*50*リーリエのfathers & mothers
「お父様」
お姉様は、この部屋の一際大きな肖像画の前で佇んでいる人物――叔父様へと声を掛けた。それは先程までとはがらりと様相が変わり、凛とした声色だった。
じっと母の絵姿を見ていた叔父は、こちらへゆっくりと振り返る。
「来たか……」
そして、ぽつりとそう呟いた。
「……? お父様?」
「あの、叔父様? ”来たか”というのは……?」
その言葉の真意を測りかねているわたくしたちは、思わず怪訝な表情をしてしまう。
それでは、まるで……――
「何故だろうな? 俺にもよくわからない。だが、ここなら”お前に会える”気がしたんだ、ローザリカ」
そう言って、「ふっ……」と叔父様は儚げな笑みを浮かべた。それは、叔父が今にも消えてしまうのではないかと錯覚するような微笑みだった。
「え……?」
お姉様は、瞳を大きく見開き身を強張らせてしまう。暫しの間、そこには沈黙が訪れた。
「お前に会える」とは、どういう事なのでしょうか……?
そこにどのような意味が含まれているのか理解出来ず、戸惑ってしまう。それに、叔父が自身の事を「俺」と称したのにも驚きを隠せなかった。
「……」
暫く俯いたままだった従姉は、やがて叔父の瞳を真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「お父様が、ご自分の事を”俺”とおっしゃるのを久方ぶりに聞きましたわ。懐かしいです」
「ふふっ」と、お姉様は口元に手を添えて微笑んだ。その顔ばせからは、叔父様と似た儚さを感じてしまう。
「ああ。どうして、こんな堅苦しい城になってしまったんだろうな……」
「ええ、本当に……」
「……」
「……」
従姉と叔父は、お互いの視線を合わせたまま立ちすくんでいた。
”親子”であるからだろうか。二人の纏っている雰囲気は、どことなく似ているような気がした。それは透けるような感覚で、このまま溶けていなくなってしまうような不安を抱かせる虚ろなものだった。
「あそこにいるのがリーリエの母上?」
その時、横にいたクリス様から不意に話し掛けられた。
「ええ、そうですわ」
わたくしは胸の中の不安を払拭させるように、無理矢理に笑顔をつくる。
「そうか」と呟いた彼は、そのままお母様の肖像画へと近寄って行く。そして、母の姿を認めた。
「どうだい? 似ているだろう?」
「……」
お姉様からそっと視線を外した叔父様の問いに対し、彼はそこを眺めたまま無言だった。
「クリス様?」
「どうしたの、クリス?」
しばらく沈黙を続けている彼が気掛かりになったわたくしとお姉様も、母の方へと歩を進める。そして、わたくしたちがクリス様の傍へと歩み寄った直後、彼は唐突に口を開いた。
「似てない」
「え……?」
ニテナイ……?
それは、わたくしだけでなく、従姉や叔父でさえ想定していない言葉だった。二人共が目を見開き、クリス様を凝視している。
「あの、似ていないでしょうか? わたくしとお母様は、いつも双子のように瓜二つだと言われますのよ……?」
「ええ。わたしも、とてもそっくりだと思うけれど……」
わたくしたちは彼の言葉が信じ難く、矢継ぎ早にクリス様へと疑問を投げかける。「似ていない」と言われたのは、生まれてこの方初めてだった。
けれど――
「似てないよ」
彼は、やはりそう一言だけ囁いた。
その直後――
「……くくっ……」
突然、聞き慣れない笑い声が聞こえた。
「え?」
「お父、様……?」
それは叔父様から発せられた笑い声だった。普段ほとんど声を上げて笑わない叔父に対し、わたくしたちは聊か面食らってしまう。
「君は、兄上の言うように本当に人を見る目があるようだ。いや、まさか”本人”がいなくとも、その力が発揮されるとは思わなかったが……」
叔父様は独り言のようにそう漏らすと、握り拳を口元に当て「くくくっ」と尚も笑いを堪え切れずにいる。
「叔父様、どういう事なのでしょうか?」
その心中を汲み取る事が出来ないわたくしは、逸る気持ちで叔父へと尋ねる。お母様の事……そして、何よりも叔父様の考えている事を知りたかった。
「……ああ、エメリアはな、リーリエとは真逆な性格だったのさ。それで、よくミゼリカを困らせていたよ」
「え?」
真逆?
それに、今「エメリア」って……。
それから叔父は、遠い過去を懐かしむように再び母の肖像を見上げた。隣に立っているクリス様は、ふいとそこから目線を外し、わたくしたちへと向き直る。
「僕もそう思ったんだ。確かに顔は良く似ているけどリーリエじゃない。リーリエとは全然違う」
全然違う……。
そんな事、初めて言われましたわ。
「……お父様」
「ん……?」
その時、突然お姉様から声を掛けられた叔父様は、「何だ?」という風に再び従姉と視線を交わらせた。叔父はクリス様の言葉が余程可笑しかったようで、未だ僅かに笑みを浮かべたままでいる。
「……」
「……」
しかし、何故かお姉様は次の言葉が続かないでいるようで、胸に手を添えたまま俯いてしまった。けれど、そんな従姉に対し、叔父は訝しがる様子もなく”娘”をじっと見ていた。
なんだか、あんな優しそうなお顔をされている叔父様を初めて見る気が致しますわ。
叔父は従姉を温かい瞳で見つめていた。それは、お姉様の全てを包み込むような柔らかい瞳だった。
「わかっているさ、ローザリカ」
「え……?」
寸刻の静寂を破ったのは、お姉様ではなく叔父様の方だった。従姉は勢い良くバッと顔を上げ目を丸くしている。
「……そう。そうなのですね」
「ああ」
「……」
「……」
すると、二人の間には三度の沈黙が訪れた。
「従姉と叔父の間にだけ存在している”何か”がある」――確信が持てる訳では無いのに、わたくしは何故かそう感じた。
思い切って尋ねてみようかしら。
「お姉様の事をもっと知りたい」――そんな事を昨夜願っていた。もしかしたら、今がその好機なのかもしれない。
「あの……お姉様、叔父様? どういう事なのでしょうか……?」
幾らか肩に力を入れながら思い定めるように問うた。
どうしてかしら。
なぜか、とても大きな不安を抱いてしまっているのですわ……。
例えるならば、「知りたいけれど知るのが恐い」――そんな感情だった。
――「リーリエ」
「え……?」
その刹那、お姉様が突如こちらを振り向いた。出し抜けの事にドキリと大きく心臓がはねてしまう。けど、従姉はそのまま下を向いてしまい口を閉ざしてしまった。
「……」
お姉様……?
束の間、無言を貫いていたお姉様は一度瞳を閉じ、「ふぅ……」と息を整えるとスッと顔を上げた。わたくしと視線を合わせた従姉の面差しはひどく真剣で、その瞳からは鬼気迫る程の意志を感じる。
「単刀直入に言うわ。……わたしはね、あなたを”本当の妹”ではないかと疑っているのよ」
「え?」
ドクンっ!!
ホントウノ、イモウト……?
「なっ……」
お姉様は……何を言っているの?
従姉から放たれた一言は、正に「理解不能」だった。
お姉様が、わたくしの本当の”姉”……?
次第に、自身の体は自らの意志とは無関係にカタカタと震え出す。
わたくしは、お父様とお母様の娘ですのよ……!!
自分の心は否定を続けているのに、そのまま足元から崩れてしまいそうな感覚に陥った。両手に力を籠め、それを何とかぐっと堪える。ぼうっとする頭は思考が追い付いて行けず、目の前が真っ暗になって世界が遠くなるような気がした。
お姉様は、きっとご冗談をおっしゃっているだけですわ。
なのに、ドクドクドクと耳の奥から聞こえる鼓動は、わたくしの心とは裏腹に絶えずその速さを増していく。それは、不吉な予感を想像させるのには十分なものだった。
「な、何を言ってるんだローザリカ! リーリエは、レオパルド王とエメリア王妃の娘だろう?」
クリス様でさえ、お姉様の言葉は大きな衝撃だったようだ。もともと大きな瞳は、更に一回り見開かれていた。
「……ええ、わたしもそう思いたいわ。でも……」
お姉様は、ちらりと叔父様を視線だけで覗き見る。
そして――
「信じたいのに信じられないわたしがいるのよ……」
伏し目がちで誰とはなしに、ぽつりと呟いた。
……どういう事なのですか?
わたくしが、お姉様の従妹ではなく本当の妹……?
そんな事ある訳ありませんわ。
だって、そうであるのならば、わたくしは……――
わたくしは、「お姉様の本当の妹になりたい」と願っていた。それは兄を愛してしまってから、これまでずっと胸の奥に秘めてきた望み。
それが事実となるかもしれないというのに、わたくしの心は只々掻き乱されるだけでしかなかった。ドクン、ドクンと身体の芯の部分から自分自身へと一層不安を駆り立てる。
わたくしのお父様は……叔父様、なの……?
いくら混乱状態とは言え、わたくしと容姿がそっくりな母が他人である筈が無いくらいの事は分かる。であるならば、答えは一つしか無かった。
「お、叔父様……? そのような事がある訳ありませんわよね?」
わたくしは、懇願するような瞳で叔父様を見上げる。「あり得ない」と思いながらも、只ひたすらに叔父からの”否定”の言葉を欲していた。
「……ローザリカ」
「はい」
ところが、叔父様はわたくしの問いには応えず、お姉様の真正面へと居直った。ぶつかり合う二人の瞳は共に同じ碧を放っている。
「俺の……俺とミゼリカの”真実”を知りたいか……?」
「……はい」
一瞬の間を置いた後、従姉は迷いのない判然とした声色で応えた。
叔父様と叔母様の、真実……?
それが何を意味しているのか。今の自分には見当を付ける事さえも出来ない。
けれど、わたくしも「知りたい」と思った。叔父様と叔母様を……。そして、お姉様を……。
「そうか……。本当の俺たちを知った後、お前がどんな反応をするのか正直恐いよ……」
「ふっ」と、叔父様は消え入りそうな笑みを湛える。それから、ぽつりぽつりと語り始めた。
わたくしやお兄様、お姉様が知らない、遠い昔日の日々を……――――
fathers & mothers=父たちと母たち




