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芦原光志郎:男子高校生が押し花を作る理由

 元々、読書家のアンナに押し花の栞を毎年プレゼントしていたのはシオンだった。細かい作業にも花にも興味がないシオンがちまちまと紙に花を張り付ける様子が新鮮で、妙に記憶に残っている。


「おやつとマンガでお小遣いなくなった。ヒモがほしいんだけど持ってない?」


 突然ヒモをねだられても、もちろんそんなものを俺は持っていなかった。シオンは今度は茜のところへ行き、ピンク色のリボンをもらった。


「どうするの、それ?」


 茜の質問にシオンは照れくさそうに答えた。


「栞を作ろうと思ってさ。誕生日にアンナにあげる」


 アンナとシオンの十一歳の誕生日の少し前の出来事だった。そこからなんとなく、俺と茜はシオンの栞作りを手伝うことになった。

 といっても、俺は二人の作業を横で眺めていただけだったのだが。


「なんかてきとーに買ったもんをあげればいいと思ってたんだけど、貯金箱の中見たら五十円しかなかった。うまい棒くらいしか買えねえし、それなら自分で作ろうと思った」


 シオンはそう言いながら、慎重に花びらに糊をぬっていた。その隣で茜が台紙になる紙をハサミで長方形に切っている。

 口ではお金がないことを理由にしているけど、本当は前から準備をしていたんだと思う。

 彼が部屋の隅から持ってきた重そうな図鑑の中に挟まれていたのは、冬には手に入らないはずのコスモスの花だったから。

 秋からずっとページとページの間で押しつぶされていたと思われるそれは、少し変色して茶色になっていた。

 想像よりも汚い色合いになったと文句をもらしながらも、シオンは薄桃色のコスモスにピンクのリボンをつけた栞をひとつ完成させて、勉強机の引き出しの中に大事にしまいこんだ。


 誕生日パーティーのときに彼がその栞をアンナに渡す姿は直接見ていないけれど、その後にアンナがその栞を使っているのは何度か見かけた。シオンはその様子に満足したのか、次の年から毎回アンナに押し花の栞を作るようになった。それに合わせてアンナが使う栞も新しいものに変わっていった。

 十五歳の誕生日の直前にも「また花が黄ばんだ」とかぼやいていたから、あの日にも事故がなければプレゼントしていたのだろう。


 これからはもう、アンナはシオンから新しい栞を受け取ることはない。そのことが寂しく感じられて、十六歳の誕生日には代わりに俺が栞を作ろうなんていうありがた迷惑な考えに行きついてしまった。

 どんな花を使えばいいのか。シオンが悩んでいたみたいに花が変色しないためにはどうすればいいのか。

 困り果てた俺は、バイト帰りに近くの花屋に立ち寄ってみた。

 シオンが使っていたのは家の庭に咲いていたコスモスや、通学路の桜の木から取ってきた花びらだった。

 こういう花屋に売っているものでも押し花ってできるのかな。ぼんやりと色とりどりの商品たちを眺めていると、店員の女の人に声をかけられた。


「何かお探しですか?」

「あ……あの、押し花を作りたいんですけど、どの花だと上手く作れるのかとか、わかんなくて」


 花束とかが欲しい客じゃなくて申し訳ないなと思いながらぼそぼそと説明すると、店員は気を悪くした様子もなく、少し考えるように手をあごに当てた。


「そうですねー、この季節だと初心者さんにはパンジーあたりが簡単かしら。もし良かったら、作り方も教えましょうか? 私も趣味で作ったことがあるから手伝えますよ」

「ほんとっすか? お願いします」


 そうして俺はその人に、花選びから押し花作りまで助けてもらって、手作りの栞をアンナの家のポストに落とした。

 これが一年前の、店長……つまり那由多の母親との出会いだ。

 俺ではシオンの代わりにはならないことはわかっている。俺が作ったものなんか、アンナは欲しくないだろう。なのに俺は、彼女の十七歳の誕生日にも同じものを贈ろうとしている。

 そして店長は、今年も押し花を作りたいと店に行くと快く協力してくれたのだ。





 シオンは本の中に花を挟んでいたけれど、店長に教わったのは、電子レンジを使った押し花の作り方だ。

 ダンボールの上にキッチンペーパーを敷いて、そこに花を並べ、上にもう一枚ダンボールを重ねる。それを電子レンジで一分弱加熱。

 電子レンジから取り出した、乾燥したパンジーやクリスマスローズを台紙の上に並べていると、向かいに座って作業を観察していた那由多が、興味深そうに口を開いた。


「へ~、手、器用だね。幼なじみの女の子にあげるんだっけ? 芦原にそんな可愛い趣味があるとか、ちょっと笑えるー」

「趣味ではない」


 簡潔に否定して作業を続ける。

 一度糊付けしてから、店長に借りた小型のラミネーターでラミネート加工をする。シオンはただ紙に花を貼り付けるだけだったけど、こっちのほうが見た目も綺麗に仕上がるし、実用性のあるものを作った達成感がある。

 加工された栞を満足な気分で手に取っていると、放置していた那由多が再び話しかけてきた。


「高校からここまで距離あるでしょ。ここらへんに住んでんの?」

「隣の市に住んでる。南中の学区。……向かいの通りにファミレスあるだろ。そこでバイトしてるからこの店に寄っただけ」

「へー! 知らなかった。オレなら飲食系はやめとくね、うざいクレーマーがごろごろいそう。ま、花屋の手伝いも店の中は寒いし力仕事も意外とあるし、たいがいだけどな。なんでファミレスにしたの?」

「なんでって……肉が好きだから?」

「まかない出んの? うわー、それはいいなあ! オレ、あそこのステーキセット超好きー」


 那由多が瞳を輝かせる。たぶん本当にステーキセットが好きなのだろう。

 俺は、確かに肉は好きだけど、人並みレベルだ。どっちかというと、バイト選びのときにシオンと交わした会話をふと思い出して、衝動的にレストランを選んだだけだ。

 あの事故の日、高校生になったらバイトがしたいという話題になったときにシオンは、レストランがいいなと言った。俺は、じゃあ自分も、と答えた。

 そのときの記憶にとらわれて、シオンがいないのに自分だけでもとバイトを始めた。

 こんなことばっかりだ。シオンと一緒に通っていたはずの学校に一人で通っている。シオンと一緒に働いていたかもしれない場所で、1人で働いている。シオンが生きていたらやっていたはずの栞作りを、俺がやっている。


「今度シフト入ってる日、教えてよ。ステーキ食いに行く」


 那由多の言葉に俺は首を横に振った。


「わざわざ俺がいる日に来るな。ていうか、学校のヤツにも言うなよ」

「なんで?」

「放っておいてほしいから。成績トップで生徒会長もやってるお前と関わりを持ったら目立つし」

「なんだそれ。目立つの楽しいのに。芦原も成績いいほうだし真面目じゃん? 生徒会入れてやろうか? 好き勝手できて楽しいぞ~」

「いらん。学校で余計なことしたら、()()くんって呼んでやる」


 俺が成績がいいのも真面目なのも、悪いことをする仲間がいなくて勉強以外にすることがないからだ。

 那由多のほうは、本来ならもっと偏差値の高い高校に進学できたのに「成績ぶっちぎりトップになって頂点から他の奴らを見下ろす無双生活がしたいから」という狂った理由でうちに進学したと本人が話しているのを廊下で偶然聞いたことがある。

 こういう理解不能な人間とは距離を置いて、ひっそりと過ごしたいのだ。透明人間のように。

 なのに不運なことに、こいつは目の前にいて、にやりと笑った。


「お? いーよ。そっちがそう呼ぶならこっちだって呼ぶよ? えっとー……光志郎だから、コウちゃん!」


 わりと聞きなれた呼び名に、ついふっと笑みを深める。夏芽や茜あたりはそう呼ぶんだよな。


「あれ? そんなにダメージない?」

「まあ。地元にそう呼ぶやついるし。コウちゃんとかコウとか。光志郎って長いから」

「ふうん、つまんね。その栞あげる子もそう呼ぶの?」

「いや、アンナはいつもちゃんと光志郎って呼ぶ……あ、」


 ついアンナという名前を出してしまった。耳ざとく聞いていた那由多が、からかうような非常に腹の立つ笑い方をする。


「アンナちゃん、ねー。可愛いの? 好きなの?」

「可愛くないし、好きじゃない。なんというかそういうのよりも……」


 どう、説明すればいいんだろう。もちろん好きとかそういう感情ではない。もっとどんよりとしていて重くて、抱えきれない思いを彼女に対して持っている。そう、例えば……


「罪悪感……」


 思わず口をついて出た場違いな単語に、那由多が目を見開く。

 俺はごまかすようにして首を横に振った。


「ごめん、なんでもない」


 けれど、那由多は屈託なく質問してくる。


「それ、芦原の噂と関係してる?」

「……噂?」

「交通事故」


 今度は俺が目を見開く番だった。心臓がひゅっと縮まった感覚が体を走り抜ける。


「……何が、どこまで噂になってるんだ?」

「なんだっけなあ。確か、中学んときにお前が交通事故に遭って、死者も出るような大事故だった、みたいなレベルの話。合ってる?」


 合っている。そりゃそうか。同じ中学出身の同級生もいる。そのうちの誰かが話せば、那由多に伝わっていてもおかしくない。

 違うと否定して隠してもどうしようもないと思った俺は、小さくうなずいた。


「そのアンナ……の弟と俺がチャリの二人乗りしてるときに、車にはねられた。それで俺だけ助かった」


 一度言葉を切って那由多を見ると、彼は感情の読めない無表情で、俺を見ていた。目が合うとそっと相槌を打たれる。


 彼から目を離して、手元の押し花を見やる。クリスマスローズの素朴な紫色がやけに鮮やかに見えた。


「アンナは家族が死んで……俺にすげえ怒ってる。もう口もきいてくれない。これ、受け取ってくれるかもわかんねえ。俺が、よそ見運転したから。赤信号に気づかなくて、だから……」


 こんな栞、すぐに捨てられるかもしれない。去年のだって、もうとっくに捨てられているかもしれない。

 乾いた唇を動かして声をしぼり出す。ずっと胸の奥に溜まっていて、誰にも言ったことがなかったこと。


「だから、俺のせいで死んだんだ。殺したのと同じようなもん」


 ルールを守って運転していた自動車の運転手じゃない。守らなかった俺のせいだ。


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