芦原光志郎:謝罪と謝罪
これで死ねる。
どこかほっとした気持ちで待っていた強い衝撃はやって来なかった。
代わりに、何か強い力が俺を歩道に引き戻した。
尻もちをついたまま、俺を引いてくれるはずだったトラックが通り過ぎるのを呆然と見送る。
「バカか。何やってんだよ!」
怒っているようにも呆れているようにも聞こえる声で、俺を引き戻した本人がため息をついた。
来てくれなくてよかったのに。俺が行くはずだったから。
「シオン……」
名前を呼びながらその姿を見上げる。中学校の制服にネックウォーマーという死んだ日の格好そのまんまの彼は、その場に脱力するように座り込んだ。
「間に合ってよかった……。マジでお前、死んじゃうのかと思った」
「マジのつもりだったんだよ。そうじゃないともう会えないと思ったし、俺だけ生きてんのがもう……」
つらくて。申し訳なくて。そう続けたかった言葉が、嗚咽で途絶えてしまう。
シオンは俺が口に出せなかったこともわかっている、というふうに、俺の背中を軽く叩いた。
「わざと車の前に飛び出してこっち側に来るようなヤツとは会ってやんねえよ」
「ええ? そんなあ…」
情けない声が出てしまった。シオンが言いたいことはわかる。俺が自殺しようとしたから怒っているんだ。でも、怒られてでもいいからそっちに行きたかった。
シオンは俺の声に少しだけ笑うと、隣から顔をのぞき込んできた。
「で? 死んでまでして俺に会ってどうしたかったわけ?」
2年ぶりに見る親友の顔に懐かしさと罪悪感がないまぜになって目をふせる。どうしたかったのかって、そんなの決まっている。
「謝りたかった、ずっと。シオン、ごめん。俺が2人乗りしようって提案したし、チャリも改造してたし、運転しながらよそ見もしたし、それで赤信号にも車にも気づけなかった。全部俺が悪かった」
人殺し。机に書かれた文字を思い出す。喉の奥がきゅっとしまって、声が震える。
「俺が……シオンを殺したんだ。謝ったってお前は生き返らないけど、謝る以外にどうしたらいいのかもわかんない。本当にごめんなさい」
その場に座り込んだまま、地べたにくっつくくらい頭を下げた。
アンナは許してくれなかった。シオンは気にしてないよって笑ってくれるかもしれないけれど、どちらにせよ俺はこの後もう一度、車道に飛び出そうと思う。
俺が俺を許せないから。
数秒の沈黙の後、俺の背中に添えられたままだったシオンの手が、そっと離された。
顔を上げると、彼はまっすぐに俺を見つめていた。
「コウ」
低いトーンで名前を呼ばれ、次に何を言われるのかと唾を飲みこむと、シオンは俺と同じように頭を下げた。
「……シオン?」
「コウが謝ってくれるなら、俺も謝る。2人乗りに誘われて乗ったのは俺が決めたこと。俺が後ろから話しかけて途中で喋るのをやめたから、コウは振り向いたんだろ。だからお前がよそ見したのは俺のせい。それに信号が赤だったのも車が来てたのも、コウだけじゃなくて俺も注意して見てなかったから悪かった。そのせいで事故に遭って、コウは怪我した。それから今までずっと、死のうと思わせるほどお前のことを悩ませてた。そういうの全部ごめん。ごめんなさい」
俺はぽかんと口を開けたままシオンを凝視した。
謝られるのは正直予想外だった。俺だけが悪いんだと、ずっとそうとしか考えていなかったから。
黙り込んだ俺を、そっとシオンが見上げてくる。
「許してくれる?」
「そ、そんなの、最初っから許してるよ。何も怒ってない。事故も他のこともシオンのせいだって思ったことは1ミリもないんだけど……」
「良かった。それは俺も同じ、お前のせいだって思ったことなんかないよ。コウは俺を殺してないし、俺は俺のせいで死んだ。運転手の人は何も悪くないのに申し訳なかったと思う」
それは確かにシオンの言う通りだった。免許を取って数年だという20代の女性は、俺たちを引いてしまった罪を負わされたし、俺の怪我の治療費も払ってくれた。おそらくシオンの家にも謝罪や慰謝料が払われているのだと思う。
その人と俺は直接は会わなかったけれど、両親によるとこっちが申し訳なくなるくらい謝ってくれたそうだ。元々の事故の原因は俺の信号無視にあるから、両親も責めるどころか逆に謝ったとかいう話を後で聞いた。
うちの親もシオンの親も、誰かに対して怒ることがなかった。それは俺に対してもそうで、シオンの両親は「うちの子も悪かったから」と言っただけで逆に俺の怪我を気遣ってくれた。
両親も、もっと叱ってくれればいいのに「お前が十分反省しているのはわかってるから」と、ほとんど怒ってくれなかった。
明らかに自分が悪いのに誰も責めてくれないのは苦しい。葬儀の日にアンナが「あんたのせいだ」と声を荒げてくれて、どこか安心している自分も確かにいたのだ。
今ここでシオンにも「お前のせいだ」と言われたら、もっと安心できただろうか。もちろん、彼にその気がないのはわかっているんだけど。
「と、いうわけで……お互いこの話題は終わりってことでいいよな」
「う、うん……」
なんだか押し切られた感じが腑に落ちないけれど、シオンはもう俺の口から一言も謝ってほしくないという圧をかけてくるから、うなずくことしかできない。
シオンに抱きかかえられるようにして立たされる。顔を見ると、彼は屈託のない笑顔で俺の頭の向こうを指差した。
「せっかくだから、コウの最近の話が聞きたいな。あそこで話そうよ」
振り向くと、夜の闇の中で光を発してぼんやりと浮かぶように建つ、コンビニエンスストアが目に入った。
「……店に入るの?」
「違う、駐車場。よくあそこにチャリ止めて、アイスとか食いながらどうでもいい話したじゃん」
場所を移動したがるシオンに、俺は同意して歩き出した。確かにこんな歩道の真ん中に居座っていても仕方がない。それよりは明るい場所で、もっとしっかりとシオンの顔を見たかった。
「ところでさ」
「うん?」
今さらな疑問が出てきて、隣を歩くシオンを見た。
高校に入学してから俺は背が数センチ伸び、同じくらいの身長だったはずのシオンは今、少し見下ろさなければ目が合わないくらいの背丈の差ができている。
「今ここにいるシオンって、何? 幽霊?」
「はあ? 今さらかよ」
シオンは心底おかしそうに笑った。つられて俺も笑う。
何が起きているのかはわからない。ただ、そこにいるはずなのにきっとすぐに消えてしまう存在なのだということは、なんとなく感じていた。




