*55*アレクシスとミゼリカのuntrue love story Ⅴ
兄上へ結婚の報告をした時には、既に大騒ぎとなっていた。結果的に主役たち以上に目立ってしまったかもしれない。
先刻、大広間へと足を踏み入れた途端に人々の注目を一身に浴びてしまったのだ。急に見た事も無い女性が王弟の隣に立ち、手を掛けているのを目にすれば、賓客たちが驚くのも無理からぬ事だろう。こそこそとした囁きは程なくざわざわとした喧騒となり、いつしか広間全体へと広がって行った。
当然予想していた事ではあったが、兄は始め「何を言ってるんだ?」と訝しそうな顔をして、弟の頭が可笑しくなってしまったのではないかと疑ったようだ。けれど、俺とミゼリカの真摯な言葉や振る舞いから、それが本気であるという事に少しずつ気が付いたらしい。兄の顔色は、徐々に真剣味を帯びていった。隣にいたエメリアは俺たちの型破りな行動には気にも留めず、「義妹が出来るのね!」と無邪気に喜んでいた。
だが、対して母上は、こちらをじっと無言で熟視していた。俺は、最後まで母の目を見る事は出来なかった。
ミゼリカの父は、俺たちの結婚発表を耳にした後、暫くぽかんと目と口を大きく開いて呆然としていた。それから、突然バタン!! と倒れてしまったのだ。「お父様!?」と彼女が慌てて駆け寄ったが、あまりの驚きで気を失ってしまっただけのようだ。大事に至らなくて良かったが、ミゼリカの家系は大きな衝撃を受けると思考停止してしまうらしい。「今後は気を付けなければ」と肝に命じた。
けど、それほどの事をしたというのは自覚している。”婚約発表”を素通りして、”結婚発表”を行ったのだ。それも「王族が」だ。
ほんと、どうかしてるよな……。
「ふっ……」と馬鹿げた自分の行動を嘆きつつも、もう後戻り出来ない現状を既につくり上げてしまった。今更考えたところで、どうしようも無い。
その折、視線の先で、こちらを射るように見ている者たちに気付いた。否、それは「睨んでいる」と言った方が似つかわしい。
華麗に着飾っている令嬢たちは、そこからミゼリカに対し冷たい眼差しを送っていた。ひらひらとした派手な扇で口元を隠しながら、何やら数人でひそひそと話している。
嫌な予感はした。
彼女らのほとんどが、俺と閨を共にした経験のある者たちばかりだ。こんな時に自分の愚かさに改めて気付いてしまう。
とにかく、もう彼女たちとの関係も今日限りで終わりだ。
そもそも彼女らとの”繋がり”も、エメリアを手に入れられない事への虚しさ故だった。つまり、代わりにしていた――「誰でも良かった」という事だ。
俺は、ちらりと隣に立つミゼリカを覗き込んだ。すると、彼女は直ぐにその視線に気付いたようだ。「どうか致しましたか?」と問われたが、「いや……」と目線を外して曖昧に取り繕った。
ミゼリカは、俺を満たしてくれるのだろうか……?
俺は、本当に嫌な男。最低で独りよがりな人間。
この期に及んでも未だ”彼女”への未練が断ち切れず、それを”彼女”に求めようとしているのだから……。
だが――
『わたしは、アレクシス様のお考えの全てを理解する事は出来ませんわ。ですが”協力”する事は出来ます』
ミゼリカは、そう言っていた。
俺たちは、”協力”の下に成り立つ関係。父たちと同じ、政略結婚のようなものだと思えば良い。
父と母の間に「愛」など存在していなかった。少なくとも俺はそう思っている。だったら俺とミゼリカの間にだって、そんなモノ必要無い筈だ。
彼女も今日出会ったばかりの男に対し、「愛」などという感情を持てる訳がないだろう。つい先日まで、心を許す相手がいたのだから……――
「……本気なのだな?」
「え……? ええ、もちろんです」
突然、目の前の兄上から声を掛けられた為に聊か驚いてしまったが、既に慣れ切っていた作り笑顔で応答した。兄は母のような眼差しで、じっと俺を見ている。
それから再び口を開いた。
「これからお前の人生を共にするんだ。しっかり守ってやれ。それから、分かっているとは思うが……」
兄は、令嬢たちをちらりと覗い見る。
「彼女らには、もう手を出すなよ」
そう言って、これまで目にした事の無いくらいの鋭い眼光で俺を凝視した。ぞっとしてしまう程の冷たさを感じる。
「ええ、分かっていますよ」
もう、”代わり”がいるのだから……――――
――――それからは、ウィンザー伯爵家へと正式に婚姻の挨拶に向かったり、婚儀や王族の一員となる為の準備が忙しなく行われていった。
こうして数か月の後、婚儀が挙行された。俺が十九歳、彼女が十七歳の時だ。
出会った時にぴしりと纏められていた髪は、彼女本来のなだらかな曲線を紡いで一層美しさを引き立たせていた。片側には、グロスター公領原産の白い雛罌粟が3つほど申し訳程度に飾り付けられており、ちょこんとしたそれは彼女の銀の髪に溶け込んでいる。しかし、そこからは確かな存在感が放たれていた。
真っ白なウエディングドレスに白い素肌、銀の髪に白い雛罌粟……。
純真無垢なその姿は、本当に女神だろうかと見紛う程の清らかさだった。
エメリアなどは「わぁ! 素敵ですわね!!」と感嘆の声を上げ、瞳をキラキラと輝かせながら彼女にガバッと抱き付き始めたのだ。ミゼリカは突然の事に「きゃぁっ!」と倒れ込みそうになってしまい、それを「やめないか、エメリア!」と兄上が言い聞かせながら彼女を受け止めてくれた為、せっかくの花嫁衣装を台無しにさせてしまうという事態にはならずに済んだ。
そんな事を横目で「はぁ、全く……」と眺めながらも、「綺麗だ」と素直に思った。
けれど、それを口にはしなかった。余計な感情は、お互いを縛り付けてしまう。必要のない感情は、始めから生み出さなければ良いのだから――
――その後、あの日差しが目映い礼拝堂で俺とミゼリカは夫婦となった。この時、俺たちは初めての口付けをした。それはひどく儀礼的で、気持ちなど欠片も無いと言えるものだった。
だが、もしかしたら彼女には、何かしら思うところがあったのかもしれない。ぎゅっと強く目を瞑り、唇は真一文字に引き締められていて、緊張しているのがこちらにも伝わってきた。互いの唇が触れ合った瞬間には、「んっ」という微かな囁きを耳にする。そこは、ふっくらとした見た目とは裏腹に硬い感触で、どことなく彼女の“意志“のようなものを感じた。
きっと、ミゼリカにとっては口付けさえも初めてだったのだろう。恐らくは、”元婚約者との為のもの”だったのだ。彼女の唇は……。
けど、俺にとって重要なのは、そこでは無い。
やっと、この城から抜け出せる。
やっと、解放される。
そんな想いばかりが、心の中を支配していた――――




