*9*国王としての決断
あれからリーリエ達は目を赤く腫らしながらも、重い腰を上げて順々に私室へと戻って行った。
いくら悲しくとも、辛くとも、受け入れなければならない現実がある。
ましてや彼らは王族だ。ずっと傷心に浸ってばかりではいられない。
ただ残される者たちは、ローザリカの幸せを願う事しかないのだから……。
けれど食器やシルバーはメイドたちによって綺麗に片されたというのに、そこに未だ留まる者が一人――――
壮年をそろそろ終えようかという年頃で、リオンによく似た髪や背格好をしている。また、その背には、膝のあたりまであるマントを羽織っている。赤地に沢山の金糸が施されていて、複雑だが美しい意匠で描かれているそれは、国王の身分である事を証明している。
「ふー……」
彼は何かを吐き出すかのように、一つ大きなため息をついた。
テーブルの上で両手指を交互にクロスさせ神妙な面持ちでいた。
「エメリア……。私は間違っていないか……? これで、良かったのか……?」
――――それは、リーリエが自らの”罪”を母へと告白した日。
その日の朝食後の事だった。
「ローザリカ、少しよいか……?」
「……? はい」
レオパルドは、ローザリカを呼びとめた。
食器などは綺麗に片され、二人きりになった後、彼らはいつもの定位置へと座った。二人の間には少しの空間ができる。
「エドワードのことは残念であったな」
「……ええ。申し訳ありませんでした」
ローザリカは彼から少し視線を外して答える。
エドワードとは、彼女の三度目の婚約者候補の名だった。
「おまえが謝ることではない。気にするな」
「はい……ありがとうございます」
「……」
「……」
二人の間には、暫しの沈黙が流れる。
レオパルドは躊躇う気持ちを振り払い、彼女へと話を続けた。
「おまえの体のこともある。手短に話そう。……実は、半年ほど前からオチェアーノより第三皇子との婚姻の話がきている」
「あ……」
「聡いおまえならわかるだろう。この頃の周辺諸国の情勢を。そして、この国の置かれている状況を……」
「はい。大体はお父様から聞いておりますわ。この国が危機的な状況であるということも……」
ローザリカは、全てを語らずとも理解していた。
それに、それは彼も想定していたことだった。彼女は、幼い頃から人の気持ちがわかる聡明な娘であったからだ。
「そうか……。正式に決定したら第三皇子側がこちらへ来てくれるそうだ。しばらく滞在した後、共に帝都へと向かう事になっている。オチェアーノは、アルダンへちゃんと礼を尽くしてくれるということだろう。このような小国に対してありがたいことだ」
「はい」
レオパルドは、「ふー……」と一呼吸置いた。
そして――――
「では、国王として王女ローザリカに命ずる。帝国オチェアーノの第三王子の妃として……」
けれど、彼はそれ以上言葉が続かなかった。
「妃として…………」
そこから先の言葉を言ってしまったら、後悔や罪悪感、罪責感……。ありとあらゆる負の感情が、彼を襲ってしまいそうだった。
彼自身も、自分がどうなってしまうのかわからなかった。
それを打ち破ったのは、彼女の方だった――――
「陛下……。いいえ、伯父様。伯父様のお気持ちはよくわかりますわ。ですからわたしは、伯父様の姪として決断致します」
ローザリカとレオパルドの碧い瞳がぶつかった。
「わたしはアルダン王女ローザリカとして、オチェアーノの第三皇子の妃となります」
迷いのない、真っ直ぐな声色だった。
「ローザリカ……」
レオパルドは救われたのだ。
その無情すぎる決断を、彼女自身に行ってもらうことによって。
「すまない、ローザリカ。おまえにはいつも辛い思いをさせてしまうな……」
「いいえ。わたしは城でとても幸せでしたわ。わたしには父も母もおりますし……」
彼女は微かに微笑みつつも、その表情には薄っすらと哀しみが見てとれた。
「ありがとう、ローザリカ。本当に……」
レオパルドは目頭が熱くなるのを感じた。
けれど、それをグッと堪える。
――だめだ。私が涙を流すなんて。本当に辛いのはローザリカなのだから……。
「皆には私から折を見て話そう」
彼はこれ以上ローザリカと共にいたら、涙を堪えきれなくなってしまいそうだった。
無意識に、退室を促すような空気をつくった。
「はい。お願い致します」
ローザリカは席を立ち、食堂のドアへと向かった。
「では陛下。失礼致します」
「ああ……」
彼女は、レオパルドへと一度丁寧におじぎをしてドアを開ける。
その時――――
「ローザリカ」
「え……?」
レオパルドはローザリカを呼び止めた。
「体は、大丈夫か……?」
「陛下……」
ローザリカは不意に呼び止められたため一瞬困惑したが、すぐに彼の質問の意図を理解した。
「ありがとうございます。大丈夫です」
彼女はドアの前に立ち、答える。
「そうか……。だが、絶対に無理はするな。それならそれで何とかする」
レオパルドは「何とかする」とは言ったものの、その手立てなど無いことはわかっていた。
だが、そう言わずにはいられなかった。
「はい。ありがとうございます。けれど、わたしはアルダンのため絶対にこの婚姻を成功させます。大丈夫ですわ、伯父様」
そう言って、彼女は哀しそうに微笑んだ。
「ああ……」
レオパルドの瞳にも、もの哀しさが映っていた――――
私はあの日から今日まで、皆に伝えることが怖かった。
誰にも相談できずにいた。
リーリエかローザリカを息子と弟に選ばせる事なんてできなかった。
それであれば自分が全ての重荷を背負おうと……。
私はこれまで何度となく、国王としての大きな決断を下したことがある。
その度に思う。
「本当にこれで良かったのか?もっと別な方法があったのではないか?」と……。
「だが、結局はローザリカにその重荷を背負ってもらうことになってしまったな……」
そしてレオパルドは瞳を閉じ、愛する妻を心に映す。
それから再び問いかける。
「エメリア……私は間違っていないか……?」
私は卑怯な男だ。
ローザリカに大きな使命を課しておいて、内心では安堵している自分がいる。
リーリエを……エメリアの娘を手放さずに済んだと安心している自分がいる……。
「国王」とは孤独なものだ。
皆私に傅いて、その顔色を窺っている。
私を怒らせないように、嫌われないように……。
間違いを指摘してくれる者などいない。
だから私は、それが最善策であろうとなかろうと、決断しなければならない。
そして、前に進み続けなければならない。
「これで、良かったのだ……」
レオパルドは自分を納得させるしかなかった。
それに城はローザリカにとっても、とても辛い場所なのだから――――