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芦原光志郎:ライトの光はまぶしくて

 ラミネート加工した押し花を家に持って帰ってから俺は、リボンをくくりつけて栞を完成させ、無地の封筒に入れて準備を完了した。

 それから数日、学校ではいつもと変わらない時間が過ぎていき、那由多が話しかけてくることもなかった。

 想像もしていなかった出来事が起きたのは、アンナの誕生日当日のこと。

 朝、登校してきて自分の席を見た瞬間、俺は小さく息をのんだ。


『人ごろし?』


 机の上に、赤いスプレーででかでかとそう書かれていた。

 文字を凝視して、意味を考える。

 人ごろし。人殺し。俺が?

 ふいに、教室の前方から「ちょっと何これー」と女子のかん高い悲鳴が聞こえた。

 見ると、声をあげた彼女の机には『ぱんつ』と書かれていた。

 確かに彼女の制服のスカートは短くし過ぎていて、中の下着がちらりと見えている。

 他にも、太っている女子には『ブタ』、クラスで一番テストの点数が低い男子には『ホンモノのバカ』といったふうに、クラス中の色々な机にスプレーで何かしらが書かれている。

 どうやら誰かがふざけてやった遊びみたいだ。

 文句を言いながら文字を消そうとしたり、気にせずそのままにしておいたりするクラスメイトたちの混沌とした雰囲気の中、俺は文字を隠すようにして机の上に通学カバンを置いた。

 心臓が異常にどきどきと脈打っている。別に俺だけがやられているわけじゃない。誰かが軽い気持ちで書いただけだ。こんなのいじめでもなんでもない。俺、人なんか殺していないし。

 でも、この簡単な単語が目に入っただけで胸に何か鋭いものを刺されたような苦しさが俺を襲う。


 その日一日授業を受けながら、『人ごろし?』という文字で頭の中はいっぱいだった。

 人殺しと漢字で書かれていなかったのは、たぶん書いたやつが馬鹿すぎて「殺」という字が書けなかっただけだろう。この学校には小学校レベルの計算や読み書きが怪しい生徒もちらほらいる。

 頭の中をよぎるのは、明日でちょうど二年になる交通事故のことだ。

 シオンが死んだのは俺のせいだって言いたいのだろうか。

 ?がついているのは、俺が殺意をもっていたわけではないから? 書いたやつが耳にした俺の事故に関する噂が、曖昧でよくわからなかったから?

 理由はわからないし、どうでもいい気もする。ただ、その『人殺し?』と疑問形になっているその文字は、俺に問いかけているようでなんだか怖い。


 お前がシオンを殺したのか?

 自分でも自分に問いかける。

 俺がシオンを殺したのか?


 どこか恐ろしい気分で問いかけを繰り返すうちに授業は終わり、放課後になっていた。

 ずっと教室にいたはずなのに、先生が何を言っていたかも、自分がノートに何を書いたかもあまり覚えていない。

 ぼんやりとしたまま帰る準備をして席を立つ。一日中ずっと教科書やノートで隠れていた赤い文字が何も置かれていない机の上に再びあらわになったのを見て、俺は肩を震わせた。


「芦原ぁ?」


 唐突に名前を呼ばれて俯けていた顔を上げると、目の前で那由多がひらひらと手を振っていた。


「あ……」

「ぼーっとしてどした? あのさあ、やっぱ考えたんだけどお前……」


 何かを言いかけた那由多の視線が机に移り、言葉が止まった。

 そういえば俺は数日前、こいつに言った。自分がシオンを殺したようなもんだって。

 これを書いたのって、那由多じゃないのか?

 そんな小さな疑念が生まれるのと同時に、身体がカッと熱くなった。


「あしは……」

「っ……!」


 俺は衝動的に那由多の顔面を殴っていた。どこを狙いたいのかよくわからないまま突き出した拳は、彼の頬と唇の端に当たった。かたいようなやわらかいような気持ち悪い感触が手に伝わる。

 殴った直後、目を見開いた那由多と目が合う。その瞬間、しまったと思った。

 書いたのはたぶん那由多じゃない。彼は関係ない。俺が勝手に頭に血をのぼらせただけ。

 だけどすぐに謝る言葉も何も出てこなくて、呆然と俺を見ている那由多を残して、転がるように教室を走り出た。

 まだ帰らずに残っている生徒たちのあいだをする抜けるようにして廊下を早歩きで歩く。

 那由多が後ろから追いかけてくる様子はない。

 そのまま歩き続けて校舎を出て校門を出てから足を止める。振り向いて校舎を見上げると、なんの変哲もない灰色の四角い建物が目に入る。

 シオンが通っていたかもしれない学校だと思うと見ていられなくて、思わず目をそらした。


 俺が殺したようなもんじゃない。俺が殺したんだ。

 ちょっとした不注意で、シオンが経験するはずの高校生活も殺してしまった。

 だったら俺だけ高校生になって生きているのは不公平じゃないのか?




 ふらふらと駅まで歩いて電車に乗り、地元の駅で降りたところで、俺の足は家ではなく中学校のほうへ向かう。

 歩いているうちに夕焼け空は赤から青に変わり、夜の空気をまとっていく。

 目的の場所に到着した頃には、空の色は真っ黒になっていた。

 住宅街から中学校へ向かう途中に伸びる、少し大きな道路。

 俺とシオンが車に跳ねられた場所。

 時折通過する自動車の音を聞きながら、俺は道路の脇に立ちすくむ。

 今俺は、どうしようもなくシオンに会いたかった。もう一度会えるなら、とにかく謝りたい。

 俺も死んだら会えるかな。わからないけど、会えなくても仕方がないけれど……。

 とにかく俺も向こうへ行こう。人殺しがのうのうと生きててごめん。

 束の間の高校生活もまとめて全部、放棄するから許してほしい。

 全然楽しくなかった。シオンのいない学校もバイトも。いや、バイトは少しやりがいあったかもな。

 でもそんなちっぽけな未練なんて、あってないようなものだ。


 俺は一度目を閉じて大きく深呼吸をした。氷のように冷たい空気が肺を満たしていく。

 目を開けて周囲を見ると、右側から大型トラックが走って来るのが目に入った。

 徐々に近づいてくるそのトラックが発するヘッドライトの光がまぶしくて心地よい。あの事故のときもこんなふうにライトがまぶしかった気がする。

 暗闇の空間に灯るまぶしくてあたたかそうなライトの光に飛び込むようにして、俺は道路に体を投げ出した。


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