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腰抜け作家とクーデレ後輩

作者: 三月道化

五月病。それは人類の背負う7つの大罪の1つ、怠惰を増幅するという恐ろしい病だ。

「今、日本は壊滅の危機だ。この恐ろしい伝染病が猛威を奮っている。世間を見てみたまえ。サラリーマンは月曜に恐れ慄き、教授は隙あらば講義を休講にし、天才漫画家はネトゲに夢中になっている。そして、僕のシナリオは遅々として進まない」

僕が熱心に国家レベルの問題について語っているにも関わらず、あおいさんは白けきった目をしてため息をつく。


「先輩は年中無休で五月病じゃないですか。もう九月ですよ。それで、シナリオはどのくらい進んだんですか?」

彼女の名は藤崎あおい。同じ大学に通っている後輩だ。そして、夏休みは暇になるだろうといういい加減な理由とノリだけで僕がつくった、ギャルゲー制作サークルの仲間でイラストレーターを担当している。……今のところメンバーは僕とあおいさんの2人だけだが。


シナリオが進まないと絵が描けない。そのため、残暑も厳しいというのに、あおいさんはわざわざ喫茶店まで足を運んで、シナリオの進捗(しんちょく)確認という名の催促をしに来たというわけだ。現在、サブヒロインの個別ルートが、完成しそうで完成しない停滞状態に陥ってる。僕は高校時代に文芸部だったので、短編や中編の小説は書いたことがある。しかし,ギャルゲーとなると畑違いなので、作業が難航しているというわけだ。タイムマシンがあるのなら、二ヶ月前の僕を全力で引き止めたい。


「エンディングまできっちり頭の中に入ってるよ」

僕が得意顔で灰色の脳細胞を指し示すと、彼女は僕の手元に置いてあったノートパソコンを引き寄せ、またしても軽くため息をつく。

「全然進んでないじゃないですか。」

「僕たちの未来は、まだ白紙さ」

「1.21ジゴワットの電流を浴びせましょうか?いいから早く書いてください!今、ここで!」


あおいさんはやや強めの語気で、ノートパソコンを押し付けてくる。

その場しのぎだけは一流な僕は、瞬間的に今ここで書けない理由を5つほど思い浮かべたが、彼女の迫力に気圧されて渋々キーボードの上に手を置く。5分ほど経つが何も思い浮かばず、思考の迷宮(ラヴィリンス)に迷い込む。成績優秀で人当りもよいと評判の彼女が、なにゆえ僕には当たりが厳しいのか(僕はもしかしたら人ではないのかもしれない)、なぜ世界はかくも苦しみに満ちているのかという哲学的な思索にふけっていた。

「プラトンは、肉体は魂の牢獄であると言った」

「イデアの話はいいですから、今はアイデアを形にしてください」

ネットで聞きかじった浅い哲学知識を駆使してこの場を乗り切ろうと思ったのだが、未然に防がれてしまう。あおいさんは将来いい鬼編集になれそうだ。


しかし、それでもなかなかシナリオを書き始めることができない。

キーボードがグランドピアノの鍵盤以上に重く感じる。

自己の深淵を覗くことを体が拒否しているかのようだ。

僕にギャルゲーのシナリオなんて書けないんじゃなかろうか。

「さっさと書けよ」

突然の命令口調にびっくりして正面を見ると、あおいさんはアイスミルクティーを飲んでいた。

僕の視線に気がつくと、あおいさんはきょとんと小首を傾げる


「どうしました?」

空耳とは……。この短時間で僕の精神もいよいよだ。

「暑くて書ける気がしない。凶悪な太陽がギラギラとアスファルトを熱していて、地獄の様相を呈している。ところで自然環境が人間の心理や行動に影響を及ぼすという、環境決定論は知っているかい?」

僕の話を聞いたあおいさんは呆れた様子でため息をつく

「先輩、こんなに冷房が効いてる店で冷たい飲み物を飲んでいながら、そんな戯言を言い放つのは人として恥ずかしくありませんか?」。

多少なりとも好意を寄せている女性から人間失格の烙印を押されては、象皮ぞうひ(つらうたわれた僕も閉口へいこうせざるを得なかった。


それでもなお書きあぐねている僕を見かねたのか、あおいさんは軽く息をつく。

「さっさと書いてください」

凛とした声が響きわたる。顔をあげるとあおいさんと視線が交差する。

今度は空耳じゃないらしい。

そんなこと言ったって、書こうと思って書けるものならとっくの昔に書いている。

読書感想文に苦しむ小学生みたいなことを考えていると、それは暖かくて柔らかな音に変わる。


「書けばいいですよ。先輩の心に浮かんだことを、そのまま書けばいいんです」

「……そのまま書いたら酷いことになる」

「それでもいいです。私、先輩の書いた小説が好きです。バカみたいな話でいっぱい笑って、心が軽くなりました。だから今、私はここにいるんです」

「そいつは嬉しい限り……。えっ、今バカって言った?」

あおいさんは僕のツッコミをスルーしつつ曖昧に微笑みながら、手振りで物語を書くように促す。

僕は苦笑を浮かべ、手に力がみなぎるのを感じながら、キーボードに手を置いた。


キーボードを打ち始めると画面上に稚拙な文章が広がっていた。自分の頭の中にある理想の世界とのギャップに思わず眉をひそめる。頭の中ではあれほど光輝いていた物語が、セピア色のフィルターを通したかのように色褪せていく。

ここ一週間ほど書いては消し、書いては消しを繰り返していたが、今日も今日とて同じ事の繰り返しのようだ。囚人の穴掘りよろしく、バックスペースキーを押下しようとする僕を、あおいさんが制止する。

「消さないでください!どんなに稚拙でもかまいません……。最後まで書ききってください。」

彼女がこちらをまっすぐに見つめて言うものだから、僕は思わず精一杯の強がりを見せる。

「馬鹿を言うなよあおいくん。最高傑作を書き上げてやるさ」


どこまでも広がる不毛な世界。文字をタイプするたびに理想の世界が崩れていく。

学園モノのギャルゲーなのにタクラマカン砂漠が見えるようだ。。

文字に起こせば、嫌でも己の無力さを痛感し、砂を噛み締めたような気分になる。

理想の世界が、幻想に過ぎないことを思い知らされる。

肉体は魂の牢獄である。ジョークで引用したプラトンの言葉を思い浮かべて苦笑する


それでも、ただ書くことだけを考えて、テキストを紡いでいく。

瞬間的に脳裏に浮かんだ、水面みなもの月に手をのばすイメージを振り払い、ひたすらタイプする。

いつの間にか僕は自分の創り出す物語に夢中になっていった。

そういえば物語を創るって、本来楽しいことのはずだったな。

そんな考えが浮かんでは消え、心の赴くままにキーボードを軽やかに打ち続ける。

なんとか個別ルートのシナリオを書き終えると、ふーっと息を吐き、首ごと背中をのけぞらせる。


「完成だ!」

思わず、歓喜の声を上げる。

胸の内には夏休み中であるにも関わらず、夏休みの訪れによって感じる解放感と仕事を一段落終えたあとの少しばかりの達成感が去来していた。

「まだ本当の完成には程遠いですけどね。ともあれ、今日はお疲れさまでした。さっそく読ませてもらいますね。……なんのつもりです?」

すかさずノートパソコンを閉じてトートバッグの中にいれようとする僕の腕を、あおいさんは冷たい笑顔を浮かべながらつかむ。

「わかってるよ」

子供じみたやり取りに満足した僕は、軽く肩をすくめると、素直にノートパソコンを渡す。

あおいさんが真剣な面持ちでシナリオを読み始める。


天井に吊り下げられているスピーカーからは、モーリス・ラヴェルが作曲した、亡き王女のためのパヴァーヌが流れている。執筆に夢中だった時には気が付かなかったが、ずっと音楽が流れていたのだろう。

自分の書いた文章が他人の目に晒される時、僕はいつも不安を覚える。

物語はまず言葉によって摩耗し、批判によって破壊される。

心の中に大切にしまっていた物語が、公衆から批判されることによってゴミへと変わることだってある。

偉大なクリエイター達が、なぜ自らの作品を予めけなしておくなんて奇怪な行動をとるのか、今となっては少しだけ分かる気がする。


店内は冷房が効いているというのに、アイスコーヒーの入ったグラスは汗でびっしょりだった。

時々正面からくすくすと笑い声のようなものが聞こえてくるものの、僕は緊張のあまりブラックアウトしそうだった。

シナリオを読み終えたのか、あおいさんはちらりと窓から空を見上げ口を開く。

「そろそろ夜になりますね。歩きながら話ませんか」。


すぐに感想をもらえなかったということは、さほど面白くなかったということだろう。

僕は日が沈んだばかりの西の空に浮かぶ三日月に目をやると、死の宣告を逃れるべく、月がきれいですねなんてジョークでも言ってこの場を乗り切ろうかと考える。すると、あおいさんがうっすらとした三日月を指差す。


「月が好きなんですよね?」

馬鹿げたことを考えていたものだから、一瞬阿呆な勘違いをしてどぎまぎしてしまう。

「あっ、あぁ好きだよ。最も僕が好きなのは、三日月じゃなくて満月だけどね」

上擦った自分の声を恥ずかしく思っている僕にかまわず、あおいさんは言葉を重ねる。

「知ってますよ。完全無欠なところが素晴らしいなんて、ヒーローに憧れる小学生みたいなことを言ってましたよね」

あおいさんはおもちゃを見つけた子猫のような目をしながら、声をはずませる。


「ちなみにタロットでは、月の正位置は現実逃避ですよ。先輩にぴったりの大アルカナですね」

「なるほど。現実というクソゲーに屈せず、理想を追求するということだから、たしかに僕にぴったりだ」

あおいさんの巧みなからかいを飄々と躱す。

彼女との会話が楽しくて、調子にのったのかもしれない。

ふと、僕の書いたシナリオの感想を聞いてみる気になった。

「それで、月に例えるなら僕のシナリオはどのくらいだった?」

「うーん、二日月と言ったところですかね」

「ひどいな、めったに肉眼で見えないレベルじゃないか。嘘でも上弦じょうげんの月と言ってくれ」

口をとがらせた僕をみて、あおいさんはふふっと笑う。


「とにかく話がめちゃくちゃでしたからね。テーマも寓意ぐういもありませんし」

「芸術は爆発だからね。それに果たしてテーマなんてもの、ギャルゲーに必要なのか?」

「Cloudは家族愛を、マジガミは恋愛と主人公のクリスマスへのトラウマの克服をしっかり描いてたじゃないですか。いい作品には、基本的に作品の軸みたいなものがあるんですよ」

「まぁ、それは一理あるけれど……。しかし、マジガミに関して言えば、ギャルゲーなんだから恋愛が主軸になるのは当たり前だろ」

「ギャルゲーだから恋愛重視が当たり前……。それでは先輩の作品は恋愛をテーマにしたと解釈してよろしいですね?」

「そりゃそうさ。少年漫画といったらバトルと成長。ギャルゲーといったら理想の女の子との恋愛命。まさに王道だ」

「ど・こ・の恋愛ゲームに『今夜はデパ地下試食めぐりよりお前のそばにいたい』なんて告白シーンがでてくるんですか!先輩がつくりたいのはギャルゲーなんですか?ギャグゲーなんですか!?恋愛特化ゲー舐めないでください!!」


あおいさんにしては珍しく、激しい身振り手振りを交えながらツッコミをいれていた。そんなにマジガミが好きなのだろうか。そういえば、海外ドラマでこんな感じのボディランゲージをたまに目にするなぁなどと、とりとめもなく考えているとあおいさんの追撃が続く。

「先輩が馬鹿にしていた少女漫画より酷いじゃないですか。髪に巻き付いた芋けんぴから始まる恋のほうがまだ健全ですよ!」

「い、いや、あれは今時珍しい硬派な主人公の照れ隠しで……」

しどろもどろで弁解していると、意外にも追及の手はあっさりと緩み、あおいさんは鈴を転がすような声で笑った。


「でも読んでいて、すごく楽しかったです。流星のような勢いのある物語でした。少しカオスすぎますけどね」

「やっぱりひどいな。流星ってことは、いずれ燃え尽きるんじゃないか」

ストレートな賛辞に照れくさくなった僕は、つい揚げ足取りをしてしまう。

「燃え尽きたっていいじゃないですか。刹那でも自らの力で輝くことこそが、生きることなんですから。」

あおいさんは優しく微笑んだ。その眩しさに、今度ばかりは無粋なツッコミを入れる気は起こらなかった。


「それじゃ、当面はあおいさんに星を捧げることにするよ。満月じゃなく、ほうき星を目指すっていうのも悪くない。」

僕は冗談交じりに笑う。

「期待しています」

あおいさんも意地悪げな笑顔を浮かべる。

「私も先輩に一番星を捧げますね」

おそらくクリエイターとしての言葉で他意はないのだろうが、根が単純なので舞い上がってしまう。

「ありがとう、楽しみにしているよ」

素直な言葉が口をついて出た。

普段の僕ならここで満足していたのだろうが、今日はいつもより口が回った。


「ところでさ、来週の日曜日、デパ地下試食めぐりデートに行こうよ。」

あおいさんはきょとんとすると、ジト目で数秒間僕を凝視する。

「お断りします」

満面の笑みで言うものだから、今度は僕のほうが驚いてしまった。

けれど、自分でも意外なほどにショックが少なかった。

やるべきことをやるべき時にやった、という満足感が強かったからかもしれない。

「あっ、でも」と白いフレアスカートを翻しながらあおいさんが振り返る

「普通のデートコースなら歓迎ですよ。どこへ連れて行ってくれるんですか?」

僕は頬が緩むのを感じながら、まばらに瞬く星々を見ながら考える。

「ナイトワンダーアクアリウムへ。水が創り出す星空を見に行こう」

「ちゃんとエスコート、してくださいね?」

あおいさんが上目遣いでからかうように言うので、自然と僕も強がってしまう。

「安心してくれ。これでも英国貴族の血を引いてるんだ。レディーファーストは心得ている」

数瞬見つめあうと、二人分の笑い声が夜空にこだました。


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