#1 私と幽霊屋敷
午前七時――いつも通り、定刻に目が覚める。
ベッドの上で体を起こし、カーテンを開く。快晴の春空には、光を遮る雲は何一つない。
よっこいしょ、とおばさんくさい掛け声を出して立ち上がる。朝一番は何をするか――まずはやはりシャワーを浴びよう。
地縛霊がシャワーを浴びる――おかしな話に聞こえるが、幽霊といえど生前欠かさずやっていた行為を突如として止める事は出来ない。ゴーストライフワークの一環だ。
風呂場に赴き、脱衣所で白のワンピースを脱いで洗濯籠に放る。膨らみの無い自分の胸に肩をすくめ、生前自身が何歳だったかを思い出して溜飲を下げる。
死後、五年の時が経った。肉体だけは五年前の状態と何ら変わりない。よって身長も体重も変わらない。本来は成長する体の部位も成長しない。
……いいもの、大きくなっても肩がこるだけだし。
ちなみに服も洗濯する。柔軟剤も使う。
そういう問題ではない? 着てる時点でおかしいだろ? そんな事知ったこっちゃない。誰が裸で家に居たいのだ。私は裸族ではない。
まあ、確かに傍から見れば空中に服が浮いているのだ。慣れたせいで私自身がおかしさを忘れている。地縛霊が住むより、透明人間が住むといった方が正しいのではないだろうか。
浴室に入ってシャワーの蛇口をひねる。冷たい水をしばらく流していると湯気と共にお湯が出てくる。
頭からお湯を被り、髪や体を温める。前髪が濡れてホラー映画の化け物さながらの風体になる。
お湯を浴びつづけ、満足した私はタオルで軽く髪を拭き、脱衣所で体の湯を拭う。
ご覧の通り、私はある程度現世の物体にインタラクトすることができる。
その理由は、私自身が『実体化』するため――うん、いい加減霊としての概念が殆ど適応されてない気がする。とはいえ、出来ているのが何よりの証拠だ。そういうものと思ってほしい。
本来の幽霊状態を『霊体化』とし、この状態だと物と物同士が触れ合うこと――物理的干渉の一切ができなくなる。有機無機限らず物に触れられなくなるため、服は着られない。
今の状態『実体化』は、物理的干渉が霊体側に限りできる状態だ。『実体化』していれば物を持つことも、テレビやゲームのボタンを押すことも、蛇口をひねってお湯を浴びることもできる。
私が起こすポルターガイスト現象の正体はこんなところだ。「心霊現象の一種で通常では説明のつかない現象が起こる」ことが真の意味なので、きっと間違いではないだろう。
余談だが、「騒々しい幽霊」という意味もあるらしい。失礼な、私は至極慎ましく暮らしている……とは言えないな。確かに騒々しい暮らしぶりだ。
地縛霊となって唯一の制約があるとすれば、この家から離れられないだけだ。地縛霊として縛られている以上、外に一歩も出られない。
それでも家の中の事の一切をやっているのは私なので、ある意味「地縛霊」よりも「少し不自由な透明人間」の方がしっくりくるかもしれない。
だが、問題なのは家の中よりも外だ。
中は自分で掃除が出来るからいいとして、外は手を付けなければ雑草や木々が際限なく生える。夏はそれが顕著で、一時期内壁の老朽化でできた穴から、長く伸びた外の雑草が懸け橋となり、虫がいっぱい入り込んできたこともあった。
ドライヤーで髪を乾かし、白のシャツとセーターを着る。四月半ばの北海道――気温が一桁になる日もあり、まだ残雪がちらほら見える。昨日の春雷で春到来と思ったが、桜が開花する気温ではなく寒い。
とある山の一角に作ってあると言ったが、高度千メートル級の山の頂上ってわけではない。蔦で隠れていたとしても、たぶん外から見ればすごく目立つ位置に建っているくらいの場所だ。街路樹の桜の様子位はうかがえる。
ちなみに寒いっていうのは気持ちの問題だ。裸でいたくないって私の感情と同じで。
着替えたのち、普通の人なら朝食を摂るのだろうが、私は摂らない。というか摂れない。
食事の概念は地縛霊になってから不要の物となった。幽霊には消化器官などないからか、排泄する必要も無いためか、はたまた食べてもそれを付けるような部位が実際に無いためか。
ともかく食事は不要だ。食費が浮いて有り難いというかなんというか。
私は部屋の隅に置いたコードレス掃除機を手に取り、床の掃除に取り掛かる。
自室のカーペットの上、炬燵の中、リビング、台所、脱衣所、玄関と一通り周る。
「一世紀続く吸引力!」と銘打って売り出された掃除機は、一度掃除に使えば充電を要する程度のバッテリーだが、売り文句に相応しい吸引力を持ち合わせてはいる。私のお気に入りだ。
終わったら玄関フローリングと階段を雑巾ワイパーで綺麗に拭き、トイレ掃除、浴室の掃除、台所周りの掃除……だいたい朝はこんな感じだ。
朝の掃除を終わらせて時刻は午前九時。
窓を開けて換気し(これも実際は不要だ)、私は窓の桟に腰かける。
冷たい風が音を立てて吹いていた。
生前は息を吐けば白くなっていたが、今はそれも無い。
庭に咲くスイセンをじっと見て、綺麗だなぁ、と感嘆する。
街を見下ろして、すぐに家の中に目線を戻す。
「退屈しのぎはどうしようかしら」
昼までには時間があるが、それまでに特段やることが無い。
毎日の日課たる掃除が終われば、こうやっていつも暇を持て余す。
「今日は……四月、九日、か」
一か月が経つのが遅すぎるので、改めて日付を確認すると軽く落胆することもある。
だが、そろそろ「物資の補給」の時期だった。
窓を閉め、生活の際に軽く動いた家具を正し、ベッドの掛布団と毛布を整える。
そして私はベッドに腰かけ、「物資の配給」を待った。
時刻は午前九時半――閑静な空間をぶち壊す車の排気音が、この家に近づいてきた。
ベッドから立ち上がり、リビングに向かって歩を進める。
玄関側は山道と繋がっており、車一台くらいなら停められそうなスペースがある。そこに排気音の正体は停まっていた。
赤のセダン、乗っていたのは五十代半ばの中年の男だ。車の後ろには段ボール箱が積まれており、普段運動しないのだろう、息を軽く切らせながら段ボール箱を玄関前に積み始める。
段ボール箱はどんどん積み上げられ、計十六箱――しめしめと私は軽く笑みを浮かべる。
中年男は鍵を取り出してさも当然のように家の扉に差し込む。そして家の扉を全開にすると、傍の段ボール箱をせっせと搬入し始めた。
途中で靴を脱ぐのをめんどくさくなったのか、泥のついた靴のまま家に足を踏み入れたので内心イラッと来たが、その光景から目を逸らしておく。
娯楽の搬入者をわざわざ脅す必要も無い。
全ての段ボール箱を搬入した中年男は、玄関先の自分がつけた泥を丁寧にタオルで拭き、玄関前で一言――。
「本当に済まない……本当に」
土下座して消え入りそうな声で謝罪を口にし、逃げるように車に乗って去っていった。
「……相変わらず、心にもない謝罪を残していくのね」
拭き損ねが目立つ玄関フローリングにもう一度雑巾がけをして、私は段ボール箱の中身を見る。
有名作家の新刊、ライトノベル、名作シリーズや私好みのニッチなジャンルのテレビゲームと、段ボール箱は隙間なく詰まっており、律儀に整理されていた。
これで一か月は退屈しない。あの男を赦してはいない。が、罪悪感がある事だけは認める。
幽霊屋敷の全ての設備を提供しているのはあの男なのだから。




