*5*エメリアを想って……
リオンが人知れず涙していた、あの夜から数日後――それは夕食後の事だった。
いつもの様にレオパルドを筆頭にした王家6人で食後のお茶を楽しんでいた。
皆、各々の好きなお茶を楽しんでいる。
リーリエは隣国産のアップルティーを飲んでいた。甘みの強いアップルで、上質な香りのする彼女のお気に入りのお茶でもある。
リオンはコーヒー、ローザリカはローズティーだ。
リーリエの右隣にはローザリカが座っている。
二人はいつもの談笑中だ。
「お姉様はローズティーがお好きですわね? 香水もローズですし」
「ええ。落ち着くのよ。リーリエも香水を付けられたら良かったわね」
「はい、残念です。お姉様からはとてもいい香りがしますもの。わたくしもお姉様と同じ香りに包まれてみたいものですわ」
「もう、リーリエったら。どこかの変態王子様みたいなことを言わないでちょうだい」
「ふふっ」
「それは私のことか?」
急にリーリエの左隣から低く、落ち着いた声が聞こえた。
「あら? ご自覚でもあるのかしら?」
「ふっ。大丈夫さ。私の可愛いリーリエならともかく、ローザリカにはまかり間違ってもその様なことを考えたりしないさ」
「お兄様……」
リーリエは兄の顔をポーッと見つめた。
心臓がドキドキして脈拍が速くなってしまう。
頬が熱く、赤く染まっていく。
――わかっております。わかっておりますわ……。これは”妹”としてそう言っているのであって深い意味などないということを……。
けれど……
――愚かなわたくしは、期待をしてしまうのです――
「そう。大丈夫よ。わたしも殿下に対して、まかり間違ってもその様なことを考えたりしないわ」
「…………」
リオンは無言だった。
――お兄様……?
先程の様にリーリエを間にして兄と従姉が言い合うことは、もう日常茶飯事のようになっている。
それこそ城内の一つの名物のようなものだ。
だが、リーリエは、ここ数日の兄の様子が少しおかしい事に気付いていた。
――どうしてそのようなお顔をされていらっしゃるのですか……?
それは、ほんの少しの変化。
リーリエにしか気付かないような微妙な違和感。
”妹”だから気付いてしまうのか、それとも”女”だから気付いてしまうのか……。
それは、彼女自身にもわからない……。
――同じですわ。あの時の、お姉様の哀しそうなお顔と……。
リオンの表情は、エスポワールの間で見たローザリカの去り際の顔を彷彿とさせた。
この食堂は晩餐会などが開かれるための大食堂に比べれば規模は劣るが、それでも一般家庭のそれとは比較にならない。天井から垂らされているシャンデリアはひどく豪奢であるし、美しい装飾品や調度品で溢れている。
また、リーリエたちが食事をしている最中は、護衛騎士たちは脇に控えている。
例え彼らが脇に居ようとも、給仕人やメイドたちが慌ただしく動いていたとしても、気にならないくらいの広さだ。
ただ、護衛騎士たちもその間に食事をとらなければならない。交代制にして護衛の穴を無くすためだ。
今は黒髪をすっきりと短くしている黒い瞳の男性と、橙色の瞳で、頭上からポニーテールにされた焦茶色の髪を背中まで伸ばした女性が、護衛の任に当たっている。
男性の方は、鎖帷子の上にブルーの袖なし上衣、腰には剣が帯刀され膝までの長さがある鉄靴という、いつものスタイルでそこに立っていた。サーコートには、護衛騎士の証である十字のマークが刺繍されている。
女性の方は、この城で仕えている侍女たちと同じ茜色の侍女服に身を包んでいる。一見すればただの侍女でしかないが、彼女も彼らと同じようにその身に武器を忍ばせている。
「あーリオン様。またやっちゃったな~」
「え?」
ミリアは、脇に居る彼を見上げた。
クライドが、彼らの主人たちを眺めていた。
彼も自らの呟きが、彼女に聞こえていたとは思わなかったようだ。
ミリアがその呟きに反応したことで、彼女に応えた。
「いや、何でもない。こっちの話」
「??」
そう言われると余計に気になってしまう。
「殿下がどうかされたの?」
「ん~、いやまぁ俺も確信してるわけじゃないんだけどさ。ちょこっと背中を押してみたわけ」
「背中……?」
「そ、背中。あ、”ほんとに”背中を押したわけじゃないからね」
「私だってクライドの言ってる意味くらいわかるわ」
ミリアは少しムッとする。
だが、彼女は優秀な護衛兼侍女だ。
図らずも起こりうるかもしれない、あらゆる事象に常に対応できる柔軟な思考を持っている。
だからかもしれない。
「クライドが殿下の背中を押してみた」様を瞬間的に想像してみてしまった。
リーリエ様の付きまとい行為を繰り返す殿下は、彼女を求めて夜な夜な廊下を彷徨っている。
護衛騎士として殿下の奇行を見過ごせないクライド。
彼は「リオン様の目を覚ますぞ」と意気込んだ。
そして廊下の陰から辺りを窺う。
彼は、きょろきょろと周りに誰もいないか確認する。
「よしOK」彼は心を決めた。
そ~っと近づくクライド。
そして……ドン!!
「わあぁ!!」
床に顔面を強打する殿下。
「リオン様が目を覚ましたぞ、ばんざーい!」と万歳三唱するクライド。
「リーリエー。クライドに虐められたぁー」とリーリエ様に泣きつく殿下。
――ちょっと、面白いかもしれません……。こんな妄想をして遊ぶ部下で申し訳ございません、殿下……。
「おい。何か面白そうな事考えてるだろ?」
クライドは、とても勘が良いのだ。
「え? そんな事あるわけないでしょう。急におかしな事を言わないでちょうだい」
ミリアは惚けておいた。
――あ、そうだったわ。殿下は眼鏡を掛けているわ。このストーリーだと大事な眼鏡まで破損させてしまうことになるわね。もう一度ストーリーを練り直さなければ……!
彼女は何の話をしていたのか、もう忘れたようだ。
眼鏡どころか、王太子殿下様の綺麗な顔に傷が付く事になるが、そこは気にならなかったらしい。
「ほぉー。では背中を押されたリオン様はどうなる?」
「それはもちろん”クライドに虐められたぁ~”ってリーリエ様に泣きつくのよ! ……って、ああっっ!!」
「なるほど。そういう結末ね」
「あーやられた!!」
彼女は、古典的な技に引っ掛かってしまったことがとても悔しそうだ。
対するクライドは「ぷふっ」と吹き出し、してやったり顔だ。
「あ、そうそう! 面白そうな事と言えばアレ!! ダイン隊長に聞いたわよ! ”アレはどういう意味だ?”って。説明してもいまいち理解してなさそうだったわ」
「んん? …………あぁ、アレか!! やっぱりお前は話がわかるな!!」
ダインとは、レオパルドの護衛を務めている40代前半の男だ。肩程までの黒髪をばさりと無造作に下ろし、クライド以上に大きくがっちりとした体躯をしている。彼の赤く鋭い眼光で睨みつけられた者は、恐れ戦くと言われている。
また、国王の護衛を授けられているということは、彼がクライドやミリアをも凌ぐ手練れの騎士であることが容易に想像がつく。
それ故、護衛騎士隊長としての役目も負っている。
「当たり前よ。王家の護衛を担っているのよ。民衆の情報には日々、情報網を張っているわ」
「”世の中の流行を知ることで、国の情勢も知る”。これは真理だな」
「それはあなたの持論でしょう? まぁ確かに間違ってはいないでしょうけれどね」
「アレを隊長に報告したら、”何おかしなことを言ってるんだ”って相手にされなかったしな。その点俺たちは、そういうことへの情報収集能力やフットワークが違うからな」
「えぇ。新聞の情報だけでは得られないモノもあるのよ。けれど、そんな個人的な事いくらなんでも隊長に話してしまって大丈夫だったの?」
「あぁ。”内緒にします”とは言ったが、”約束”はしてないからな。大丈夫だろ。それに護衛騎士として、上司への”報告、連絡、相談”は職務の基本原則さ」
「そうね。仕方がないわね」
「それにさ、あれからその話を持ち出すと。リオン様ったら顔を真っ赤にして慌てちゃってさー。結構カワイイぞ~。くくっ」
「全く、気持ち悪いことを言わないでほしいわ。殿下が汚されるでしょう。……でもまさか殿下がソッチだったとわね」
「ああ、意外だろう? 俺はどっちかというと、”舌ペロ派”だと思っていたんだけどな。試しに両方やってみたら見事にソッチ派だったというわけさ」
「そう……そうなのね。私たちの殿下が……」
「そう、俺たちのリオン様が……」
「”ウインク萌え”だったなんて……」
「”ウインク萌え”だったなんて……」
見事に2人は調和した。
「リオン様のことだ。おそらく”これはトップシークレットで国の最重要機密で墓場まで持っていく極秘事項だー”とか考えてると思うんだよなー」
「そうね。そんなこと国民に知られたら、王太子としての威厳や尊厳が損なわれてしまうものね……」
「ああ。この話は俺たちだけで止めておこう」
「わかったわ」
彼らが時々使う不可解な言葉は、一部の民衆の間で流行している言葉だ。
国王の護衛騎士、即ち数千の兵士のトップを務める男、ダイン。
そんな彼でも理解できないものもある。
クライドやミリアにあって、彼にはないもの。
民衆の流行を取り入れ、受け入れられる柔軟な思考や価値観。
それは――――
「若さ」なのであった――――
――――ゾクッ
「ん……?」
まさか、自分の部下たちに噂されているとは知らず、リオンは急な悪寒に身を震わせた。
すぐにリーリエが、それに気付く。
「お兄様、どうかされましたか?」
「いや、大丈夫だ。心配してくれて悪いな、リーリエ」
リオンは、リーリエを安心させる様に微かに口元に笑みを浮かべた。
それを見た彼女は、また嬉しくなってしまう。
心が温かくなってしまう。
――お兄様……大好きですわ……。
「殿下は、本当にリーリエのことが好きだな」
「ふふ、ほんとね」
リーリエたちの正面に座っている、アレクシスとミゼリカが話に加わる。
アレクシスも、兄であるレオパルドと同じ金の髪と碧い瞳を持っている。その輝くような金の髪は、レオパルドよりかは幾分かウェーブが掛かりふわふわとしている。二人とも四十路を少し過ぎ、人生の年輪をその顔や手に刻んでいるが、若かりし頃に社交界を騒がせたその姿は衰えを見せていない。
彼の妻であるミゼリカもまた美しい。王弟を射止めたその姿は、たとえ年齢を経たとしてもその当時の美しさそのものだ。彼女の銀の髪はローザリカと同じように緩いウェーブがかかっていて、銀灰色の瞳と共により一層魅力的に映る。
リーリエやリオン、ローザリカの美貌は、最早産まれる前から運命付けられていたようなものなのだ。
「全く……。仲が良すぎるのも考えものだぞ」
レオパルドもまた、リオンの向こう側から加わった。
彼は、リオンとアレクシスのちょうど中間、上座の位置に座っている。
誰の位置からでも、最も良く顔が見える場所だ。
「ですが陛下。陛下こそリーリエを溺愛しすぎておりますわ」
「ああ、私も同感だ。まぁ仕方ないのかもしれないな……。兄上は、義姉上をとても愛しておられたから。リーリエは義姉上にそっくりだから」
「ええ。本当に瓜二つで……。まるで双子の様ね……」
アレクシスとミゼリカは、今は亡き王妃を偲ぶ。
「…………」
そして、その場にいる皆は「彼女」を想った。
リオンとローザリカは、微かな記憶を頼りにして……。
レオパルドは愛した妻――否、”愛している”彼女の姿を、その心に映して……。
けれど――
リーリエには何も無かった。
母の声、体温、息遣い。
優しく包み込んでくれる温かい手、自分を見守る慈悲深い瞳。
怒った顔、泣いた顔、悲しんでいる顔。そして、笑った顔。
何も覚えていなかった。
リーリエは、母の姿を求めてエスポワールの間へ向かう。鏡台に映った自らの姿を見て、母を想う。
それでしか――
――わたくしはお母様に……逢えない……!!
「……っ……」
あれだけ涙を流したというのに、再び彼女は泣きそうになる。
皆に、それを悟られないように俯いた。
――けれども結局は
エメリアを眼裏に映して、その姿を認める。
――「やはり、あなたの娘なのですわね」と、絶望感に苛まれるのです……。
お兄様……
大好きなお兄様……
ずっと、ずっとわたくしの傍にいて下さいませ……
離れていかないで下さいませ……
作中にて年齢についての言及がありますが、ダインよりクライドたちが年齢的に若いということを伝えているだけです。40代前半なんかまだまだ若い! とか、20代後半はもう若くない! ですとか、いろいろご意見あると思いますが、フィクションとして捉えて頂きたいと思います。