芦原光志郎:A組の透明人間
光志郎視点です。
「もう、来ないで。次からはあんたが来ても、インターホン押されても出ないから」
玄関前で、アンナが冷たく俺に言い放つ。いつかはそう言われるんじゃないかと思っていた。
シオンの葬儀の日にアンナは俺につかみかかって怒った。当然だ。俺たちの不注意が招いた事故だったのだから。
シオンが生きていればきっと、彼女はシオンにも同じように怒っただろう。
だけど現実は俺しか生き残っていなくて、俺が「二人乗りで帰ろう」なんて提案やよそ見運転さえしなければ、避けられたはずの事故だった。シオンは巻き込まれただけ。
あの日から彼女は俺に怒り続けていて、何度謝っても拒絶されるだけだ。
気が付けば外に吹く風は氷のような冷たさを失い、春の香りを含みはじめている。もう三月になっていた。
深く頭を下げ続けていると、しばらくの沈黙の後にアンナのかたい声がふってきた
「顔も見たくないの。謝られても腹が立つだけだから、もうやめてほしい。何されても許せないし、光志郎とは今まで通りに話せない」
やがて、ぱたりと玄関のドアが閉まる音がして顔を上げると、アンナの姿はなかった。
わかっている、俺だって。許してもらえないことなんか。許されてはいけないことも。
それでも謝り続けないと、どうにかなりそうなんだ。それさえもしてはいけないなら、俺はどうすれば彼を死なせた原因を作ったことを償えるのだろう。
*
地元で一番偏差値が低く、入試は解答用紙に名前さえ書けば合格すると噂されている、公立高校。
シオンや当時仲が良かった連中と一緒に通うつもりだったこの学校は、中学校とはまったく違う雰囲気の場所だ。
何の変哲もない昼休み。俺は唯一の居場所である二年A組の教室窓際、一番後ろの隅っこに位置する自分の席で、弁当を食べ終えたままぼんやりと座っていた。
教室の中は、お世辞にも整っているとは言えない状態だった。机は乱雑に置かれ、中学の頃のように綺麗に並んではいない。授業中もいつもこんな感じ。
教室の廊下側は男子たちが部屋の中なのにサッカーをしていて、窓際では女子たちがいくつかのグループに分かれてきゃあきゃあと甲高い声で雑談したり、化粧をしたり。
なんだかごちゃごちゃしていておもちゃ箱みたいだな、と端っこから見ていて思う。
これでも入学直後に比べると落ち着いたほうだ。最初はもっと色々なやつがいた。
だけど暴力沙汰や犯罪を理由に退学になったり、学校そのものに興味をなくしてそのうち登校してこなくなったまま自主退学したりと、目立った行動をする生徒、やる気のない生徒は二年生に進級する前に消えていった。
今ここにいるのは、そこまで問題を起こさないただの馬鹿たちがほとんど。ある意味平和といえる。
俺もガチで問題を起こすようなヤバい生徒に変に絡まれることなくクラスの空気になれるし、今のほうが居心地が良い。
最初のうちは声をかけてくるクラスメイトもいたけれど、今は用事もないのに俺に話しかけるやつなんかいない。
今の俺は基本的にいつも一人だ。別にそれでいいと思って周囲と距離を置き続けた結果だから、不満は特にない。
「おーい! 体育館でバスケやる人―!」
突然、教室に乱暴に乗り込んできた男子が大声を張り上げた。
「那由多! やるやる~」
「オレもー」
那由多と呼ばれるその男子の元に数人のクラスメイトが集まる。
男にしては少し小柄で高めの声。長めの髪をひとつに結んだ中性的な姿。
この学校で知らない人は少ないんじゃないだろうか。今年の秋に代替わりした、今の生徒会長だ。成績も二年生の中でぶっちぎりのトップ。
といっても生徒会長にふさわしいような優等生というわけでもない。今もさっそく教室に入って来たついでにサッカーに参加し、ボールを女子のほうに蹴ってキレられている。
机をガタガタと倒しながら殴りかかる女子から逃げ回る彼をぼんやりと見ていると、俺の席の横を通ったときに目が合ってしまった。
「なに? お前もバスケやる? ……痛っ!」
一発殴って満足した女子が席に戻っていくのを見送りつつ、俺は首を横に振った。
「……やらない」
「そー? お前、芦原光志郎だよね? なんか他のクラスのやつが中学んときバスケ部だったとか言ってた気ぃするけど」
「……四か月だけ、だけど」
「短いのか長いのかわっかんねー期間だな、それ! てか噂通り無口なんだねー。お前全然喋んないからうちのクラスじゃA組の透明人間って呼ばれてんよ」
「……」
ほとんど喋ったことがない相手にそんなことを言われても、どう反応すればいいのかわからない。黙り込んでいると、那由多は興味をなくしたように俺から目を離した。
「ま、バスケやる気ないならどーでもいいや。じゃあねー」
二年B組、日吉那由多。俺とは正反対のきらきらしていて高校生活を謳歌している、そのまぶしさが目に痛くて、見ているだけで苦しい。
*
中学生の俺は、別にバスケがやりたくてバスケ部に入ったわけではなかった。ただ、シオンが入部すると言ったからついて行っただけ。
だから退部することにも未練はなかった。
中学一年の夏休み、授業日ではなくなり部活のためだけに登校することが面倒になったシオンと俺は、二人揃ってバスケ部を辞めた。
「俺に付き合ってコウまで辞めなくてもいいんだぞ」
退部届を出した帰り道、コンビニに寄り道して駐車場でアイスの立ち食いをしていると、シオンが申し訳なさそうにそう言った。
「いいの、いいの。練習キツかったし先輩は怖かったし。走り込みしなくていい毎日は天国だあ」
明るく笑ってみせると、困ったような笑みを返された。シオンは「でもさあ」と言いながら食べ終わったアイスの棒をぷらぷらと揺らす。
「コウはいっつも俺に合わせてくれるじゃん。スイミングスクール辞めたときもそうだったし。部活に入部したときもだろ。バスケじゃなくて、俺がサッカー部入るっつったらついて来たんじゃねえの?」
「だってシオンがいないとつまんないし一緒がいい。あ……俺について来られてうっとうしい? ごめん」
自分でもシオンに付きまとっている自覚は一応ある。彼の隣は安心するのだ。
だけど、うざいと言われたらさすがに素直に離れよう。迷惑をかけたいわけではないし、彼の友人でいたいからこそ、嫌われるのはいやだ。
シオンは首を横に振った。
「まさか。うっとうしいわけないって。いつも一緒にいてくれてありがとな」
照れたように首のあたりを掻いているシオンの様子にほっとする。けれど、俺の隣で自転車のサドルに座っている彼の横顔は、どこか寂しそうにも見えた。
小学生の頃は、一緒にいるのは俺たちだけじゃなくて幼なじみのみんなだった。アンナに夏芽に、茜に、桜子。今でも全員で集まって遊ぶことはたまにあるけれど、確実に回数は減っている。
いつの間にか俺とシオンだけが浮き始めている気がする。
学校をさぼったり、派手な先輩とつるんだり。シオンは最近、彼女ができたし。
綺麗に引かれたレールから離れていくシオンに俺だけがしがみついて、残りのみんなが冷めた目で俺を見送っているような。
「……俺、シオンが行くとこなら、どこでもついてくよ」
それでも俺はしがみつくのを辞めない。シオンを一人にしたくないし、シオンに置いて行かれたくない。
「どこでも一緒に行ってくれんのはありがたいけどさあ……なんかときどきコウが心配になるわ。進路とかどうすんの? 高校も就職先も二人一緒ってわけにはいかないっしょ」
「まあさすがに就職まで同じにするのはムズいかもだけど、高校はシオンと同じでいいよ。俺、正直学校なんかどこでもいいし」
「……コウの愛が重すぎる」
「え。ごめん! 引かないで!」
慌ててあわあわとシオンの顔色をうかがうと、彼は芝居がかった真顔からおどけた笑顔になった。
「冗談~。お前、意外と寂しがりだよな。いーよ、同じ高校行こうぜ。でもどこに行くかはコウが決めて」
「俺が?」
「そ。いっつも俺に合わせてくれっから、今度は俺が合わせるよ。お前が受験するとこを俺も受験する。それでいい?」
俺は即座にうなずいた。
こういうときにふと見せてくれる優しさが、ついて行きたいと思わせてくれる。シオンはどう思っているかわからないけど、俺にとって彼は自慢の親友だ。
結局、俺たちの学力は予想以上にポンコツで、通えそうな学校は選べるほどたくさんなかった。成績や通学時間を考えて最終的に残ったのが、今通っている高校だ。
本当はシオンと一緒に受験して、できれば一緒に合格して、一緒に通うはずだった。その前に俺たちは事故に遭い、シオンは受験すらできなかったのだけれど。
高校に合格しても、真新しい制服に袖を通しても、シオンの顔が思い浮かんで少しも心は浮き立たなかった。
シオンがいない高校生活なんか楽しくない。俺のせいであいつを死なせておいて、俺だけ高校生活を楽しめるわけがない。新しい友人を作っていいわけがない。
そんな考えがいつも頭の片隅にちらついて笑えないでいるうちに、同じ中学から進学してきた同級生ともなんとなく距離ができて、もちろん高校で新しい誰かと仲良くなれることもなく、俺はあっという間に孤立していった。
でも、これでいい。孤独になればなるほど、これが俺への罰だと思えて安心する。
事故に遭ったとき、シオンは俺が漕ぐ自転車に乗って、背後から何かを言おうとしていた。でもなぜか言いよどんだ彼を不思議に思って一瞬、振り向いてしまった。
運転中だったから振り向くべきではなかった。そのおかげで赤信号にも自動車にも気づかなかった。それ以前に二人乗りなんかするべきじゃなかった。歩いて帰ればきっと事故にはならなかった。
事故から二年が経とうとしている今も毎日後悔している。
悪いのは全部、俺だ。




