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過去から染み出す夢(前編)

元カノの話。

 

 瑛子と出会ったきっかけを、俺はよく覚えていない。

 決して浅い仲ではなかった。だが、思い返そうとしても「いつの間にか」という結論しか出てこないのだ。

 それでも強いて言うとするなら、大学生のうちのどこかだ。

 最初に声をかけたのは、瑛子の方からなのだろう。

 彼女を見て連想するのは、日陰に咲く向日葵。決して表立っていたわけではないが、明るくて、笑顔に溢れていて、まぶしい。


 美人の方だったと思う。マドンナと呼ばれる程に浮いてはいなかったが、それでも整った顔の形をしていたし、スタイルだって悪くはなかった。今でも時たま、ショートヘアとペンダントの模様が脳裏によぎる時がある。

 家事が出来るようで、専らコンビニ弁当を食っていた俺の為に、自作の弁当を作ってくれた。具体的には覚えていないが、手の込んだ弁当だった。

 彼女との話は面白かった。それはそうだ、どんな話題にだってついてきてくれるのだから。流行のニュース、俺の趣味の話、自慢、愚痴、他人のドジ話、哲学的な話。有り体に言ってドン引かれるような話題すらも、彼女は受け入れてくれた。

 聞き上手にして話し上手。意思疎通は完璧だった。俺の意図を理解した上で、最適解を返してくれる。

 むしろ、話している俺の方が心配になったほどだ。「瑛子は俺の意図を汲んでくれる。だが、俺は瑛子の気持ちを分かっているのか」と。

 成績は優秀だった。試験前に彼女のノートを見せてもらったことは一、二回だけでない。

 運動もよく出来た。山へハイキングに行った際には、俺がへとへとになっているのを、その少し前でけろっとした顔で見守っているのだから、立つ瀬がなかった。


 ……。


 理想的な、本当に理想的な彼女だった。俺にはとても勿体ないと思う位に。

 それは周りから見ても……瑛子を除いたほぼ全員が思っていたのだろう。事あるごとに俺達はからかわれた。

「どんな手段を使ったんだ?」

「お前の彼女も変わり者だな」

「修介なんかやめて、僕とお付き合いしない?」


 辛うじて身長だけが少し高いくらいだったから、学内では「釣り合っているのは背丈だけ」と良く言われていたような気がする。

 なんとも失礼な物言いではあったが、不思議と怒りの感情は湧いてこなかった。

 自分にも彼らと同じ疑問が浮かんでいたからだろう。


 だから、「こんな俺でいいのか?」と何度も念押しした。瑛子は決まってこう返した。


「いいんだよ、修ちゃん。私はあなただけを見つめているから」



 瑛子と付き合ってしばらくして、俺は彼女の自宅に誘われた。

 他の家族はいないようだ。瑛子の友人と称する人物が同伴していたのは、少し驚いたが。


改めて・・・紹介するね。私の彼氏の修介さん」

友香ともかです」


 自己紹介が早々と終わると、瑛子はハッとした顔になり、「そうだ、すっかり忘れてた」と外へと駆けていった。何があったのだろう。


 瑛子の友人、友香さんと二人きりになる。

 首にかけてあるペンダントが瑛子と一緒だ。友人同士らしくペアルックにしているのか。


 その後は簡単な経歴を話し合った。友香さんと瑛子は小学生からの付き合いで、その印象は俺の抱くものと同じだった。明るくて、優しくて、それでいて強い。


「ずっと一緒にいたけど、彼女が挫けたところを見たことがないわ。かと言って、決して辛いことが無かったわけでもない。瑛子自身がしっかりしている分、彼女に降りかかってくるのは、どちらかと言うと理不尽なものが多かった」


 家族の死、嫉妬からのいじめ、家計を守るためのバイト生活、不慮の事故による怪我……

 瑛子に非はなく、誰も防ぎようのない不運ばかりがやってきた。


「あなたの抱いた印象……『日陰に咲く向日葵』だっけ、それはとても近いと思う。決して優れた環境とは言えない中で、彼女は立派に咲き誇っているわ」


 友香さんは一呼吸おいてから、こちらを見る。


「あの子をよろしくね」


 ぽつりと呟くように言い、それきり喋らなくなった。

 瑛子はまだ戻ってこなかった。一体、どこに行ったというのだろう。

 当事者が不在なのだから無理はないが、それにしても気まずい。


「ね、ねえ」


 どもりながら彼女のペンダントを指差した。


「それって、瑛子のものと同じだよね? どこかで二つ買ったのかな」


 友香さんは目を伏せて、大袈裟に溜息をついた。明らかに雰囲気が変わっている。


「何か、気に障ることでも言ったかな?」

「ううん、なんでもない。すいません、気を遣わせてしまって」


 その時の俺は、溜息をついた理由は自分の力不足、とばかり思っていた。

 幼い時から一緒だった友人の目からして、俺は彼氏に見合っていないと判断されたのだと。


「いえ、俺も実は瑛子の彼氏やってていいのかな、なんて思っていたところなんですよ」

「それはどういう意味?」

「友香さんも分かるでしょう。俺と瑛子ではあまりに不釣り合いだ」

「大丈夫、あなたの予想は現実にはならないから」

「ですが、瑛子が何を考えているのか、時々分からなくなる時がある」

「瑛子は悪い子ではないわ。それは友人である私が保証する」

「それでは一体、どうして溜息なんてついたんですか」


 言った直後にしまった、と思った。

 瑛子の友人とは言え、今日で初対面の人物に「溜息聞こえましたよ」なんて伝えるべきではなかった。

 取り消しの言葉を言おうとした俺に、友香さんはペンダントを触りながら言った。


「……とても長い付き合いになると思ったから」



 友香さんは本題に入った。


「あなたはもう知っていると思うけれど、瑛子には何の欲もない。見栄も計算高さも彼女にはないわ。こっちが申し訳なく感じるくらいに謙虚よ、普段はね」

「普段は、ということは、ある時には豹変することもあると」


 友香さんはその言葉に対して、もどかしそうに顔をしかめた。


「豹変、というのは正確じゃない。彼女はいつだって、あの性格のままなんだから」


 そうやって前置きをしてから、友香さんは口を開いた。


「ただ、時折……何かに食いつくことがある」


 食いつく。仙人のような彼女が何かに熱をあげることがあるのか。

 妙な言い方はともかく、それは良いことを聞いた。俺は彼女について、まだ何も知らないのだ。

 今後の付き合い方の参考になるかもしれない。


「これまで、何に夢中になっていたんですか?」

「言ってもいいけど、多分無意味よ。あなたの望む答えはそこにないわ」

「それでも構いません。どんな小難しい趣味でも、ちょっと外れた趣味でも、俺は……」


 彼氏として受け止める、と言おうとした。


「小学校で飼育していたウサギ、古着屋のぼろ服。そして、このペンダント」

 

 なんだ、それは。 

 話を切られて戸惑う俺をよそに、友香さんは話を進めた。


「これまでに瑛子がねだってきたものよ。小学生の時から今までに四回あったけど、どれも唐突で、まったく脈絡がなかった」


 ねだってきたもの。つまり彼女には物欲があると言う事か。

 ウサギ、ぼろ服、ペンダント。確かに関連性はなさそうに見える。


「ウサギなんかは、育てているうちに愛着が生まれたということではありませんか?」

「そう思うでしょう?でも、瑛子が欲しがった時、まだそのウサギを見てすらいなかったのよ」


 見てすらいなかった……?


「前日まで全く興味すらなかったのに、当日にいきなり職員室に入って、『ウサギを一匹引き取らせてください』よ?」


 確かに少しおかしい。だが、友人に隠れてこっそり見ていた可能性はある。


「瑛子は優等生で通っていたから、先生方は申し出を認めたわ。ウサギは何匹かいたけれど、彼女はその中から、後ろの右足がない一匹を選んだわ」

「可哀想に思って選んだのかも」

「そうなのかしらね? 詳しくは分からないけれど。ちなみに、今日はそのウサギが死んでちょうど十年目みたい」


 友香さんが窓のカーテンを開けた。外で瑛子が両手を組んで祈っていた。

 まさか、外に出てからずっと祈り続けていたと言うのか……?


「この調子だと、まだまだ話は続けられそうね」


・ 


 カーテンを閉めて、友香さんは話の続きをし出した。ペンダントは首から外され、手に握られている。


「私にとって、このペンダントはとても大切なものだった。今はもういないお母さんとの縁の品だったから」


 言葉の端々に悲壮さを含んでいた。深い事情は訊けそうもないし、訊こうとも思わない。


「それをあの子がね、突然言い出したのよ。『そのペンダントが欲しい』って。私はもちろん断ったわ、とても大切な品だからってね。そうしたら、あの子はごめんねと謝って、その日は終わったのよ」


 事情も知らずに欲しがるだなんて、知っている瑛子の姿とは少し違う。

 俺は知り合ってから何かを求められたこともない……想定外の話ではあったが、片や小学生からの付き合いなのだ。少しは地のふてぶてしさも出るのだろうか。


「でも、明日になったら、あの子はまた欲しがったのよ」 


 それは……


「嫌な予感はしていたわ。だって、ウサギの件もあったし。古着屋のぼろ服にしたって、苦労して町中駆け回って同じ服を探し出したのよ。だから、彼女のそういう性質は知っていたつもりだったわ」


 身体を震わせ始めた。口元からはくすくす、という掠れた笑い声が漏れ出ている。


「だけど、その明日も、欲しがった。その明日も、その明日も、その明日も、その明日も」


 友香さんはもう、俺の顔を見もしない。どこかの空を見て、独り言のように喋り続ける。


「あの子ね、断ると、すごく悲しい顔をするの。こっちが、悪いことしたみたいな気持ちになる。現にそのやりとりを見てたクラスメートは、『渡してあげれば』なんて、無責任な言葉を吐いたわ。逃げても、無駄だった。瑛子は何でも知っているのね。いつでも私の前に先回りしてきた」

「そんな強引な性質があったなんて……」

「強引? あはは、それも正確じゃないわね。あの子にとってはね、もうペンダントは手に入っている・・・・・・・のと同義なのよ」


 その言葉に俺は首をかしげた。しかし、そんな疑問よりもはっきりとさせたいことがある。

 ペンダントは結局友香さんの首にかかっているのだ。瑛子の首にも……

 薄気味悪さを覚えながら、俺は話を進めた。


「一体、どうなったのですか」


 友香さんはその言葉に、ふふっと笑った。

 何故笑ったのかは今でも分からない。過去の古傷がそうさせたのか、話のオチに自分で噴き出してしまったのか、無知な俺に対する憐みだったのか。

 

「そんなやりとりが一か月ほどあったある日、瑛子は首からペンダントをぶら下げていたわ。私は思わず、自分の首を確かめたけれど、ちゃんと物はあった。事情を確認したら、彼女は笑顔で言うのよ『他の人に譲ってもらった』って」

「譲ってもらった?」

「そうよ。マニアの人だかに、お金を支払ってね。確か、ゼロが五つか六つ付く金額だって言ってたわ」


 学生時代にポンと払えるような金額ではないことくらいは、俺にも良く分かる。


「こうして瑛子は望むものは全部手に入れてきた。そして、手に入れたものは皆、丁重に一生かけて大切にしていくのよ」


 友香さんと俺はカーテンをじいっと見つめていた。その奥では、まだ祈りは続いているのだろうか。



「ともかく、彼女の何かを知ろうだなんて、考えない方が良い。それこそ、頭が痛くなる事柄よ」

「だけど俺は瑛子の彼氏なんですよ」

「そう。私は小学生の頃からの付き合いだけど、瑛子のことなんて、これっぽっちも。私自身のことは良く見抜いてくるけど」


 なんということだ。友香さんも俺と同じ状況だったのだ。

 どれだけ長くいようとも、瑛子は誰にも、趣味の一つも明かしてはいないのか。

 

「親御さんに訊いてみると言うのは」

「試してみたわ。でも、何の意味もなかった。『なんでも興味を持つ、わんぱくな子』なんて当たり障りのない回答しかもらえなかった」


 なんでも興味を持つ、か。俺は苦笑した。


「結局、私が瑛子について分かったことは、『不定期に何かを欲しがり、その為ならどんな手段でも使う』という性質だけよ」


 当然、欲しがる理由なども分からない。

 理由もなく欲しがったものに、大金を出せたりするものだろうか。

 俺の中にある瑛子の像は、ますます靄の中に入ってしまった。


「そして最後のおねだりは、ごく最近だったわね」


 そうだ、おねだりは四回あったのだ。ウサギ、ぼろ服、ペンダントでは一つ足りない。

 何を求めたのか、と言おうとして、背筋が凍った。

 まさか。


「言ったじゃない。『とても長い付き合いになる』って」


 彼女が代わりに答える。


「もちろん、あなたのことよ」


 ガチャリ、と外のドアが開いた。

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