化かし化かされ夢の道
「こ、ここまでくれば、大丈夫だろ……」
「さいってー、もう、ホントに……」
聡美を巻き込んで、数分間走り続けた。
当然、二人とも息が切れ、まともな意思疎通が出来るわけもない。
ふらふらになって、近くの樹木に寄りかかる。
「あのコートのヒトと面識でもあったの?」
こんな時でも、本当に鋭いやつだなと思う。
「そんなわけないだろ。あんな不審者と一緒にされてたまるか」
「それにしたって、本気でびびり過ぎじゃない?」
俺への疑いは晴れない。だが、夏場にコートという服装が普通ではないことは、聡美も分かっているようで、これ以上の追及はしてこなかった。
「とりあえず、飲み物でも買ってくるよ」
謝罪の代わりにでもと思い、俺は目についた自販機へと向かった。
投入口に五百円玉を入れると、赤いランプが一面に点灯した。
適当にお茶でも買おうと思って、ボタンを押そうとした時、首の後ろにヒヤリとした感触がした。
ああ、ごめん。もう買ってたんだね。それにしたって、いきなり驚かすのはやめてくれよ。
なんて思いながら後ろを振り向くと、そこにはコートを着た女がいた。
「これ、修ちゃんの分ね」
俺はわけもわからず、そいつを突き飛ばした。
半狂乱のまま、聡美のいる場所まで全速力で戻ってきた。
「どうしたのよ、一体」
「逃げるぞ!!」
聡美は一瞬固まった後、眉間に皺を寄せた。
説教は後だ。赤みが引いてもいない彼女の腕を、また強引に掴む。
「どうしたの、修ちゃん?」
「修、ちゃん……?」
後ろから聞こえる声に、聡美もいよいよ本格的に怪しみ始めた。
「ああ、あいつはやっぱりアブない奴だったよ!!」
やり過ぎとも自覚できるほどのオーバーさで、無理にごまかす。
そのままの勢いで逃走を図ろうとするが、聡美に手を振りほどかれてしまう。
「修介、アンタ、本当におかしいわよ!?」
「おかしいのは、あいつだよ!! あいつが全部悪いんだ!!」
やけくそに叫びながら、後ろの異常者を指差そうとしたが、それは出来なかった。
「あいつって、私のこと?」
その声は、後ろを振り向いた俺の、後ろから聞こえてきたのだから。
・
「だれ、このお友達?」
コートを脱ぎながら、元カノが訪ねてきた。
突然の話に聡美も面食らったようで、一言も発することが出来ない。
かわりに俺のわき腹を肘で小突いてきているが。
その返答として、俺はひそひそ声で「ともかく逃げるぞ」とだけ伝えた。それには彼女も黙って頷いてくれた。
「綺麗な人。両手に花だね、修ちゃん……」
話が終わらない内に、逃げ出した。
誰なのよ、怖い怖いと色々わめきたてる聡美をよそに、俺は考えていた。
一体、あいつは何なんだ。
あの日と同じ格好をして、あの日と同じようなことを喋ってくる。
怒りや憎しみといった感情はなさそうだが、どういう意図なのかがまるで分からない。
まさか、本当に一年半もここで待っていたわけではあるまい。
百歩譲って噂が本当だったとしても、それなら今も観覧車の中にいるはずなのだから……
そんな思考に意識を取られていたので、周りに気を回すことが出来なかった。
あっ、という声とともに聡美が転んだ。振り返って「急げ」とだけ伝えたが、どうやら足を挫いてしまったらしい。
「駄目だよ、女の子には優しくしなくちゃ」
肩を貸そうとした俺は、恐怖で動けなくなった。
声は着実にこちらに迫ってきている。
「大丈夫ですか? 包帯を巻いてあげますから、じっとしていてくださいね……」
聡美はと言うと、完全に放心状態だ。
こんな出来事が起こって平気と思える人の方が、非常にまれだと思うが。
「お前は誰だ」
「誰って……へこむこと言うなあ」
ショートヘアが揺れる。
「そんなこと、修ちゃんが一番知っていることじゃない」
俺は最後の力を振り絞って、抗った。
「お前は一体、誰なんだ!!」
「この人の名前は瑛子さん」
男の声だった。それも聞き覚えのある。
「俺と修介の知り合いだよ」
・
「というわけで、瑛子さんはここでスタッフをしている」
武志の話を聞く俺の顔は、さぞかしあほ面だったに違いない。
積もり積もった様々な苦労や懸念が、煙のように消えていったので、思わず脱力してしまったのだ。
それ程までに……あの聡美が納得するくらいに、武志の話は完璧だった。
俺はいつの間にかボランディア団体に所属しており、その中で武志と瑛子に出会ったと改変されてはいるが、矛盾やこじつけと言ったものは感じられなかった。
口裏を合わせてくれたのだろう。こんなにありがたいことはない。もう二度と武志には張り合わないようにしようと、心に誓った。
「すいません、驚かせてしまったみたいで……」
「え、ああ、いいんですよ。こちらこそ、驚きすぎてしまいまして」
瑛子が聡美の足に包帯を巻いていく。
修羅場以外に道はないと思っていた。だが、元カノと今カノが目の前で平和的に話している。
良かった。ダブルデートをして本当に良かった。
余程感極まったのか、突然、涙が溢れてきた。悟られないように顔を上に向ける。
「ああ、そうだった」
手当が終わった瑛子がぽんと手を叩いた。
「これ、皆で一緒に食べよう?」
そう言ったかと思えば、手提げバッグから五本の棒状のものを取り出した。
「これって、もしかしてチュロスですか~?」
杏奈さんの答えに、瑛子はぐっと親指を立てた。
ああ、遊園地といえばチュロスは定番っちゃ、定番だな。
五本ということは、一人一本ずつあるのか。走り回って小腹もすいたし、ちょうどいい。
そう思い、渡されたチュロスをしげしげと眺めると、若干不思議な点が見受けられた。
まあ、チュロスなんてこんな時にしか食べないし、その回数も決して多くない。
だから、気にしなくてもいいことなのかもしれないが……
チュロスって、こんなにピンクだったか?
・
「おいし~よ、タケポン。このチュロス、本当においし~」
「本当か。どれどれ……」
一番に口をつけたのは杏奈さんだった。
相も変わらずほんわかした口調ではあるが、おいしいものを食べたということだけははっきりと伝わってきた。
杏奈さんの発言には説得力がある。聡美も武志も俺も、彼女の言うことに対しては、「誤りはない」ものとして従ってきている。
次に食べ始めたのは話に乗った武志だった。
最初の一口は恐る恐るであったが、余程のおいしさからだろうか、二口目はかぶりついている。
「うまいな、本当にうまい」
二人が食べたのを見て、「それじゃあ、私も」と聡美が食べ始めた。
瑛子もにこにこしながら、チュロスを頬張っている。この様子ならば問題はないだろう。
「それじゃあ、いただきます」
口に含んだ途端、俺は目を見開いた。
なんだこれは、なんだこれは、なんだこれは。
余りの違和感に、思わず周りを見渡すが、皆は変わらずおいしそうに食べている……とても信じられない。
食感はサクサクやしっとりというものではなく、生肉を食っているかのようなブニブニとしたものだし、味も鉄のようなものがちらりと感じられるし。
「ウマイ、ウマイ」
武志は既に食べきる寸前だ。杏奈さんも順調に食べ進めているようだし、やはり問題はないようだ。
となると、どうやらこれは……
俺のものだけ、細工されたのか。
そんなことをする必要がある人物は、一人だけだ。
俺は犯人を睨み付けた。けろっとした顔で手渡したそいつを。
「どうしたの、修ちゃん? 減っていないみたいだけど」
白々しいやつだ。ここまでしておいて、言い逃れできると思っているのか。
「なあ、これなんだけど」
「うん?要らねーなら、俺が喰っちまうぞ?」
武志はそう言うと、俺から棒状の物体を奪い取った。
「お、おい……それは」
「もったいねえなあ、こんなにウマイのに」
思い切りかぶりついた。俺は止めようとしたが、その必要はなかった。
武志の笑顔は崩れない。
どういうことだ。誤っていたのは、俺の方だったのか?
化かされたかのような気分だ。何が正しく、何が間違っているのか、おぼろげになってきた。
「どうしたんだよ、聡美ちゃんも、あんまり減ってねえなああ。俺が食べてやろうか?」
「あはは……それじゃあ、お言葉に甘えて」
「まったく、タケポンたら、欲張りなんだから~」
もしかして、俺だけが狂っているのか。瑛子を恐れるあまり、勝手な脚色を加えてしまっているのか。
そうだ。きっと、そうなのだ。
聡美も、武志も、杏奈さんも、それに瑛子だって。みんな仲良く話しているじゃないか。みんな正常なんだ。
俺はそれを台無しにしようとしている。勝手な先入観によって、瑛子を悪意ある人物として判断してしまっているではないか。
だが、どうなのだ。実際のところ、彼女は何もしていない。大学時代の時だってそうだった。
友香さんに変なことを言われたから、それで、認識が狂っただけではないのか。
そうだ。きっと、そうなのだ。
「悪かったよ、武志。借りはきっと返すからさ」
「おおおう、その意気だぞ、修介」
これで幸せな、幸せな日々が戻ってくるんだ。
「ねえ」
なんだい、聡美。
「財布、落としちゃったみたい」




