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正夢のような光景

 

 そこは仄暗い部屋であった。

 身体全体に酷い倦怠感があり、指一本を動かすのも難しそうだ。

 喉が痛い。声を出そうと口を開けても、枯れてしまったのか、空気がヒューヒューと流れていくだけである。

 足が痛い。太ももから指先までの激しい筋肉痛。中学生の時に、親に無理矢理入れさせられたサッカー部の日々を思い出す。

 腕が痛い。何かにきつく圧迫され、手先の感覚が麻痺している。

 鼻にまとわりつくのは、鉄の臭い。

 耳をつんざくような雑音が絶えず聴こえる。

 そして目の前には、見たことのある影。

 やめろ。

 影はゆっくりとこちらに向かっているようだ。

 不快な雑音も影から発されているように見える。

 やめろ。

 神経過敏となった耳からひっきりなしに頭に送られる音……いや、声。

 脈打つような頭痛に吐き気を催しながら、声の正体を探る。

 やめろ。

 徐々に影はその実体を見せ始めた。やはり見たことのある人物の姿をしている。

 それは叫んでいた。ひっきりなしに。

 助けを呼ぼうと。

 俺の名前を。


『シュウスケェェェェェェ!!』


 助けてくれ。



 目が覚めると、そこは木陰であった。手足は縛られていないし、不気味な声も聞こえない。

 頭が痛い。異様なまぶしさに襲われて、ろくに目も開けていられない。


「ああ、やっと目覚めたんだ」


 その声を聞いて、ようやくぼんやりとした輪郭が、はっきりとしてきた。


「聡美か……」

「ええ、正解よ。無事でよかったわ」

「あの、二人は?」

「武志くんと杏奈なら、ミラーハウスへと出掛けていったわ。ほんの五分くらい前にね」

「う、ごめん。すぐに追いつくから……」

「ああ、いいのいいの。それよりほら、水でも飲んでよ」


 そう言って、ミネラルウォーターを手渡される。冷たさからして、買ったばかりのものだろう。


「ありがとう」

「武志くんは日射病って言ってたわ。失神も症状の一つだって」

「もう大丈夫だよ」

「そう。なら、もういいかしら?」


 ひやりとしたのは、ミネラルウォーターを飲んだせいだろうか?


「なにが……?」

「あなた、私をどうしたいわけ?」


 ペットボトルを持ったまま、微動だに出来ない。


「私と付き合ってから、一年経ってるわよね。でも、あななたはデートの一つも提案しない。食事ですら、私から誘わなくちゃ一緒に出来ない」


「それは……」


 仕事が忙しいから?

 人付き合いが苦手だから?

 色々な理由が浮かんでは消える。


「その挙げ句、友人達に気を遣わせてデートまで用立ててもらったのに、体調が悪いか知らないけど、ボーッとしたまんま、手も繋がない、話もしないとか」


 言い返したい。

 なのに、何も言い返せない。

 言ってしまったら、俺は……


「武志くんのカメラ、壊れちゃったんだって。そりゃ、思いきりうつ伏せに倒れ込めば、そうもなるわよね」


「い、いくら……?」


「そういう問題!?そういう問題だと本気で思ってんの!!?」


 怒鳴られて、思考回路が麻痺してしまう。

 俺だって、そんなことしたくない。

 したくなかったんだよ……


「武志くんも杏奈も申し訳なさそうだったわ。いっそのこと、怒ってくれれば良かったのに」

「悪かったと思ってるよ……」

「あなた、いつもそうよね。『自分が悪い』『申し訳ない』って、壊れたオモチャみたいに何度も何度も」

「だから悪かったよ!」

「悪いだなんて、微々とも思ってないくせに」


 もうダメだ。こうなってしまった聡美を説得するのは、俺には無理だ。

 友人カップルならどうにか宥められるだろうが、話を聞く限り、戻ってくるには時間がかかる。


「改めて聞くわ。私をどうする気なの?」

「どうするって」

「このままキープするつもりなら、お断りだって言ってるのよ。武志くん達には申し訳ないけど、仲を進展させる気もない恋人と一緒って、正直時間の無駄なの。知ってた?」


 辛辣な言葉をあまりにもバッサリと言われた。

 想定はしていたが、痛いものは痛い。恋愛相手に「時間の無駄」と切り捨てられれば、誰でも傷つくだろうが。


 俺は聡美を見るのをやめ、かわりに奥の風景をぼんやり眺めることにした。

 深い考えなどない。ただ、反射的に痛みから逃れようとしたのだ。

 だから、『もっとまずいもの』が見える可能性を予想できなかった。

 聡美の後ろには女がいた。ショートヘアで、夏場にも関わらずコートを着込んでいる……



 どうして。


「修介、ちょっと聞いてんの?」


 あ、ああ、とぼかしたところで意味はない。

 聡美ははっきりしないことを許せない。このままいけば決裂するのは確実だ。

 そんな彼女には申し訳ないが、俺の目はその奥にいる女に釘付けになっている。

 背中を向けているので、顔までは分からないが、記憶がはっきりと示している……俺は女に会っている。

 もしも推測の通りだとしたら、聡美と出会わせるのは危険極まりない。


「聡美」


 真剣な顔を作って呼び掛ける。


「どうしたのよ、改まって」

「……お前の言う通りだ。全く言い返す余地はないよ、本当に申し訳ない」

「謝ったところで、何も解決しないのよ?」

「これからについて、話がしたい」


 聡美は反論せずに押し黙った。想定外の言葉だったようだ。


「一年もの間、お前と向き合ってこなかった罰について、はっきりさせよう」

「それは別れるってこと?」


 無論、議論次第ではそうなる可能性もある。だが、今はお話が目的ではない。至急でここから抜け出すことだ。


「とりあえず、ここでは話しにくい。どこかテーブルと席がある場所にしよう」

「でも、武志くんと杏奈はどうするの」

「二人の帰りを待つことと、俺達の未来を決めること、お前はどっちが大切なんだ?」


 切り込んだことを言ったが、彼女はそうね、と素直に応じた。

 別れを匂わせた手前、友人の安否を気にするのはおかしいと思ったか。


「それじゃあ、行こうか……」


 コート女をじっと見つめたが、後ろを向いたまま動かない。聡美は立ち上がり、俺の指差す方向へと歩いていく。

 なんとか切り抜けたか……と胸を撫で下ろしかけたその時、


「ねえ、そういえば」


 お互いの足が止まった。台詞の続きを察して、反射的に両手を突き出したが、もう遅い。


「なに、じろじろと後ろを見てたの?」


 聡美を止める時間は俺にはなかった。



 数分して武志と杏奈さんがやってきた。助け舟が来たと喜ぶべきなのだろうが、正直言ってタイミングが悪いにも程があった。

 彼らに映っているであろう光景は、目を好奇に光らせた聡美と、必死に食い止めようとする俺。その先にいるのは、夏なのにコートを着ている女。

 気分の悪さを訴え、不気味な発言を垂れ流し、果てに日射病で倒れた(その際にカメラを破壊した)男が、こうしてピンピンとしながら夫婦漫才をやっているなんて、幻滅もいいところだ。


「よう、随分と元気そうだな」


 武志の優しい言葉が胸に突き刺さる。

 首にかけられているカメラケースが、恨めしそうにこちらを睨んでいるように思えた。


「どうしたの、聡美ちゃ~ん?」


 杏奈さんはいつになく盛り上がっている聡美の様子が気になる様子だ。

 友人に呼びかけられて、彼女は自分の高揚をさらけ出した。


「杏奈も武志くんも見てよ、あの人。この真夏なのに、分厚そうなコートを着込んでずっと佇んでいるわ。これって凄いことじゃない?」


 ほうほうと頷き、納得しかける二人。

 俺は慌てて聡美の前に出てきて、大袈裟なジェスチャーで視界を塞ごうとする。


「真夏にコートだなんて、どう見たって変人の類だろう!! 近づかない方がいいから、さっさと離れようぜ」

「何を言ってるの。そんな人がいれば、とっくに警備員が取り押さえているわよ」

「入場した時は普通の服装だったんだよ、着替えてきたんだ、きっと……」

「出し物でもやるつもりかしら」


 全く意に介さない。少し前まで別れ話をしていた彼女とは思えない。

 気が付くと、友人カップルも傍に来ていた。横目に彼らを見たが、聡美と同じような顔をしている。


「何かのイベントかもしれない」

「面白そうだね~」


 一人逃げ出したい欲望に襲われるが、どうやって過ごせばいいのか路頭に迷うことになるのは明白だ。

 聡美は俺の家を知っているし、武志は会社の同期なのだから、どうやっても顔を合わせることになる。

 それにしても、なぜなのだ。

 なぜ、あの時のまま・・・・・・なのだ。


「声、かけてみようぜ?」


 背筋にぞわりと冷たいものが走った。


 なぜ、そんなに食いつくんだ。

 いや、そもそも……食いついたとして、普通、話しかけるものだろうか。見ず知らずの他人、それも不審者に対して。

 話しかけたとして、そいつから何を得られると?


「これは俺への当てつけのつもりか?」

「何を言っているのかさっぱり分からないぞ、修介」

「確かにお前には申し訳ないことをした。カメラも壊した、妙な話もした、聡美とも上手く付き合えなかった。自分でも最低だと思うよ。だからと言って、こんな……」

「もう一度言うぞ。お前は何を言っているんだ?」


 言葉に詰まってしまった。コートの女と因縁があるのは、俺しかいないのだ。彼らに分かるはずがない。


「だから、コートを着ているのは不審で、声をかけるのは、俺達が、危ないことなんだ……」


 駄目だ。言葉がしどろもどろになってしまう。


「武志くんだけじゃなく、修介も怖がりってことかしら?」

「大丈夫だよ~、ドリ~ムランドに来る人に、悪い人はいないから~」


 武志が動き出した。十数メートル先にいるコートの女に向かって、一歩ずつ進んでいく。

 やめてくれ。

 やめてくれ。

 やめてくれ。


 あああああああああああああ!!!!


 恐怖のあまり、その場で叫んでしまった。

 武志の動きがぴたりと止んだ。口を開けたまま動かない聡美と杏奈さん。

 しばらくして、影が動き出した。それは俺が最も望んでいない人物のものだった。


「行くぞ、聡美!!」


 聡美の手を力任せに掴み、はや歩きでその場を去る。虚を突かれた聡美は、前のめりになりながら俺に引っ張られていく。

 構っている暇はない。事情説明は一旦後だ。言い訳は逃げ切れた後にでも考えておけばいい。


 逃げていく俺を見つめながら、季節外れの元カノは首をかしげた。

修羅場フェーズ終了。

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