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*56*アレクシスとミゼリカのuntrue love story Ⅵ

 その晩は散々だった。女を抱いて本気で泣かれたのは初めてだ。


 腕の良い侍女たちの手によって美しく施された化粧は、既にあらかた剥がれ落ちてしまい、彼女の素の状態をほとんど曝け出していた。

 もちろん物理的な痛みという事も大きいのだろうが、それよりは内面的なものだろうと思っている。

 「元婚約者の為の純潔は、女を知り尽くした男によって易々と奪われた」――大方、そんな事を考えているのではないだろうか。

 ミゼリカとエメリアは、エメリア本来の無邪気な性格も相まって、今や親友のような間柄だ。その為、いらぬ事まで何かとミゼリカに喋ってくれた。そのお蔭で、彼女にとって俺は、「女好きの不実な男」という評価(レッテル)が貼られているようなのだ。まぁ、間違ってはいないので反論の余地は無いのだが……。


 こちらを背にした滑らかな素肌は、先程からふるふると小刻みに震えていた。ミゼリカは自身をぎゅっと強く抱きかかえて、しゃくりあげてしまいそうな声を必死に我慢しているように感じる。


 これまでも”初めて”の女を抱いた事もあったし、彼女のように泣かせてしまう事もあった。けど、そんな時は耳元で甘い言葉を囁き、そっと背後から抱きしめてやれば良い。そうすれば、程無く女たちはうっとりとした瞳でこちらを振り向き、抱きしめ返してくれる。それから口付けを落として髪を優しく撫でてやれば、安心したように彼女たちは静かな寝息を立て始める。

 これが、「不実な男」が身に付けた”遣り方”だ。



「……ミゼリカ」


 俺は背後にそっと近寄り、耳元で彼女の名を呼んだ。なるべく穏やかに、その身をやおらに包んでやるように……。

 すると、ミゼリカはびくりと大きく肩を跳ねさせた。それから、今まで以上にカタカタと震え出したのだ。それは徐々に大きくなっていく。


「……? ミゼリカ?」


 どうしたのだろうか。こんな反応は初めてだった。俺は聊か戸惑ってしまう。


「……ぃや……」

「え……?」


 とても小さな呟きだった。耳を凝らさなければ、決して聞き取ってやれないくらいに。

 直後――



「……いやああぁぁぁ!!」



「なっ……!?」


 彼女は俺に背を向けたまま髪を振り乱し、更にぐっと腕に力を籠めて大声で叫んだ。それは、明らかな”拒絶”だった。呆然とする俺など気にも留めていないように、「うっ……ひっ、く……」と再び銀灰色の瞳一杯に涙を濡らす。ガタガタとした身震いは、より一層強さを増していった。


 何なんだよ……。


 意味が分からない。これまでの女だったら、拒絶どころか、俺を受け入れてくれた。満たしてくれた。



 ミゼリカは、俺を満たしてくれないのか……?



 だとすれば、何の為に結婚したのだろう。……否、最も重要なのはそこでは無いのだ。「この城から出て行く為」――これが俺の目的であり、自分にとっての大儀だ。それを果たすべき婚姻。不要な感情は、捨て去るものなのだ。



 それから俺たちは、人一人分の間隔を空けたまま眠りについた。彼女は、ずっとあちらの方を向いたままだった――――




 その後も俺とミゼリカは、義務的に閨を共にした。それは一重に”王族として子をなす為”であり、自分にとっての”欲の為”でもある。俺が察し取れるくらいには、彼女からも「気持ち」を感ずる事は無かった。

 だが逆に言えば、それも都合が良かったのだ。ミゼリカは受け入れる事は無いが、拒絶する事も無い。確かな拒絶の意を示した初めの時以降、彼女はこの関係を割切っている。


 だから、ミゼリカと共にいるのは楽だった。エメリアのように、余計な感情がいらないから……。




――――エメリアが懐妊したと聞かされたのは、俺たちが結婚してからおよそ1年後の事だった。

 当然、国中が王と王妃を祝福したし、兄上たちもひどく幸せそうだった。特にエメリアは、時折腹を撫でたりしながら「ふふっ」と新たな生命の誕生を待ちわび、既に”母”としての顔をしていた。それは、俺の知らない彼女の顔だった。

 そんな幸福そうな彼女を見てさえも、未だに胸の中の痛みが引かぬ自分に嫌気が差した。




 それから約3か月後の事だ。突然の訃報がもたらされたのだった。

 トマス叔父上の妻である義叔母(おば)上が、不慮の事故によって急逝してしまったのだ。ちょうど俺とミゼリカが公爵位を授かり、城を出て行く為の準備を進めていた時だった。

 その為、叔父は大きな屋敷で一人でいるのはさすがに忍びないと、俺たちに同居の打診をしてきたのだ。子もいない叔父には、きっと寂しさもあったのだろう。ミゼリカとしても、実家のある領地内での暮らしは悪い話では無い筈だ。

 それに、自分にとっても正に願っても無い出来事だった。


 俺は、義叔母上の死を有り難がってしまう程、人の道を外すような事さえも考えられるようになってしまったのだな。


 そんな事をぼんやりと考えながら、「ふっ」と自嘲気味な笑みを浮かべる。


 俺は本当に嫌な男で、最低で、独りよがりな人間なんだ……。


 改めて、自分自身に刻み込むように強く思う。でなければ、“真に”そうなりそうで恐かった。自分の心が真っ黒い何かに埋め尽くされてしまいそうで、誰かに助けて欲しかった。



 だからかもしれない。その晩、俺はミゼリカを求めた。けれど、彼女は伸ばした俺の手を、困惑気味に視線を彷徨(さまよ)わせながら拒否したのだ。


 「どうして?」と思った。


 「月のものか?」と問うたが、「そうではありません……」と遠慮がちに返されただけだった。それ以降、彼女は口を閉ざしてしまった。

 俺は、自分の中で湧いてくる沸々としたモノを感じていた。もちろん怒りもあったが、それ以上に別の感情が……言葉では言い表せないような複雑な想いが、胸の中をぐるぐると渦巻いている。


「そうか……」


 そう一言だけ言い残し、夫婦の寝所を後にする。何故だか共にいたくなかった。俺は、自分自身から発せられた冷たい声色に愕然としていた。 


「申し訳ございません……」


 ミゼリカは俯いたまま、消え入りそうな声で呟いた――




――ミゼリカの懐妊が知らされたのは、それから数日後の事だった。そうして初めて、「そういう事だったのか」と気付く。


 俺は本当に嫌な男だな……。


 もう何度目かも分からない科白(セリフ)を巡らす。彼女は、医者(ドクター)からのはっきりとした答えを聞くまで黙っていたのだ。万が一の可能性を考え、俺や兄上たちへと打ち明けるのを踏み切れずにいたらしい。告白した後は、ホッとしたような面差しを向けられた。

 この時の彼女は、あの時のエメリアと同じ顔――ふわりとしたような、“母“としての表情をしていた。

 だが、清らかな微笑みは出会った時と変わらぬまま、俺の瞳に映っている。


 俺が……父親……?


 あまりにも現実感の無い事実に、それを直ぐには飲み込む事が出来なかった。



 「この先産まれてくる自分の子を愛せるのだろうか」――そんな、ミゼリカの夫となった時分に捨て去った不安定な感情(モノ)への想いを、只々繰り返し続けていた――――







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