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「あ、ちょっと待って」
少し溜め、きっと長口上を述べるつもりだろう、大きく息を吸った「とんぷく」を空いている方の左手で制し、僕はスラックスのポケットから、プラスチックのケースに入った黄色のスポンジを取りだした。
百円均一で売っていた耳栓である。こんなこともあろうかと、買ってポケットに忍ばせておいたのが役に立ちそうだ。
僕は耳栓をケースから取り出すと、自慢の夜空をかきわけて、美術品の様に完成された可愛らしい左右の耳に、耳栓を挿入した。
百均程度のクオリティでは、完全に音を遮断することはできない上に、繰り返し使うとほとんど音を遮断しなくなるのだが、これは初使用の新品である。
僕にされるがままになっている彼女の耳に、「都合の悪い」言葉が入ることは無くなったのだ。
彼女を僕の背に隠す様に彼女の机にもたれかかり、笹川を見やる。
「どうぞ」
「お、おう」
右手は体の後ろに回し、彼女の左手を握る。少し汗ばんでいるようだ。ひんやりとしている。
「土曜日の早朝、隣の学校の女生徒と、市の反対側にある小学校の男子児童が二人、気付いたら刃物で切り付けられていた。日曜日の午後、砂浜で遊んでいた男子児童が、親が一瞬目を離した隙に右肩に切り傷を負った。それとこれはまだテレビでも報道されたりはしてないが──」
ポケットから取り出した手帳に視線を落としながら話していた笹川がその手帳を閉じ、僕の方に体を倒してきた。そうして声を潜め、続ける。
「隣のクラスの広瀬も、今朝、被害に遭ったらしいぜ」
「広瀬さんが?」
今は隣のクラスだが、高校に入ってから一年二年と同じクラスだった女子生徒だ。ピアニスト志望で、綺麗な指だったのを思い出す。
「左手の親指以外に包帯巻いてたな。畜生『鎌鼬』、マジで許せねえ……」
ちなみに笹川は広瀬さんに気があるらしい。告白すれば良いのに、とは常々思っているし、実際に勧めてもいるのだが、どうにも煮え切らない。
将来はジャーナリスト志望で、あらゆる事件の真相を白日の下に晒すことを掲げる笹川は、夢に向かって一直線。まっすぐな点で、広瀬さんとお似合いだと思うのだが。
「一応聞くが笹川、その『鎌鼬』、六年前の犯人がもし怪異や都市伝説の類じゃなくて実在したとすると、今回の犯人はそいつと同一人物なのか?」
「凶器は刃物で犯人は目撃されていない。六年前と完全に同じだ」
再び手帳を開き、幾項か確認した笹川は、そう断言した。
現在時刻、八時一五分。充分だ。
「犯人は同一人物──果たして本当にそうなのか?」
「は? 模倣犯だって言いたいのか?」
「だって、被害者が違うじゃないか。六年前の鎌鼬は、小中学生と幼稚園児がターゲットだった。被害に遭ったのは女子中学生が二人、小学生男児が三人、女児が八人、幼稚園児が一人だ。でも今回の事件、現時点では女子高校生が二人と男児が三人、被害者の年齢層が変わってるんだよ」
笹川は一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに表情を消してしまうと、ノートに何事か書き足した。
僕は、彼女の左手を握る右手に、無意識のうちに入っていた力を抜く。唇を軽く湿してから小さく息を吸い、再び言葉を放つ。
「本当に、再び現れた『鎌鼬』は六年前の奴と同一人物なのか?」
それは、と、笹川は言った。
「それは──、わからん。わからんが……何か、関係があるか? お前に。復活した『鎌鼬』が、本物なのか、偽物なのか」
「……いや。別に」
僕はそう言うと、ここで会話は打ち切りだと言わんばかりに自分の席に腰を下ろした。椅子の足と床が擦れ、耳障りな音を立てる。
ふと右を見ると、いつの間にか彼女は寝ていたようだった。半開きの口から規則正しい寝息が漏れ出している。
先程まで僕が握っていた左手は、軽く握りしめた状態だ。
今朝は気付かなかったのだが──彼女の目の下には、くっきりとクマが出来ている。
笹川との会話中に予鈴は鳴り終わってしまっているので、おそらくあと二、三分といったところで本鈴が鳴るだろう。一瞬迷ったが、彼女の目の下のクマを見て、僕は彼女を無理に起こすことをやめた。
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