芦原光志郎:不思議な朝帰り
結局、俺たちはコンビニ横の駐車スペースに座り込んだまま、明け方まで何時間も話し込んだ。
ほとんどはシオンが俺のことを聞きたがり、俺がひたすら話してシオンがそれに相槌をうったり質問したりする状態だった。
2年間の話を俺はとりとめもなく話題を変えて話し続けた。受験当日の話。アンナとのこと。入学式のこと。高校の授業のこと。俺がまさかの優等生になっていること。バイトの話。那由多の話。彼の家が花屋であることから、今日彼を殴ってしまったことまで。
逆に俺がシオンに質問しても、彼は明瞭な返事をしてはくれなかった。死んでからのことを彼自身もよくわかっていないような曖昧さが表情と声音ににじみ出ていた。
「よくわからないんだ。なんかこう……どう説明したらいいのか……ただ、この日は、死んだ日だけはこっちの世界に戻って来れるんだ。それも、あと何回かだけだろうけど。去年は茜に会いに行った。今年はコウ。順番にみんなに会ったら、それで終わりだと思う。俺はそのときに本当に死んで、また違う何かになったりもっと遠いどこかへ行く」
みんなというのは、幼なじみメンバーのことだろうか。全員に会ったら生まれ変わるということか。
だいたいそんな意味かなと思うけれど、ぼんやりとそう語るシオンや、どこか宗教じみた話が不気味で、それ以上突っ込んだ話を聞こうとは思えなかった。
「じゃあ……あれは? 事故ったときに何か言いかけてたろ、シオン。何言おうとしてたの?」
話題を変えてみると、シオンは鼻の頭を掻きながら歯切れ悪く答えた。
「あー、えっと……もう終わった話だと思って聞いてほしいんだけど……」
「そんな言いにくいことだったんだ? わかったからさっさと言えよ」
そのまま「やっぱいい」とか言われて消えられたら、それはそれで気になって困る。
シオンはもう一度、終わったことだと念を押してから口を開いた。
「俺あのとき、茜のことが好きだったからさ、コウに相談しようと思ったんだよ。なんつーか……茜と普通に幼なじみだったのが俺の行動のせいでぎくしゃくして、俺ら6人の関係も微妙になったら嫌だったし」
「ああ、そういうこと……」
彼があのときに言いよどんだ理由がなんとなくわかった。
ずっと一緒で安定していた2人が関係を変えるのはきっと難しい。その2人の関係が恋人になるにしろ、ふった人間とふられた人間という間柄になるにしろ、今まで内輪で恋愛関係が生じてこなかった幼なじみ全員の関係にも影響があったかもしれない。
俺たち6人は古くからの仲ではあるけれど、性格も学校での立ち位置も、色々なことがばらばら。ちょっとした力加減の入れ具合で崩れてしまうほど、もろくて繊細だった。
現に今はシオンがいなくなったという出来事をきっかけに崩壊状態だ。ときどき会う夏芽以外、茜もアンナも桜子も近況をまったく知らない。
いや、桜子だけは女優になったとかでたまにテレビで見かけるけれど、それこそ遠く離れた存在になったようで、昔のような繋がりが途切れてしまったことを嫌でも感じる。
でもシオンと茜に関しては、そんな心配はたぶん必要なかった。
「たぶんお前ら両想いだったんじゃないかな。どうなっても俺らは特に気にしなかっただろうし今まで通りだったよ。元々シオンは茜に構いたがりだったろ。目の前でいちゃいちゃされてもある意味またかって感じというか……いてっ! 殴るな殴るな」
「そんなにいちゃいちゃはしてなかっただろ! とにかくっ……とにかく、もう終わったから。茜には自分の気持ちちゃんと話して満足したし、茜も好きだって言ってくれたけど。今はもう、茜も他の人と付き合ってる」
「マジか」
人というのはわかんないもんだな、と思う。そういうのに奥手そうな茜が、シオンとの恋を終わらせて次にちゃんと進んでいる。
もっと引きずっちゃうタイプかと思ってたけど、茜はなんだかんだでしっかりしているところもあるから、上手に心の切り替えができたのかもしれない。いつまでもうじうじしている俺とは違って。
「シオンは……茜のこと、まだ好き?」
「まあな。でも結ばれる可能性はないってことは受け入れてるよ。好きな人と幸せになることも、それから……高校生になることも、肉が食える店でバイトすることも。全部、来世のお楽しみに取っておく。だから次もこの世界に生まれたいな」
シオンの最後の言葉は、祈るようにそっと吐き出されて空中に霧散した。切ない響きを帯びた声に、俺も思わず祈る。彼の願いがどうか叶いますように。
数秒間の沈黙を破ったのはシオンだった。
「さてっ! コウ、そろそろ帰ろうか。家の前までついてってやるよ」
「え?」
「お前、俺がいなくなったらもっかい、車道にダイブするつもりだったろ。させねえから。ちゃんと家に帰るまで見張ってやるからな」
ばれている。ばつの悪い気分でシオンを見ると、怖い顔をされた。
「死ぬな。そんな償いはいらない」
「……償いじゃなくても、シオンがいないのがただ寂しいんだ。シオンのいる場所に俺も行きたい」
「だめ。来んな」
はっきりと断られてしまうともう何も言えない。俺があきらめたのをなんとなく感じたのか、シオンの表情が和らいだ。
「コウは高校生活全然楽しくないって言うけどさ、話を聞いてればわかるよ。それなりに充実してんじゃん」
「そうかな」
「そうだよ。例えば……いつもバイトお疲れ様。お前が成績上位ってのは笑ったけど凄いじゃん。友だちいないかもしんないけど、その那由多ってやつはお前と仲良くなろうとしてくれてんじゃねえの。今度殴ったこと謝っとけよ。ほら、色々あるっしょ。死んだらそういうの全部なくなる。想像してみ? 惜しくない?」
バイト先の素直な後輩や居心地の良い職場。テストの点数が良かったときのちょっとした喜び。一人の俺にも屈託なく話しかけてきた那由多。
それらを手放すことを想像してみると胸の片隅が小さく痛む気がした。
「シオンの言う通りかもしんない。ちょっと惜しいかも」
「だろ。それに栞もアンナにまだ渡してないだろ。行こう」
本当だ。もう日付が変わってしまって、正確には誕生日は過ぎてしまっている。
俺はシオンに促されて立ち上がった。途端に、今まで感じていなかった真冬の寒さが全身を襲う。
空が暗くなった頃から夜明け前まで、ここに座り込んでいたのは数えてみると、とんでもない長時間になる。
本当だったら寒いどころじゃなくて体調を悪くしそうなレベルの時間、外にいたことになる。なのに俺の足先から手の指先まで、ずっと屋内にいたかのように温かい。
ぽかぽかとした不思議な気分のまま、夜の終わりをシオンと一緒に歩く。
「ほんとは俺も寂しいんだ」
シオンが静かに、家路につく俺に語りかける。
「でも、こっちに来てくれるのはもっと後でいいよ。歳取って寿命になったら来いよ。そしたらよぼよぼのじじいになったお前を見て笑ってやる」
「よぼよぼになんかなんねえし。ガチムチのマッチョじいさんになって会いに行ってやるから待ってろよ」
「それはそれで笑う」
どうでもいい軽口をたたきながら帰る道は、とても心地よかった。
ただ、自分の家が近づいてくると少し気が重くなる。最後に会ったアンナの顔を思い出してしまって。
俺の家とアンナの家は、同じ通りに並んでいるから、ついでポストに栞を入れておけばいいだけの話なのだけど。
「……コウ?」
家がある通りの手前の曲がり角で足を止めてしまった俺を、シオンが心配そうに見やる。俺は、栞が入っているカバンを見下ろして小さくため息をついた。
「栞、渡すのやっぱやめようかな。俺からこんなのもらってもアンナも嬉しくないだろうし」
「そんなことないって。アンナはもうコウには怒ってないから大丈夫。普通に喜んでくれるよ」
「なんでそんなのわかんの。顔も見たくないって言われてんだよ、俺」
昨年の栞も嫌な気持ちにさせただけだったような気がする。今さらだけど、2年も連続で何をやっているのか、俺は。
シオンは励ましてくれるように、弱気になっている俺の肩に手を置いた。
「あいつの兄弟だもん、わかるよ。怒りっぽいけどいつまでも怒ってるようなヤツでもないんだよな。もらったものにはちゃんと感謝するヤツでもある」
穏やかに微笑むシオンの頬が、夜明けの光に淡く照らされる。はっきりと輪郭を保っていたはずの彼の姿が、ぼんやりと見えづらくなった。
「シオン、消えそうになってる」
「うん。朝だからもう消える。ちゃんと栞、渡せよ。……これからもしアンナが困ってることがあったら、助けてやって」
肩と背中に添えられたシオンの両手が、力強く俺を押してくれる。角を曲がるとその手のぬくもりはすうっと薄らいで消失した。
つい振り向きたくなってしまうけれど我慢して足を前に出す。そうしなければ、せっかく押してもらった背中の力がなくなってしまいそうだから。
朝日のまぶしさに目を細めながら歩を進めていると、俺の家の前あたりから誰かが走って来るのが見えた。よく見たら両親だ。
そういえば俺、一晩無断で帰ってこなかった息子なんだ。それなりに荒れていた中学時代ならまだしも、高校生になってから朝に帰ることなんか一度もなかった。
やばい。心配かけただろうな。
慌てて駆け寄ると、父親に無言で一発ビンタされた。母親には半泣きで詰め寄られる。
「すっごく心配したんだから! どこ行ってたの!?」
「あ……ごめんなさ……」
「アンナちゃんも寝ないで光志郎が見つかるの待っててくれてたんだよ?」
「え……」
ほら、と言う母親の目線をたどって両親の向こうを見た。数メートル先に目を見開いてこちらを見ているアンナがいた。
パジャマにコートというちぐはぐな服装をした彼女は、ふらりと俺に歩み寄る。そして呆然とした表情で俺の頭から足元まで、存在を確かめるように眺めた。
「あの……」
恐る恐る話しかけると、目が合う。
言うべき言葉が見つからず中途半端に口を開けたままの俺に向かって、ふいに彼女の腕が伸びてきて抱きしめられた。
「アンナ?」
囁くように呼びかけてみるけれど、彼女は何も返事をしないままだ。代わりに俺の首元に触れる彼女の頬の冷たさが、親だけでなくこの人も心配してくれていたということを教えてくれていた。
「……誕生日おめでとう」
絶対に今言うことじゃないとは思いつつ、他に何も思いつかなくてそうつぶやく。17歳になったばかりの彼女は、俺の肩の上で小さくうなずいた。




