*6*ローザリカの四度目の正直
――――レオパルドは王妃を追慕し焦がれてから、遂に心を決める。
「皆に話がある…………」
それはリーリエたちだけでなく、レオパルドやアレクシス、ミゼリカにとっても、ひどく辛い数日間の始まりだった――――
「どういう事なのですかっ!? 兄上っ!!」
ダンっ!!
彼は、眼前に広がる純白のテーブルクロスへと、ものすごい勢いで両手をついた。
直後――
ガシャーーンっ!!
彼が先程まで味わっていたブラックコーヒーと、それが注がれていた高価なティーカップが床に落ちて散乱する。
彼の身に纏っている衣装にも、コーヒーの黒いシミが拡がっていく。
けれど、ここにはそれを気にする者も、片そうとする者もいなかった。
給仕人やメイドたちは下げられ、護衛騎士たちは部屋の外で待機している。
しん……としたこの部屋で、その音はやけに大きく響いた。
「なぜですか!? なぜ急にそんな事にっ……!!」
アレクシスは激昂していた。彼の妻も、呆然とした顔をしている。
「いや……随分前から話はあったのだ」
「では、何故今まで教えてくれなかったのです!?」
国王の側近として仕えている王弟は、兄の独断専行に怒りを露わにする。
「私も相当悩んだのだ……。だが、もう何度も”あちら側”から申し出があり、これ以上断り切る事ができない……」
レオパルドは眉間に皺を寄せ、苦しそうな顔をしている。
「……もう、どうしようもないのだ…………」
「………………」
そこに居る者たちは沈黙し、どこへもぶつける事のできないやるせない思いを抱く。
それは、レオパルドとて同様だった。
けれど、彼はやはり父として、王が許せなかった。
「だからって……どうしてローザリカなのです!! あなたの娘だっているでしょう!? いくらあなたがリーリエを溺愛しているからといって……。私の娘はどうでもいいと言うのですかっっ!!?」
「っ、違う!! ……そんなこと、ある訳ないだろう……」
「お父様、わたしが決めたことなのです」
「え……?」
皆の視線が、彼女へ集中する。
「どういうことだ、ローザリカ……?」
アレクシスは、信じられない思いで聞き返した。
「あなた……何を言っているの……?」
ひどく動揺しているミゼリカは、震えた口調で問い質す。
ローザリカは、父と母へその瞳を向けている。
そして、父の隣に位置する国王へ視線を移し――――
「……わたしは、オチェアーノの第三皇子妃として、この国から出て行きます…………」
――――その碧い瞳には、決意が込められていた……。
リーリエは、自らの目の前で起こっている現実感の無い出来事に、頭が付いていかないでいた。
――お姉様がいなくなる……? この城から、この国から出て行かれる……?
ローザリカは、もう三度も婚約者候補と正式な婚約成立のため動いていたが、それが適うことはなかった。
その三人共が、最初は美しい王弟の娘の婚約者候補として選ばれた事をひどく喜んでいるのに、数回顔を合わせた後に破談となってしまうのだ。
しかも、三度目の候補者などは特に酷い。
彼は婚約不成立の直後、リオンの婚約者候補でもあったマリアンヌ侯爵令嬢と、すぐに正式な婚約をしてしまったのだ。
――もう、会えなくなるのかもしれないのですか……?
リーリエは楽観視していたのだ。
例え彼女の婚約が成立し降嫁する事になろうとも、候補者たちはアルダンの国内、しかもこの城からそう遠く離れていない場所で居を構えているので、会いたくなればいつでも会えるだろうと……。
――そんなの…………
「……嫌ですっ……っ……そんなの、嫌です!! ……ふぅ、っ……」
リーリエの瞳から大粒の涙が溢れ出す。
「……嫌ですっ…………」
「リーリエ」
彼女の右隣から、優しい声が聞こえた。
リーリエは顔を上げると、そこにはあの慈愛に満ちた微笑みがあった。
「ありがとう。リーリエ」
そして、ローザリカは、彼女をその温かい手で抱きしめる。
「あなたはいつまでも大切な、わたしの妹よ……」
「わああぁぁぁぁぁぁぁぁ」
リーリエは、ローザリカの腕の中でただ泣き続けていた――――
そして――
ミゼリカも――
「……うぅっ……」
アレクシスも――
「くそっ!! ……っ……」
レオパルドも――
「……すまないっ!! ……くっ……」
けれど――
彼は……、リオンだけはただ、俯いていた……。
膝の上で両拳を硬く握り、何かを耐えるように……。
その表情は、誰にもわからなかった――――
『正式に降嫁することになったら、わたしはこの城から出ていかなければならないのよ。わたしがあなたを守ることはできなくなるの』
お姉様……
大好きなお姉様……
ずっと、ずっとわたくしの傍にいて下さいませ……
離れていかないで下さいませ……
――――――――
「はぁっ……はぁっ……」
――早く……早く……
混乱状態になっている彼女は、どこをどう走っているのか自身でも判断が付かない。
「はぁっ……はぁっ…はぁっ、はぁっ」
――早く……早く…早く、早く! 早く!! 早く!!!
やっとの思いで彼女は厠を見つけると、一目散に入り込む。
「……っかはっ……っげええぇぇぇぇ……っ……ふぅっ、はぁ、はぁ、はぁ…はぁ……」
彼女は、その美しい唇からは似つかわしくないモノをそこへ吐き出す。
荒々しい息遣いは、そのままで……。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
彼女の美しい宝飾で纏められた髪や、深紅の上質な絹のドレスが、位の高い身分の者だと証明している。
彼女が居るその場所は、それにひどく不釣り合いだった。
「はぁ……はぁ……はぁ………………」
――だめよ、こんな事では……。わたしは今度こそ、成功させなければならないのだから……。そして早く城から……
出て行きたいのだから――――