木崎桜子:変わりゆくもの
女優としての仕事やレッスン、打ち合わせは、ロケじゃなければ基本的に都内で行われる。そのため私は近い距離とは言えない家と都内を頻繁に行き来する生活をしている。
特にダンス部を引退した夏頃からは、高橋さんが張り切ってスケジュールを埋め始めたから秋から冬にかけては移動ばかりしている気がする。
「春からこっちに来るよね? いくつか部屋の候補、見つけておいたから。これ資料」
「……え?」
打ち合わせのために事務所に行くと、高橋さんから突然ぽん、と高級そうなマンションのパンフレットを渡されて目を丸くする。何、これ。
「どこもセキュリティはばっちりだから安心して。芸能人の入居者も多いから色々と対策されてるし。家賃は会社側が負担します。もし内覧したいなら私に言ってくれれば向こうに連絡通すから……」
「ま、待ってください」
慌てて高橋さんの言葉をさえぎる。高橋さんはきょとんとした表情で私を見た。
「あ、あの……私まだ、春から都内に引っ越すかどうか決めてないです」
「そうなの!? えっ、でも進学はしないんだよね?」
「はい」
「だったら引っ越したほうがいいわよぉ。いつもここまで来るの大変でしょ? 木崎さんにはストレスなく仕事に専念してほしいし。部活も学業も頑張ってたから今まで女優の活動はセーブしてたけど、本当はたくさんオファー来てるし、とても注目されてるんだよ。これからもっと活躍してほしいなって私も他のスタッフも期待してるの」
「でも……いや、そうですね。資料ありがとうございます」
高橋さんが言っていることは何も間違っていない。
むしろ私がおかしいことを言っているのだ。地元で大学進学をするわけでもないし、どこに住んでも問題ないのだ。だったら上京して芸能活動に専念したほうがいいに決まっている。
私は色々なものを飲み込んで、素直に資料を受け取った。
何も変わってほしくない。
何も変えたくない。変わりたくない。
ある日突然シオンはいなくなったけれど、私はいなくなるのは嫌だ。この街からも、幼なじみたちの前からも。
「お疲れ様」
ファミレスの隅っこのテーブルで参考書とノートをにらめっこしている茜に声をかけると、顔を上げた彼女と目が合った。
少し垂れた優し気な瞳の下にうっすらとクマができている。
根を詰めて勉強しているのだろう。彼女は地元の国立大への進学を目指している。12月、受験生にとっては大事な時期だ。
「さくちゃんもお疲れ様。昨日、テレビに出てるの見たよ」
「夜のクイズ番組?」
「うん」
「アホな回答いっぱいしてたでしょ。恥ずかしい」
「そんなことないない」
そう言いながら茜は、向かいに座った私にメニューを差し出してくれた。
さらっと全部のページを確認してから呼び出しボタンを押すと、光志郎が注文を取りにきた。
「フルーツパフェのビッグサイズと、ドリンクバー」
「お前、そんなもん食って大丈夫なのか? 太ったら怒られない?」
「太んないよ。お芝居の役作り程度の体型管理はちゃんとやってるから大丈夫」
「あっそ。茜のほうは追加注文は?」
「いい。ドリンクバーで粘る」
「かしこまりました」
きびきびとテーブルから離れていく光志郎の後ろ姿を見送る。
彼がここでバイトしていることを偶然知った私たちは、たびたびお客さんとしてこのファミレスに来るようになった。
日によってはアンナや夏芽も一緒に。ちなみに光志郎とアンナは私が知らないうちに仲直りしていた。
けれど最近は茜と2人だけのことが多い。
アンナは塾に通い詰めて受験勉強しているから邪魔はしたくない。騒がしい場所のほうが集中できるらしい茜とは正反対の勉強スタイルなのだ。
夏芽のほうは……よくわからない。
「最近、夏芽と会ってる?」
茜は少し困ったように首を傾げた。
「あんまり。学校では見かけるけどクラスは違うから……」
「そっかー……。夏芽も受験生だもんね。忙しいんだろうなあ。ていうか就職じゃなくて受験生だよね?」
「うん。志望校までは知らないけど。ただ、けっこう遊んでる感じはある」
「勉強しなくて大丈夫なのかな、それは」
「さあ……」
私たちは途方にくれた感覚で小さくため息をつく。
少しずつ夏芽と疎遠になり、少しずつ彼のことがわからなくなってきている。
幼なじみたちの中では少し控えめで弟分で、茜とちょっと似ていて真面目な性格。だったと思う。
それが高校2年になった頃からだろうか、なんだか変わってしまったような気がする。
1年の頃は私と茜と夏芽で頻繁に会っていたけれど顔を見せなくなり、たまに会う程度になった。
同じ高校に通っていて1番仲が良いはずの茜とも、一緒にいることは少なくなった。学校ではどちらかというと派手な雰囲気の同級生たちのグループにいるらしい。
「夏芽には夏芽の人間関係があるから、しょうがないかあ」
「そうだねえ。仲悪くなったわけじゃないし、連絡したら普通に返事くるから。夏芽もさくちゃんも時間があるときに、また集まろ」
「うん。あ、勉強の邪魔してごめん。私、飲み物取ってくる」
立ち上がってドリンクバーのコーナーに足を向ける。茜のほんのりと寂しそうな顔を見ていられなかった。
「あの~」
グラスを手にしてメロンソーダかオレンジジュースか迷っていると、背後から遠慮がちに声をかけられた。
振り向くと、ここの近くの中学の制服を着た女の子が立っている。
「木崎桜子さん、ですよね?」
「あ、はい……」
「え、えっと、夏に見た映画でファンになっちゃって! 握手してもらえませんかっ? あとあの、サインも……」
ああ、夏に公開された少女マンガが原作の映画だ。中高生の女子が好きそうな恋愛ものだった。
目を輝かせている彼女に、私は笑って手を差し出した。
「いいですよ」
「ありがとうございます! ……実家がここら辺って噂、聞いたことあります。会えてめっちゃ嬉しい……」
「こちらこそ、応援してくれてありがとう。今日は地元の友達と一緒なの。だから、」
唇に人差し指を当てながら茜の方向に目配せすると、女の子は慌てたように声のトーンを下げた。
茜たちとよく来るし店員の光志郎と知り合いということもあって、店側には私の存在がバレて常連扱いされている。
これからもここで駄弁りたいし、お店に迷惑はかけたくない。
握手をすると、彼女がこそばゆいような照れた笑みを見せた。
ただの女子高生でいられる空間に、私に握手を求めるような人がいる。変な違和感が私を包む。
夏芽だけじゃない。私も、もともといた場所から離れていっている気がする。
シオンが私に遺したオーディションの通知が、あの紙切れが、私を遠いどこかへ連れて行こうとしているような。シオンも夏芽も茜も光志郎もアンナも、誰もついて来てくれない、一人ぼっちのどこかへ。
※ ※ ※
私が初めて「誰か」になり切ったのは、女優になってからのことではない。きっとシオンはあの出来事があったから私をオーディションに応募してみたのだと思う。
中学生の頃に1日だけ、シオンの彼女のふりをした。たぶんあの日の私を見て。
元々は、シオンとアンナの兄弟喧嘩に首を突っ込んでしまっただけだったのだけど。
「頼む! お願い!」
「絶対に嫌。死ね」
「死ねって言うやつが死ねよ」
「は?」
聞こえてくる2人の言い合いに、またかと思う。昔から喧嘩が多い双子だったけれど、小競り合いのようなものが年々激しくなっている。私の部屋に声が聞こえてくる程度に。
自分たちの家は隣り合っていて、しかもこっちの部屋と向こうの部屋は、お互いに窓を開ければ会話ができるくらいに近いのだ。
私は開けっ放しの窓から身を乗り出して、大きくため息をついた。
「お二人さーん。何をそんなに揉めてるんですかー?」
一瞬静かになったと思ったら、双子がそろって窓の向こうからひょこっと顔をのぞかせた。
「私たちの声、そんなに大きかった? ごめん」
「窓、閉めるわ……」
「……いやまあ、よくあることだし別にいいけど。なんかあったの?」
私が訊くと、シオンが渋々といったふうに口を開いた。
「……付き合ってくれってしつこい女の子がいて、断ってるのにつきまとわれてんだよ」
「それで、今彼女いないのに付き合ってる子がいるからって嘘ついたら嘘ってなんとなく嗅ぎづけられて、彼女に会わせろって言われてるんだって。だから私に彼女役をしてくれって。弟の彼女のふりするとか絶対嫌なんですけど」
「違う中学の子だからアンナの顔も知らねえし上手くいくと思うんだけどなあ」
「上手くいくとかじゃなくて、ほんとに嫌なの」
まだ十数年しか生きていないのに、どんなややこしい人間関係を構築しているんだか。ドラマとかにありそうだ。
それに、シオンの考えはおそらく成功しないだろう。
「シオン、アンナ。他人から見た意見として言わせてもらうけど……たぶんソッコーで家族だってバレると思うよ。あんたたち顔そっくりだから」
「うそ」
「うそだあ」
「嘘じゃない」
本人になると気付かないものなのだろうか。性別や体格こそ違うものの、目や口、鼻の形、位置といったものがほぼ同じなのだ。つまり、2人ともそこそこ整った顔立ち。
「俺もう、誰とも付き合う気、ないんだけどなあ……」
情けない声で嘆くシオンを見つめる。
本気で言っているのなら、少し助けてやろうか。
「私がアンナの代わりに、その役やろうか?」
「え、マジ?」
期待で目を見開くシオンに、私は両手の平をパーの状態にして彼に見せた。
「お礼にコンビニスイーツ10個」
「え……マジ……?」
人を一人騙そうと言うのだ。対価はそれなりにもらわないと。




