*48*リーリエのfuture
「ミリアって料理が上手いんだね! すっごく美味しかったよ」
クリス様が、ミリアへと満面の笑みを浮かべる。彼は、いつもは兄が座っている場所へ腰を下ろしていた。わたくしの目の前にいるミリアは、「いいえ! とんでもございません!!」と謙遜してはいるが、ぽおっと顔を赤くさせて喜ばしそうだ。
先程、ミリアに彼女自慢のカポナータを作ってもらい、食堂で皆で昼食を共にしたのだ。
「うふふ、ミリアったらとっても嬉しそうですわね」
思わず、わたくしも口元に手を添えてにこりとしてしまう。
あら、そういえば……。
そんな時、ふと既視感を感じる。
このような光景を、どこかで経験したような気が致しますわ。
どちらでしたかしら……?
暫し自分の記憶を辿って行く。
そして、「あっ!」とある場面に思い当たった。
そうでしたわ。
あれは、クリス様とお姉様が、初めてご一緒に庭園に行かれた時の事でしたわね。
たった2日前の出来事だというのに、何故か遠い昔の事のように思えてしまう。この2日間で知った事実が、これまで自分が生きて来た人生を凌駕する程の衝撃だったのかもしれない。
一昨日は、わたくしもまだお姉様と離れる寂しさが大きかったですけれど、今は、クリス様と素敵なご夫婦になって頂きたい気持ちの方が大きいですわね……。
”人の心”というものは、こんなにも簡単に移ろいでいってしまうものなのだろうか。
そんな寂寥を帯びた重々しい感情が胸を過ぎった。
……いいえ、簡単などではございませんわね。
お兄様やお姉様の”心”を知って移り変わっていったのですわ。
この想いは、きっととても”自然な事”なのですわね……。
兄や従姉の10年間には、まだまだ自分には計り知れない想いが詰め込まれている――それは憶測でしか無い筈なのに、何故だか確信があった。
「……あ、そういえば、僕ちょっと見たいものがあるんだけど」
その時、唐突にクリス様がわたくしへと語り掛けた。
「ええ、何でしょう?」
クリス様には助けてもらってばかりだった。可能な限り、彼の望みには応えたいと思っている。
「リーリエやリオン殿の母上にお逢いしたいんだ」
「……あ……」
彼は穏やかに微笑んでいる。その表情から、クリス様の気持ちを窺い知る事が出来た。
「ええ、もちろんですわ。では、”エスポワールの間”へ参りましょう」
「……? えすぽわーる?」
彼は頭をこくりと傾げ、眉間にハの字をつくり腑に落ちない顔付きをしている。
「あ、オチェアーノでは聞き慣れないお言葉ですわよね。エスポワールとは、アルダンで過去に使われていた言葉で”希望”という意味ですのよ。現在は、その美しい響きである言葉も廃れてしまったのですわ」
「希望……」
わたくしが、幾らか寂しそうな面差しを向けてしまった為だろうか。「そうか……」と呟いたクリス様からも、物哀しそうな雰囲気を感じた。
「王」と呼ばれるお父様や、「神」と崇められた偶像者たちでさえ、時の流れを止める事は出来ないのですわ。
いくら悔やんだとしても”過去”に戻れないように……。
ですから、”これから”の一分一秒を大切にしなくてはいけませんわね。
それは、クリス様との初対面の前にお姉様に対して抱いた感情と同じだった。
しかし、その想いは、あの時とは本質が全く異なるものとなっていた。
「リーリエ様もクリスティアン様も、そのようなお顔をされないで下さいませ! お二人共せっかくの綺麗なお顔が台無しです!」
ミリアは至極真剣な目つきをさせ、びしっという効果音が付きそうな勢いで、こちらへと人差し指を突き出した。
「ふふっ」
「ぷっ」
それを見たわたくしたちは、笑いを堪え切れずに吹き出してしまった。
「うふふっ!」
「あははっ!」
「あ、あの……リーリエ様? クリスティアン様? どうかされたのですか?」
ミリアは戸惑いの表情を浮かべ、自分が”笑いの対象”である事に気が付いていないようだ。それを見て、余計に笑いが込み上げてしまった。
「……?」
彼女は、未だ頭上に疑問符を浮かべ訝しんでいる。
その場は暫くの間、幸せな笑い声が響き渡っていた――――
――クリス様には、お母様がどのように映るのでしょうか……?
きっと、「とても似ている」とおっしゃって頂けるのでしょうね。
これまで、わたくしたちは双子と見紛う程に瓜二つだと言われてきた。
「うわー! リーリエと母上って本当にそっくりなんだね!」――そんな感想を漏らすであろう彼を想像し、「ふふっ」と再び笑みが零れた――
――――「こちらの方ですわ」
わたくしが先導して、クリス様をエスポワールの間へと案内する。
「楽しみだな」
彼は、わたくしに似ているというお母様の姿を想像して心底嬉しそうにしていた。
次の角を曲がれば目的地はすぐそこだ。見慣れた調度品を目にしながら、いつもの足取りでそこを曲った。
けれど――
……え……?
わたくしは、「彼ら」を目にして足を止めてしまった。
「リーリエ?」
「どうかされましたか、リーリエ様?」
急に立ち止まったわたくしを心配したミリアが、こちらへと足早に近付いて来た。
「え?」
すると、彼女もわたくしと同じ思いを抱いたようで、大きく目を見開き困惑気味な表情を浮かべた。
「ローザリカ様……。それに、エルネストさんまで……?どうしてここに……」
そこには、あまりにも意外な者たちがいたのだ。
否、従姉だけであれば、そこまで驚く事は無かっただろう。従姉は明後日にはアルダンを去ってしまう。その前に、アルダンの正妃であった母を見納めておきたかったのかもしれない。
けど、もう一方の”彼”はあまりにも想定外だった。
彼はすらりとした背を壁に預け、見慣れた騎士の装いで、腕組みしながら佇んでいる。常のような爽やかな容貌は崩れてはいない。
彼がいるのであれば、エスポワールの間にいらっしゃるのは……。
答えは一つだ。
でも、特別おかしな事ではありませんわ。
なのに、どうしてかしら。
この瞬間でという事が、何故か気に掛かってしまうのですわ……。
ザワザワとした胸騒ぎと、重苦しい不穏な空気を感じていた――――
future=未来、将来、行く末




