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 彼女は肌を晒すことを嫌う。

 たとえば水泳の授業であっても、日焼け対策などと適当な理由を付けて手首足首まである水着を着用するほどである。

 そのうえ足ヒレまでつけているものだから、露出しているのは手先と口元だけだ。


 変な奴、と、形容する生徒もいる。僕もそう思う。

 同じ病院で一日違いで産声を上げ、以来幼稚園小学校中学校高校と、十八年間ずっと一緒にいる僕でさえだ。


 彼女は髪が長い。夜空のような真っ黒い髪。伸びるに任せて放っているものだから、水泳の授業後は大抵床に水溜りができていたりする。


 無頓着だ。

 幼馴染としてはもう少し気にしてほしい。毎回僕が髪を乾かす羽目になるのだから。


 彼女は僕に感謝すべきだ。女子が水泳の授業の時、大体男子はグラウンドでサッカーをやっているというのに、僕はわざわざ彼女のために、家からバスタオルを持参する。


「知らない。頼んでない。私は知らない」


 彼女は言う。


「髪くらい自分で拭けるだろ。もう十八なんだから」


 僕は返す。

 そう言いつつも、彼女の髪を乾かす手は止めない。

 夜空のような髪は、窓から差し込む光を反射して輝きを放っているように錯覚させる。星の煌き──本当に夜空のようだ。なんだかんだ言いつつも、僕はこの、彼女の髪が好きである。

 文句を言いつつも、彼女の髪を乾かすのだって嫌いじゃない。


「海行く」


 彼女は肌を晒すのを嫌う。


「へー」


 それこそ、十八年間ほとんど一緒にいる僕ですら、いっしょに川だとか海だとかで遊んだ記憶に乏しいくらいに。

 小学校くらいまで、まだ彼女の髪が短かったころは、夏休みは毎日学校のプールに通っていたはずなのに。


 中学校。水泳の授業は全部体調不良と日光アレルギーだかなんだかでサボる。僕は彼女が日光アレルギーではないことを知っていたが、学校の先生たちは、彼女が少し青白い顔をしてみせると、その話を信じてしまったようだった。

 そういえば、彼女はそのころから髪を伸ばし始めていた気がする。


「で? どこに行くって?」

「海」

「海……って、どんな?」


 肌の露出を嫌う。極端に、病的なほどに。

 肌はミルクの様に真白いが、別に日焼けが怖いわけではないだろう。

 しかし、これまで海や川への誘いに頑として首を縦に振らなかった彼女が、あろうことか、海に行くという。水泳の授業以外に水着など着ないと言い張り、スクール水着(僕の手により長袖に改造されている)しか持っていない彼女がである。


「塩辛い水。白い砂。青い空。海だー」

「あ、こら、暴れんな」


 バスタオルで挟み、叩くように水分を取る作業中、突然「海だー」と叫んで両腕を突き出した彼女。

 髪が引っ張られ、バスタオルからこぼれた幾本かがさらさらと流れる。

 微量に含まれた水滴がキラキラと光を反射。

 ちなみに「海だー」は限りなく抑揚の死んだ棒読みであった。


「誰と?」

「ともだち」

「ともだち?」


 お前に友達なんていたのか。

 けしていじめられているわけではないが、彼女はいわゆる「お近づきになりたくない奴」である。まず、表情に乏しい。そしてふわふわと地に足のついていない態度に、奇行。水泳の授業時に足ヒレを持参したりなど、まだ可愛い方だ。

 だから、まあ、挨拶程度はかわしても、休み時間になる度に連れだってトイレに行ったりするような、いわゆる「友人」とでも呼べる人間はいないわけで。


「お前」


 こちらを見もせずに、背後の僕を指差す。


「僕か」

「ともだち」

「一応聞くけど、いつ行くんだ?」

「明日」

「金曜日だぞ」

「学校はサボる」

「させるか」


 僕は男なので、風呂上りなど、髪の水分を取るときはタオルで適当にやってしまう。しかし彼女はこれでも女子であるのでそうもいかず、丁寧かつ慎重なドライが求められる。


 ぶっちゃけた話、十八年という歳月で見ると彼女の髪を乾かした累計時間はきっと彼女の両親に次いで僕がランクインするに違いない。もしかしたら勝ち越しているかも。

 それならこの髪は僕が育てたことになる。自分のものではないが自慢の髪だ。もちろん彼女自身はランキング外。


 ミルクの肌と、夜空の髪。白と黒の完璧な対比。ぽけっと空いた少しだらしない唇は薄い桜色。

 彼女に人が寄ってこない理由に一役買うのがこの容姿だ。少し小柄であることもあいまってか、陶磁人形じみた雰囲気を有していた。


 人間的ではないのだ。


 もし誰かが近づいて来ても、あまり友好的ともいえない性格とジコチューな思考から来る我が儘のせいでどんどん人は離れていく。


「じゃあ土曜日に行く」

「何しに」

「泳ぎに」

「まだ寒いぞ」


 六月である。海で泳ぐには少し早い。しかし彼女はそんなことお構いなしだった。


「平気」

「風邪引くぞ」

「そしたらお前が甘やかしてくれる」

「人類誰が見ても、これ以上僕がお前を甘やかすことはできないというと思うが。限界を振り切るレベルで僕はお前を甘やかしてる」


 彼女は鼻を鳴らした。というか鼻で笑った。小馬鹿にされた気分だ。

 腹が立ったので、丁寧に乾かした黒髪を、耳の後ろ辺りで二つのお団子にしてやった。馴れたものだ。彼女が抵抗する前に作業は終わる。


「これ、やめ、やめろー」


 白いうなじが見えている。微妙に取りきってしまうことのできない水に濡れた後れ毛が、どことなく色気を立ち上らせた。

 彼女は肌を晒すことが嫌いである。

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