*7*小さき者たち
「リオン様、大丈夫ですか……?」
「…………」
先程の国王からの申し渡しは、王家の者たちに大きな衝撃を与えた。
彼らは、受け入れがたい”本心”と、受け入れなければならない”立場”の狭間で苦しんでいる。
しかし皆、涙を流し悲しんでいる中で、彼だけはその場を後にしていた。
――返事も無し、か……
リオンは、クライドと共に私室に戻っているところだった。
彼は食堂を出てからも、ずっとその顔を俯かせたままでいる。
傍で付き従っているクライドでさえ、彼の眼鏡のレンズの奥にある、その表情は計り知れない。
あれからクライドたち護衛騎士は、国王からの指示で食堂の外での待機を命じられていた。
そして、隊長のダインから聞かされたのだ。
ローザリカが、隣国の第三皇子妃となることを……。
アルダンの北方にある帝国オチェアーノは、アルダンの国土のおよそ3倍もの大きさがある。また、人口や経済規模などはアルダンのおよそ4倍にも上る。
アルダンは、周辺を他国に囲まれている内陸に存在している。そのため、農業や林業、酪農を主な産業としている。
対するオチェアーノは、その大きな国土もさることながら、北側に大海を有しているのだ。アルダンと同様の産業ももちろん存在する上、たくさんの港町から捕れる新鮮な海産物が、その経済発展に貢献している。
加えて、第三皇子の父でもある現皇帝は、優れた為政者としても知られているのだ。
では、なぜその様な大国が、小国アルダンへ第三皇子妃を要求したのか……。
それは、逆にアルダンの方に利益があるとも言える。
この大陸には、あまたの国々が存在している。
その中でアルダンを中心としてみると、北方にオチェアーノ、西方から南方にかけてクリーガー、東方にブルーメという三国が隣接している。北西部のオチェアーノとクリーガーの国境には、人々の行く手を阻む広大な山脈が広がっている。
クリーガーは、軍が大きな権力を有している軍事大国であり、国土や人口、経済規模共にアルダンのおよそ3倍だ。
この国は特に鉱業が発展している。それは、主に強大な軍事力のための武器や鎧であったり、裕福な者たちへの貴金属へ加工される。
アルダンを含めた周辺諸国では、もうずっと長いこと「帝国オチェアーノ 対 軍事大国クリーガー」という様相を呈している。
つまり、”にらみ合い”の状態が続いているのだ。
その中間に位置し、挟まれてしまっているのがアルダンなのだ。
約一年前の事だ。
クリーガーでは、大規模なクーデターが勃発した。
前指導者であった人物は、その地位から陥落。そして、強硬的な「国土拡大政策」を推し進めている、軍の最高総司令官である人物が権力を握った。
それまで数十年の間、二国間には大きな争いは無かった。しかし、彼の推進する過激な政策により、その均衡が崩れる事となってしまう。
事実、既にクリーガーの西方の小国は、クリーガーの属国となってしまった。
つまり、彼は次にでも、このアルダンを自らの手中としてしまう可能性が考えられるのだ。しかし、小国であるアルダンにとって彼らに抵抗する手立てなどはない。例え、国の威信の為に立ち向かったところで、無用な血が流れる事は目に見えて明らかなのだ。
仮に、アルダンが彼の手に落ちたとなれば、オチェアーノの国境近くに位置する城は彼らの防衛拠点とされ、この美しい土地を物々しい軍隊たちに占拠され、踏み荒らされる事になるだろう。
逆に、これまでアルダンが小国ながら一つの国として存在してこられた事は奇跡に近い。それは、国王レオパルドや彼の先祖たち……つまり、代々の王たちの尽力に他ならない。
そこでオチェアーノは、アルダンへとある”提案”を持ちかけた。否、それよりも”下命”と言った方がいいだろう。
それを一言で述べてしまえば、「アルダンを守るから、第三皇子妃を輿入れさせてね。そして、クリーガーの国土にならないでね。その代わり、アルダンの主権は尊重するよ」という事なのだ。
現実的に考えて、この周辺諸国で軍事大国クリーガーに対抗できるだけの力を有しているのは、帝国オチェアーノだけなのだ。
では、第三皇子側がアルダンへと婿入りすることはできないのか、という疑問も出てくる。
それには、オチェアーノ側の思惑が絡んでくる。
第三皇子の長兄である次期皇帝は、ブルーメから正妃を娶っている。既に、この二国間には親しい関係が存在しているのだ。
アルダンも二代前の国王……つまり、レオパルドの祖父はオチェアーノから正妃を娶った。”第五”という、末席に位置する皇女だ。しかし、その絆は時と共に薄れつつある。
また、既に次兄にもオチェアーノ国内に婚約者が存在しているため、この度の第三皇子との婚姻となったのだ。
もし仮に、長兄や次兄が争いや病で早世してしまったとしたら、当然第三皇子がその地位を継ぐ事となる。オチェアーノにとっては、皇帝の血筋を国内に遺し受け継いで行きたいという理由があるのだ。
アルダンにとっては大国オチェアーノに対して、「第三皇子を婿入りさせてほしい」などと言えるはずも無いのだ。つまり、遅かれ早かれリーリエかローザリカを嫁がせるしか無かった。
その上、国を守ってもらうという後ろ盾まで供されたら、その要求を呑む以外に残された道は存在し得ないのである。
完全な”四面楚歌”な状態なのだ。
しかも、その第三皇子は既にこちらに向かっていて、2日後にはこの城に到着する事になっている。そして、しばらく城で滞在した後、ローザリカと共にオチェアーノへと出立する。
今から7日後には、皆との別れが待っているのだ。
――これじゃ、ローザリカ様がこの国の為の”人質”みたいじゃないか……。
クライドは納得いかない気持ちになった。
けれど、これが”現実”なのだ。
「あ、そうそうリオン様! 庭師が今年も”あの花”を持ってきてましたよ。お部屋の方に飾ってあります」
クライドは、重苦しいこの場の空気を変えようと、別の話題を持ち出す。
「そうか……」
けれど、リオンは受け答えはするが、俯くことはやめなかった。
「でも、いつも思うのですが何故”あの花”なのです? リオン様とはイメージが合わないというか……」
「……。別にお前には関係ないだろう。放っておいてくれ……」
「はあ……。それは申し訳ございませんでした」
――全く、この偏屈王子は……。
クライドは、心の中で嘆息する。
「私はもう休む」
リオンは、私室へと到着するなりクライドに目も合わさずに、そのまま部屋へと入っていった。
「はぁー、全く……」
彼は、今度は心の中ではなく、肺の中の息を吐き出した。
そして、やけに重厚的な佇まいであるドアの正面に立ち、この部屋の主の姿を思い浮かべる。
「さあ、どうされますか? リオン様?」