めた。
「私のことを怒らせに来たわけ?」
「違うよ。お前のことが心配で来た。元気ないから」
「じゃあさっさと帰って。心配なんかしていらない。シオンなんかいなくても元気でやってるし毎日楽しいし全然寂しくなんかない。ばいばいさようなら」
「本気で言ってる?」
「……」
黙っていると、シオンは小さくため息をついて立ち上がった。
「わかった、ばいばい」
そうだよ、さっさと帰れ。
シオンは無言の私を残して、自動販売機の向こうへ姿を消した。
あーあ。なんだか嫌な気分になる時間だった。何これ。わざわざ幽霊に嫌味を言われる意味がわからない。
「……」
目の前の道路を自動車が通り過ぎていく。その音がやけに大きく耳に響いた。
一人になって10秒。15秒。20秒。
我慢できなくなってパッと立つ。
これが今生の別れになるのならそれはちょっと……最低だ。
「し、シオ……」
自動販売機をぐるりと回ってシオンがいなくなったほうへ数歩駆け寄る。
けれど、そこは街灯と道に面した小売店舗たちの光が、誰もいない歩道を照らしているだけだった。
思わず両手で口を覆う。後悔の波と一緒に涙がじわりと溢れそうになる。
何やってるんだろう。不思議な力が彼と私を再会させてくれたのなら、その貴重な時間に自分はなんてことを……。
「……ごめん。さっくー」
バッと勢いよく振り返ると、バツの悪そうな表情で首のあたりを掻いているシオンがいた。
「意地悪、しすぎたわ」
安堵で力が抜けてしまい、そのまま道の真ん中に座り込む。
「だってお前、高校生とか部活とか俺がやりたいことがっつりやって、これからにつながるすげえ仕事もこなして、なのになんか悩んでんだもん。ムカついたから、つい。ごめん」
いいな、さっくーは。未来があって。
そんなつぶやきがぽつんと落ちるのを聞いて、私の頬に涙が伝う。
「ご、ごめん、なさい……。違うの、ほんとはシオンと会えて嬉しかった。いなくなってからずっと寂しかったんだよ」
「うん。わかってる」
その短い返答にはもう、尖った響きはなかった。だからつい、本音を漏らしてしまう。
「シオンがいないだけで寂しかったのに、春からは私の周りに誰もいてくれないんだよ? 地元の友達も家族もいないとこで頑張るなんて、自信ない。私は寂しいのにお母さんもかすみも平気みたいだし……そうだ、さっき見かけた夏芽だって……!」
どうせ、私がこの街からいなくなったって何とも思わないのだろう。
私だけみんなと離れるのを怖がっている。みんなはそんなこと、ないのに。
情けない。恥ずかしい。それから、もっと寂しがってほしい。私と離れることを。
「ごめんね、こんなことシオンに言ってもしょうがないよね。困るよね」
鼻をすすりながらシオンを見上げると、彼はゆっくりと首を横に振る。
「そういうのを溜めこんでるところが強がりなんだよ。ちゃんと口に出して言いな? 俺以外のちゃんと生きてるやつらにも」
「で、でも……」
「別に恥ずかしいことでもなんでもない。言いさえすれば、案外みんな理解してくれる。そんなもんだ」
念押しするように瞳をのぞき込まれ、私は吸い寄せられるようにうなずいた。
それを確認したシオンは安心したように笑って、ぽんっと両手で私の両肩を一回叩いた。
「ごめんな。俺が応募したオーディションでお前の将来いろいろ変えて、悩ませて」
「……さっきと言ってること違うじゃん。いいよ、私が決めたことだよ」
「……うん」
「ありがとう」
私の人生を変えるきっかけをくれて。余計な悩みも増えたけど、許す。
まだ油断すると溢れそうになる涙をこらえながら、つっけんどんにお礼を言うと、シオンは黙ってうなずいた。
大丈夫。これで後悔しない。よかった、さっきのがお別れにならなくて。
「さくちゃん?」
ふいに、突っ立ったままの私を背後から呼ぶ声がして振り向く。
「あ……」
夏芽が、いた。




