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俺が夢に入るまで

「おや?」と感じる箇所があると思いますが、どうかお気になさらず。


「だからさあ、お前は悪くないって」


 俺を呼び出した張本人の口調には、疲れと苛立ちがはっきりと見えていた。おそらく、こんなに面倒な話になるとは思ってもいなかったはずだ。

 話は平行線を辿っているし、これから先も交わることもない。そんな状態で説得し続けることが、どんなに辛く、虚しいことかは分かる。同情もしよう。

 ただ、決して同調は出来ない。友人と少しお喋りした程度で解決する問題ならば、今こんな状態にはなっていないのだから。

 最初に注文した二つのアイスコーヒーの氷は、もう既に溶けている。どちらも一滴たりとも減っていない。

 もう少し、俺の器量が大きかったなら……今頃、笑いあいながら、喉を潤すことが出来たのだろうか。

 否、と唾を呑み込んだ。


「もういいんだ、武志たけし。放っておいてくれ」

「そういう訳にはいかねえだろうが。修介しゅうすけが良くても、聡美さとみちゃんはどうするんだよ」


 何度もした話だ。今日だけじゃない、昨日もその前もした話。

 そして毎回、ここで会話が止まる。お互い気まずそうにだんまりを続ける。

 目の前の茶髪の友人を見る。普段では考えられない、もどかしさに満ちたしかめ面。

 俺も同じような表情なのだろう。自分は毎度のことだからいいが、人気者のあいつは慣れてないから大変だろうな、などと暗い妄想を浮かべ、溜息をつく。

 喫茶店「シンプトム」に入ってから、早くも三時間が経過していた。



 事の発端は、一か月前。

 会社の昼休みに一人で弁当を食べていた時、ふいに後ろから肩を叩かれた。

 慌てて振り返ると、そこには同期がいた。普段は仲の良い上司と外食に向かうのに、珍しいこともあるものだと思った。


「よう。元気にしてるか」

「なんとか。特に変わったこともない」


 手短に会話を打ち切ろうとスマートフォンに触ろうとしたのを、同期は許さなかった。


「最近、変わったこと。本当にないのか」

「本当にない」


 きっぱりと言い切ると、同期は目を伏せて、自分のスマートフォンを取り出した。

 数回のタップ音の後、大手のSNSアプリの画面をこちらに向ける。


「知ってるぞ。聡美ちゃんと最近、ぎくしゃくしているってことはな」


 そこには、聡美と杏奈きょうなさんとのやり取りが随分長いこと書かれていた。

 愛がない、別れてやる、と言いたい放題の聡美と、それを宥める杏奈さんの図だ。

 本来なら危機感を抱くべき状況なのだろうが、不思議と何の感情も湧かない。強いて言えば、そうなるだろうな、という諦観が近い……別に、最近の話でもないしな。


「俺と修介の仲じゃないか。教えてくれよ、何があったのか」


 何を言っているんだ、こいつは。

 くだらなさの余り、思わず頬が綻んだ。吹き出すのは辛うじて抑えたが、危ないところだった。

 こちとら、上司に誘われて嬉々として向かうお前を、恨めしい思いで見つめているというのに。


 そんな思いも露知らず、純朴な同期は迫ってきた。

 右手首を思い切り握られる。痛みが起こる程に強かったので、睨み付けてやろうと思ったが、その顔がひどく落ち込んでいたので、止めにした。


「そうでなきゃ、お前と聡美ちゃんを引き合わせた、こっちの立つ瀬がないじゃねえか」


 そうかい。そこまで言うなら、教えてやろう。

 ただし、善意からではない。むしろ逆……恨み節に近いものだから、覚悟しておけよ。

 そんなことを心の中では思いつつ、感化されたような表情を分かりやすく浮かべてやると、気のいい同期はあっさりと笑顔に戻った。

 

「そうだな、では……」


 そこから、俺は延々と問題を説明し続けた。今週分の昼休みがなくなってしまう位には。

 同期は健気にも回答を出し続け、こちらはそれを否定し続けた。

 あいつの顔が徐々に焦っていくのを、一か月の間、眺め続けていた。


・・


「何度目になるか分からんが」


 いつもの沈黙が破られた。

 破ったのは、気のいい同期、友人であり、三時間ほど喫茶店で口論をしている武志だ。


「『デート中』に元カノにあたる女性を一人置いてきてしまった。手ひどく振ってしまった。それがずっと心に残っており、聡美ちゃんとの交際にも支障をきたしている」


 その通り。要約すれば、たったそれだけのこと。


「その子と別れようとした原因は性格の不一致で、直せるものでもなかった。お前がいくら嫌がっても別れてくれないから、強引に引き離した。それで良いんだよな?」


 ああ、それで認識の誤りはない。


「言っちゃ難かもしれないが、そりゃあ、元カノにも非があるだろ。苦い思い出として受け入れることは出来ないのか?」


 結局、その結論か。

 席を立とうとする俺を、武志は手を伸ばして引き留める。


「まあ、待てよ」

「同じ議論を繰り返すのは、好きじゃない」

「傍から見れば、そう結論付けてもおかしくない話だろう」

「ああ。俺がお前の立場だったら……何も知らずに話だけ聞いていれば、同じ言葉を返しているだろうな。だが」


 だが、今は駄目だ。

 あの元カノは、思い出になってくれそうにない。


「電話番号も変えたし、住所も明かしてないんだろ?それなら問題はないって」

「そんな簡単に割り切れる話じゃない」


 正直な思いの丈をこぼすと、武志はテーブルを軽く手の平で叩いた。

 そうなる気持ちは分かるし、予想もついている。こんなに長い間、我慢出来たことを賞賛したいくらいだ。

 

「あのなあ。もう終わったことをうだうだと並べるなよ。お前はその子に未練でもあるのか。それとも、俺や杏奈を困らせたいだけなのか」

「そんなものは決してない」

「じゃあ、いいじゃないか。過程がどうであれ、最終的にお前は辛い日々から抜け出せたんだ。本当に大切なのは、今の彼女との交際をうまくすることだろう。違うか?」


 はっきり言っておこう。

 別に意地悪をしたくて、武志を否定してきた訳ではない。

 自分の性格が良いとは言えないし、「恨み節」という表現も使ったが……それは答えのない問題に延々と付き合わせることになるだろうと思ったからだ。

 彼女と出会った時点で、こうなることは運命づけられていたのかもしれない。忘れることも、見て見ぬふりすることも、ましてや受け入れることも出来はしない。


「修介」


 武志が真剣な眼差しを向けた。


「このままだと本当に『元カノ』の二の舞だぞ。どうするつもりだ」

「どうするって?」

「聡美ちゃんって、男勝りと言うか、サバサバしていると言うか。お前のそういう煮え切らない態度って、絶対許さないタイプだと思うんだが」


 概ねは合っている。実態はそれ以上だが……


「とりあえず。友人として、恋人を持つ男として、何より修介と聡美ちゃんを引き合わせた張本人として、この状況は是が非でも直さなくてはならないと思っている。そこで……」


 話半分に聞こうとしていた俺に、武志が三時間越しに解決策を提示した。


「ダブルデートというのは如何だろうか。過去のトラウマからか、一年経っても彼女とまともにデートすらしていない修介クンに、その機会を与えてやろうというわけだ」


 驚いた。

 少し鼻につく言い方ではあるが、決して悪くはない、むしろ感謝すらしてもいい提案であった。

 聡美に配慮し、一人で解決することばかり考えていたが、一時しのぎをいくらしたところで、ずっと元カノの影に怯えなくてはならないのだ。


「もし、俺の元カノにバッタリ出会ったら、どうする」

「その時は俺と杏奈でフォローするさ。聡美ちゃんも三人がかりなら納得してくれるだろ?」


 俺には高圧的な今の彼女も、杏奈さんならば制御することは可能だろう。

 最適解かどうかは分からないが、回答としては大いにありと言えるだろう。

 これを機に、因縁をすっぱり切って、新しい恋愛を楽しむべきなのかもしれない……

「ありがとう」という言葉が自然と口からこぼれた。囁くくらいだったので、武志には聞こえてはいないが。


「顔色が良くなったな。それじゃあ、デート場所を教えるぞ」

「ああ、教えてくれ」


『裏野ドリームランド』


 にやついた顔のまま、固まった。それ以上、何もできなかった。

 喫茶店「シンプトム」に冷たい雨が降り注がれていく。


・・・


 喫茶店「シンプトム」に二組のカップルがやってきたのは、翌日の事であった。

 蝶ネクタイをつけた武志が、手慣れた様子で司会者を務め始めた。

 

「こうしてお集まりいただいたのは、他でもありません」


 そう言うと、向かい側に座っている俺と聡美に向けて、両手を広げる。


「修介さん・聡美さんカップルの今後を応援する件について、緊急ミーティングを開かせていただきました」


 この議題には聡美にも思うところがあったのか、俺と顔を見合わせた後、そのまま俯いてしまった。 

 その様子を杏奈さんはいつもの通り、のんびりとした様子で眺めている。


「お二人は既に自覚があると思いますが。最近、お互いにパートナーとのすれ違いを感じてしまっているようです……今もべったりな武志・杏奈カップルからしますと、これは見逃せない」


 冗談のつもりで言ったのだろうが、何とも笑えない話だ。

 無反応にも気を留めることなく、気のいい友人は本題を進めていく。


「こちらには修介さんと聡美さんを巡り合わせた責任があります。ですので、仲を取り持つべく案を検討しておりました」


「タケポンカッコいい~」と杏奈さん。聡美の方はと言うと、ガタッとテーブルに身を乗り出し始めている。

 その威迫に思わずビクついた武志だったが、負けじと声を張り上げた。

 

「我々四名によるダブルデートです!!」


 シンプトムにいた客が一斉にこちらを向いた。数秒だけ時間が静止したように、硬直する。

 言い出しっぺもうっかりした表情のまま凍結している。

 その魔法を解いたのは聡美であった。刺々しい目線の先には、友人の杏奈さんがいた。


「なんで教えてくれなかったの? 私が苦しんでいるのを知っていて」


 目の端に涙が溜まり、言葉の端にも涙が重なっている。

 その様子を見て、マイペースな杏奈さんも顔つきを改める。

 客はこの後に起こるであろう展開を予想したのか、皆、自分の作業へと戻っていく。


「いや、これには、深い事情が」


 素をさらけ出す武志をよそに、杏奈さんも立ち上がり、聡美と同じ目線で向き合う。


「サ・プ・ラ・イ・ズ~」  


 そう言ってから、可愛らしく舌を出す。ついでに右手を握って、自分の頭にげんこつをする。

 再び固まる空間。

 数秒の見つめ合いの末、異様な重圧を解いたのも、やはり聡美であった。

 プッ、と吹き出したかと思えば、両手を挙げて降参の意を示す。その顔にもはや敵意はまったくない。


「司会続けてよ、武志君」 


 ホッと胸をなで下ろす武志を見た俺は、その隣にいる杏奈さんを目で追った。いつも通りの、ぼんやりとした表情を浮かべている。

 本当にこの人は、ただ居るだけで雰囲気を和やかに、争うことを馬鹿らしくしてしまう。ずるい人だ。


「ダブルデートの場所については、既に決まっています。杏奈、よろしく」


 は~い、と間延びした声を出しながら、杏奈さんが場所を告知する。

 武志との話から変わっていなければ、そこは……


「じゃかじゃ~ん、裏野ドリ~ムランド~」


 やはりか。ダブルデートの案には賛同するが、そこだけはまずい。

 なんとかして止めなくては。


「ね、ねえ。よりにもよって、そんな古臭いところでなくてもいいんじゃないか……?」


 そもそも裏野ドリームランドは、バブルの勢いで作られたような遊園地であり、もちろんセンスだって一昔、二昔前のものだ。

 デートスポットとなるべき場所は、他にいくらでもあるはずだ。


「どういうことだ、修介。お前行ったことあるのか」

「へ~、初耳ですね~」

「あ、ああ、子供の頃に、ちょっとだけね」


 俺からの情報に少なからず反応する二人。

 とりあえずは食いついた。なんとかすれば、計画を変更することが出来るやもしれない……


「駄目よ。私はドリームランドがいいわ。面白そうだもの」


 聡美にぴしゃりと止められた。これには面食らった。

 少なくとも、聡美は古臭いものより、新しいものを見たがる性質だと思っていたからだ。

 

「修介が子供の頃から、何かアトラクションが変わったかもしれないじゃない」

「い、いやあ、アトラクションなんて変わるもんじゃないよ」


 少なくとも一年半前までの時点では。


「と、言われてもだな……修介には申し訳ないが、ドリームランドにした理由はちゃんとある」

「なんだよ」

「日付指定のペアチケットを二組分、会社の先輩から頂いたんだ」


 最悪だ。れっきとした理由すらもある。

 しかも、日付指定のチケットという事は……先送りにすることすら出来ない。

 こうなれば、やり方としては最低のものになってしまうが、最後の手段を使うしかない。


「実は裏野ドリームランドには、不穏な噂話があるんだ。『入場者が行方不明になった』『ジェットコースターで事故になった』とかそういう類のものが……」


 勇気を振り絞った俺の言葉にぽかんと口を開ける、武志と杏奈さん。

 恥ずかしさのあまり、赤面してしまう。

 間をおいて放たれた「修介くん、ドリ~ムランド博士~」という間の抜けたフォローが、逆に悲しくなってくる。


「そんなこと言って。本当は私とデートしたくないだけなんでしょ?」


 声のする方を向くと、そこには氷点下の瞳を持った俺の彼女。

 言っとくけど、という不吉な前置きを付けて、緊急ミーティングをこう締めくくった。


「このデートを断ったら、修介、もうあなたとやっていくつもりはないわ」


 俺は頭を垂れた。すべてを受け入れるしかないのだと思った。



 こうして、晴れてダブルデートの計画が決まった。

 場所は裏野ドリームランド。元カノを置き去りにした、あの場所だ。

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