*47*リーリエのfamily
――「リーリエ様」
いつの間にか、ミリアがわたくしの傍に寄り添っていてくれた。彼女は、心配そうにわたくしの顔を覗き込んでいる。そこには微かな灯の中、いつもと変わらぬミリアの穏やかな微笑みがあった。
「ご安心下さい。今現在は、このような非道な道具は使われておりません」
「……え?」
使われていない……?
「あの、どういう事なのかしら……? 確か、わたくしやお姉様を襲った兵士たちは、ここで処刑されたのですわよね?」
記憶を辿り、彼女へと尋ねる。
「ええ、それは間違いありません。今でも鞭打ちなどは行われておりますが、これらに較すれば暴虐さは比にならないでしょう」
「それは、どうしてですの……?」
ミリアは再びにこりと微笑み、口を開いた。
「先々代の王……つまり、リーリエ様の曾おじい様でいらっしゃるレオナルド王が、それを禁止されたのです」
「え……」
曾おじい様が……?
「あっ!! レオナルド王って、僕の曾おばあ様の妹が嫁いだ人だよね!」
クリス様は未だわたくしを抱きかかえてくれたまま、ハッと思い出したように声を上げる。
「ええ、そうですわね」
『もう僕たち”家族”って事じゃないか!』
不意に、クリス様の言葉が頭を過ぎった。
「家族……」
「え?」
「え?」
ぽつりと呟いたわたくしに対し、クリス様とミリアは同時に不思議そうな面差しを向ける。
「あ、いいえ。何でもございませんわ」
何故なのかしら。
”家族”という言葉が、今とても心強いもののように感じるのですわ。
「なんだか嬉しいな。ますますアルダンに親しみを感じるよ」
クリス様は、とても喜ばしそうに笑っている。
「ええ、ふふっ。そうですわね。わたくしも、オチェアーノに対して同じ気持ちです」
気が付くと涙は乾いていた。
ミリアは、わたくしたちの様子を眺めながら続ける。
「レオナルド王は、優れた為政者として文献等にも記述されております。アルダンの民を”財産”としてお考えになり、”人を大切にする”という事に重きを置かれていらっしゃったようです」
人を大切にする。
もうお会いする事は叶いませんけれど、今のアルダンが存在しているのは、曾おじい様たちのお蔭なのですわね。
そして、わたくしが、この世に生を享ける事が出来たのも……。
改めて、これまでの王たち――わたくしの「家族」を想う。
曾おじい様の教えは、今この国に受け継がれているのでしょうか?
わたくしは、お父様やお兄様に国の事を任せ切りで……いいえ、知ろうともしなかったのですわ。
でも、わたくしが「知りたい」とお願いしても、きっとお父様やお兄様は「”王女”であるリーリエに知る必要は無い」とおっしゃるのでしょうね。
ふと、寂しさが胸を過ぎる。
確かに、そうなのかもしれませんわ。
けど、わたくしは……――
「レオナルド王は王妃であられた奥方様も、とても大事にされていらっしゃったそうです。ですからクリスティアン様も、どうかローザリカ様を大切にして下さいませ」
「……ああ」
ミリアの望みに対し、クリス様は一瞬の間を置いた後、微かに笑みを浮かべながら応える。けれど、彼からは複雑そうな表情が見てとれた。それは、願いを託したミリアとて同様だった。
クリス様……。
従姉の事情を知ってしまった今、素直に喜びを表現出来ない自分がいる。
クリス様とお姉様、大丈夫なのでしょうか……?
重々しい不安を感じる。
まさか、たった一日で、これ程に自分の感情が真逆に移ろいでしまうとは想像もしていなかった。
昨日は、お二人がとてもお似合いに見えましたのに……。
さりとて、時間は刻一刻と迫ってしまう。決して曽祖父に会う事が叶わぬように、時は、わたくしたちの気持ちとは裏腹に流れて行く。
「明日の夜は、クリス様とお姉様の晴れ姿ですのよ。わたくしたちも盛大にお祝い致しましょう、ミリア?」
「ええ、もちろんです」
自分で自覚してしまう程の硬い笑みを浮かべてしまった。ミリアは、きっと気が付いただろう。けれど、彼女はそれ以上口を開く事は無かった。
これが、”城”の真実――そして、お兄様がこれから背負っていかなければならないもの。
「ここまで案内してくれてありがとう、ミリア。それから、クリス様もありがとうございました。とても心強かったですわ」
彼へ視線を向けた。
その時――
あっ……!
ようやくこの現状に気付き、再びカーッと顔中が熱くなる。
わたくしったら、またクリス様に助けて頂いてしまったのだわ……!!
「あ、あのクリス様。本当にありがとうございました。クリス様のお蔭で助かりましたわ」
恥ずかしさのあまり、俯き加減で礼を述べてしまう。
直後、失礼だったかもしれないと一抹の不安を感じた。
「ああ。もう立てるかい?」
「はい、大丈夫です」
彼が手を差し伸べてくれる。わたくしの態度を気にする様子は無かったので安心した。
そう言えば、未だクリス様とお姉様は手を触れてもいないのでしたわね……。
”妻”である従姉に対し幾分か気が咎めたが、そのまま自身の手を添えて立ち上がる。
思い返せば、訝しい様子はあった。初対面でクリス様の挨拶に応じなかったり、庭園を散策する時に自分も同行する事になったり……。
この場所で、お姉様の病の原因となった兵士が処刑されたのですわね。
どのような最期だったのか、今となってはもう分からない。今更考えたところで、無意味でしかないのかもしれない。
なのに、どうしてなのかしら。
お姉様たちの事をもっと知りたいと思ってしまうのですわ。
自分自身でもその感情を表現出来ないが、単なる好奇心などでは無かった。
多分、そう……「わたくしにとって必要だから」――そう思うのですわ。
「では、そろそろ戻りましょうか。この場には他にも様々な処刑具がございますが、これ以上は徒労でしょう」
「ええ、そうですわね。わたくしは、これ程に恐ろしいモノがあると分かっただけでも十分だわ」
城の中で安穏と生きてきた自分には、この世の中に知らない事がまだまだ存在する。きっと、もっと恐ろしいモノがいくらでもあるのだろう。
わたくしは、それを確かめたかった。
「ああ、そろそろ外の空気が恋しくなって来た頃合いだからね。オチェアーノの城にも当然処刑場は存在するけど、あまり良い所ではないし」
クリス様は一度「ふー……」と息を吐き、暗闇をじっと見つめながら続ける。
「本当は、こんなモノ無い方がいいんだ。でも、罪人には相応の報いを与えなければ罪科が跋扈して、国はいつしか滅んでしまう……。処刑を行う事は、言わば”王族の義務”みたいなものさ」
王族の、義務……。
処刑が義務であるなどと、考えた事ございませんでしたわ。
けど罪人には罰を与えなければ、この国の多くの民たちが不幸になってしまわれるのね……。
彼には、ほんの数日の間に多くの事を学んだ。
”第三皇子”と言えども国を憂う想いは、次期皇帝である第一皇子と何も変わらないのかもしれない。
「……では、戻りましょうか。ご昼食も召し上がっておりませんし、お腹が空いてきた頃ではありませんか?」
ミリアが、わたくしとクリス様を交互に見て尋ねる。
そう言えば、食欲がわかずに朝食はまともに食べられなかった。確かに、そろそろ何か口にしなければ本当に倒れてしまいそうだ。
「ええ、そうですわね。クリス様もご一緒にいかがでしょうか?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
わたくしの提案に対し、彼はニコリと柔らかく微笑んだ。
「では、参りましょうか」
「ええ」
「ああ」
そして踵を返し、この場を後にする。
ここには、”絶望”の感情だけでは無いのですわ。
曾おじい様の「人を大切にする」という”希望”も込められているのね。
そんな、忘れてはならないような気持ちを想いながら……――――
family=家族、一族、家柄




