*54*アレクシスとミゼリカのuntrue love story Ⅳ
「えっと……君は?」
令嬢に対し無視を決め込むのは己の礼儀に反する為、驚き固まっている彼女へと尋ねてみる。
「……あっ、ごめんなさい。まさか、こんな所に人がいるとは思わなくて……。わたしはミゼリカと申しますわ」
ミゼリカ。
何となくだが、その名は、彼女の麗しく吸い込まれそうな瞳にとても似合っているような気がした。ミゼリカは先程放った一言を俺に聞かれた上、都合良く重なり合ってしまった為に非常に気恥ずかしそうにしている。頬を赤く染めながら伏し目がちに応えた。
その後、俺たちは月明かりの下で様々な事を語り合った。もしかしたら、俺も人恋しかったのかもしれない。それに、何故だか彼女とは馬が合ったのだ。
ミゼリカは始め、俺が王弟だと気が付かなかったようだ。身分を明かすと、目を見開きひどく驚いていた。
『ええぇっ!? えと……申し訳ございませんでした!! アレクシス様の事を存じ上げず、大変失礼を致しました!!』
そう言うと、もの凄い勢いでガバっと90度に腰を折り曲げ謙遜し出したのだ。そんな風に言葉遣いまで急に畏まり始めたので「普通でいい」と言うと、彼女は一瞬「え?」と目をぱちくりさせて戸惑っていたが、暫くの後「わかりました……」とおずおずと了承した。
ミゼリカの顔を知らなかったのは、単純に今回のような式典や夜会へ出席するのが初めてだったようだ。
彼女は、グロスター公領――トマス叔父上の領地内の出身で、ウィンザー伯爵家の令嬢だった。
ミゼリカには、つい先日まで幼い頃より定められていた婚約者がいたらしい。「なぜ先日までなのか?」と理由を問えば、突然婚約を破棄されたらしいのだ。
政略上の理由こそあれど、それまで彼女たちは仲睦まじく、お互いの気持ちも確かめ合っていたらしい。それが何の前触れも無く「他に好きな人が出来た」と告げられ、それ以上の反論の余地も用意されず、すっぱりと縁を切られたらしいのだ。
無論、ミゼリカも自身の父へと何とか仲を修復出来ないか幾度も訴えたそうだが、「仕方が無いだろう」という、優しい父から発せられたとは信じたくない心無い言葉の一点張りだった。その為、とうとう彼女は自分の気持ちに蓋をして、次の婚約者を探さなければいけなくなったのだ。
けれど、いざ今宵の夜宴に出席したのは良いが、国王とは言え他人の結婚を祝う気になどなれなかった。元婚約者の男の顔が、ちらちらと頭の隅から離れてくれなかったらしい。兄上やエメリア、それから数人の者たちと儀礼的な挨拶を交わした後は、「こんな所にいたくない」とばかりに大広間を飛び出し、俺と鉢合わせしてしまったという訳だ。
それをぽつぽつと哀しそうに話す彼女は儚げで、思わず支えてやりたいような気持ちになる。自分の置かれている立場と似ていたからかもしれない。
次の婚約者を探している、か……。
俺はミゼリカの話を聞きながら、「もしかしたら……」と考えていた。それは、自分にとっても彼女へ対しても最低で卑劣な考えだった。
だが、俺はその一歩を踏み出したのだ。
「……なぁ、ミゼリカ?」
「はい……?」
不意に真剣な声色で名を呼ばれたミゼリカは、「どうしたのだろう?」という風に身を硬くした。俺も幾らか緊張感が増してしまう。
けれど、意を決し彼女へと問うた。
「俺たち、結婚しないか?」
………………。
「はい?」
至極当然ではあろうが、暫しの間を置いた後、ミゼリカはポカンと口を開けたまま固まってしまった。まるで愛らしい古人形のように、瞬きするのさえも忘れたように身動き一つとれないでいる。正しく放心状態だった。
自分でも当たり前な反応だとは思う。出会って一時間程で求婚するだなんて、正気の沙汰では無い。
「おい、ミゼリカ?」
けど、あまりにも長い間そうしている為、俺は徐々に心配になって来た。いくら何でも長すぎる。
「……大丈夫か?」
まさかとは思うが、ひどい衝撃で心臓発作にでもなってしまったのではないだろうか……。
よくよく考えれば、ぴんと立ち尽くしたまま発作などあり得ないが、そんな事まで考えてしまうくらいには不安になった。
「おーい」
俺は、彼女の目の前で手をちらちらと動かし反応を見てみた。だが、やはり固まっている。
やばいな……。
口元に手を当て、「さて、どうしようか」と考えてみる。本格的にまずいと思い始めた、その時だった。
「……はっ!?」
「うわぁっ!!」
突然、思い出したようにミゼリカが息を吹き返したので、俺は思わずドキリと心臓を跳ねさせてしまった。その勢いで、ふらりと後方へ倒れ込みそうになってしまう。それを何とか態勢を立て直し、「はぁ……」と安堵のため息を漏らした。
ああ、危なかった。
右手で胸の中央の辺りを抑え、未だバクバクと速い動悸をどうにか落ち着かせようとさせる。もちろん彼女の事もそうだが、自分の身も危なかった。
当のミゼリカはと言うと、瞳をぱちくりさせながら、何故か自分の頬をつねっていた。
「夢じゃ、ない……」
彼女は、頬の痛みで俺の言葉が「真実」である事を悟ったようだ。
「あの……本気なのでしょうか? その、わたしと結婚……というのは……?」
ミゼリカは怪訝そうな面差しで俺を直視し、「信じられない」といった口振りで応えを求め瞳を揺らした。動揺は隠し切れておらず、不信と不安の入り混じった目で、じっとこちらを見上げている。
その様子を見ながら、「ミゼリカにしっかりと答えてやらねば」と思った。自分で求婚しておいて、随分と高飛車な物言いだとは俺自身感じている。けど、彼女にはしっかりと理由を聞いて欲しかったのだ。何となくだが、彼女なら真摯に向き合ってくれると思った。
それに、これは”俺”からの提案だ。ミゼリカに拒否権など、そもそもほとんど存在しないと言って良いものだった。
「ああ、もちろん本気だ。こんな事、冗談で言えるものでは無いだろう?」
「ええ、それは分かりますが……。どうして急にそんな事を?」
「……。それは……」
寸刻前に決意を固めたばかりだというのに、俺は一時口を開くのを躊躇ってしまった。
「聞いて欲しい。でも恐い」――そんな気持ちが自分の中でひしめき合っている。だが、最悪嫌われる事を覚悟で沈黙を破った。
「この城から出たいんだ」
「え……?」
ミゼリカは、俺の真意を汲み取る事が出来ずに困惑している。けれど、それを必死に理解しようと、あれこれ思いを巡らせてくれているのは分かった。胸に両の手を当て、白く滑らかな眉間に薄っすらと皺を作ってしまっている。
暫くしてから、彼女は疑念を口にした。
「あの、城からお出になられたいというのは分かりましたわ。ですが、何故わたしなのです……? アレクシス様であれば、今日お会いしたばかりのわたしでは無くとも、より身分の釣り合われるたくさんのご令嬢方がいらっしゃると思いますわ」
「……」
きっと尋ねられるであろうと思っていた部分を直球で問われた。なのに、俺は再び答えに窮してしまう。「素直に話してしまおうか」とも思う。けれど、何故だか恐かった。
俺は”無関心”には慣れているが、”嫌われる”事には慣れていない。「嫌われる」とは、どんな感情なのだろうか。
ミゼリカに自分の胸中を全て曝け出したら、疎まれる可能性は十分にある。それが恐いのかもしれない。
だが、このままでいても仕方が無い。俺の”意図”を告げる以外に無いだろう。何よりも自分がそれを望んでいるが為に、彼女にその我が儘を押し付けるようなものなのだから。
「……ミゼリカと同じなのさ」
「え? おな、じ……?」
俺は、やはり話すのを躊躇していたようだ。囁くような小声になってしまったが、ミゼリカはしっかりとその声を拾い上げてくれた。
自分は、本当に嫌な男だと思う。全てを話す勇気が無い為に、彼女に意図を思慮してもらうという選択をしたのだ。
そして暫しの間、「同じ……同じ……」と呟きながら俺の心中を探ろうとしていた。その後、すっとこちらの方へと向き直ったのだ。
「ごめんなさい、アレクシス様。わたしは、アレクシス様のお考えの全てを理解する事は出来ませんわ。ですが”協力”する事は出来ます。わたしで宜しければ、これ程ありがたいお話はございませんわ」
そう言って、ぽてりとした唇が印象的な口角を上げる。
「どうぞ、わたしの旦那様になって下さいな」
そして最後にそう締めくくり、ニコリと微笑んだ。それは、思わず魅入ってしまうくらいの艶やかな笑顔だった。
不意な出来事に、何となしにドキリとしてしまう。
「そ、そうか……。悪いな、世話を掛ける」
自分でも、どこか可笑しな返答をしてしまったと思う。けれど、ミゼリカは特に気にならなかったらしい。「いいえ、もったいないお言葉ですわ」と言いながら、未だ目の前でニコニコとしていた。
彼女は、俺の全ては理解出来ないと言っていた。という事は、理解出来た部分もあったのかもしれない。それが何なのかは、彼女の笑みからは察せられなかった。
「では、宜しくミゼリカ」
「はい、旦那様」
俺は片膝をつき、ミゼリカの右手の甲に口付けをした。そして、そのまま上目使いに彼女を見るとバチリと目が合ってしまう。彼女の瞳の奥には、どこか影があるように感じた――
「では行こうか」
「はい」
ぴしりと折り曲げた俺の右腕には、彼女の左手が掛けられている。当然、結婚するのであれば真っ先に兄上に報告しなければならない。
「ふふっ、お父様の驚く顔が目に浮かびますわ」
ミゼリカは、彼女の父と共にやって来ていたらしい。突然、王の弟と結婚するなどと言い出せば腰を抜かしてしまう可能性も捨てきれない。
自分が言い出した事ながら、あまりにも型破りな行動だと思う。
だが、それ程我慢ならなかったのだ。この城に留まり続けるという事が……。
それから俺たち二人は、ゆっくりと明るい方へと向かって行った。一つ一つ、同じ歩幅で歩みを進める。次第に、落ち着きのある蝋燭の灯が目に入った。
この選択が、良いかどうかなんて分からない。
単なる傷の舐め合いだと言われるかもしれない。
ただ今は、信じて前に進むしか無いんだ……――――
 




