*46*リーリエのmission
※注意!!
後半に直接的ではございませんが、処刑や拷問を想像させる残酷表現がございます。中世のヨーロッパの城をイメージした世界観となっておりますので、実際の道具をモデルとしています。そのためR15とさせて頂きます。また、リアルな描写となっておりますので、このようなものに不快感を持たれる方はご注意くださいませ。
その中は、言うならば「暗黒」――正しく、そんな場所だった。
そこへ足を踏み入れた瞬間、ひやりと空気が一変した。まるで、一瞬にして氷の世界へ取り込まれてしまったかのようだった。
ぞくりと体中が震える。そして、これまでとは比べようも無い程の早鐘がドクドクと全身を駆け巡った。
真に氷のような冷たい空間なのか、それとも自身の心がみせる幻覚でしかないのか自分でも判断が付かなかったが、そこがこれまでとは比にならない場である事が嫌でも認識出来た。
ぐっと、燭台を持つ両手に力が入る。
何なのでしょうか……この感じは……。
それは、これまで抱いた事の無い感覚だった。
それに……
「……っ……」
このひどい臭いは一体……?
胃の中のモノが逆流してしまいそうな程の強烈な悪臭が立込めている。それは、この闇の中でもわかる程に辺り一面を覆っているようだった。
胸の奥の不快感を何とか押し止めようとするが、それを凌ぐ勢いの臭気に襲われてしまいそうになる。
「リーリエ様、大丈夫でしょうか?」
わたくしよりかはこのような状況に慣れているミリアが、気遣わしそうな面持ちを向けてくれた。心許無い蝋燭の灯が、暗闇の中で彼女をぼやっと映している。
「ええ。……正直に言ってしまえば、少し怖いですけれど」
わたくしは、無理矢理に笑顔を浮かべる。そうでもしないと、この底気味悪い雰囲気に絡め取られてしまいそうだった。
「嫌な所だな……」
傍でクリス様がぽつりと呟いた。
漠然とだが、「彼は、このような空気に覚えがあるのではないだろうか?」――そんな風に思った。
「ではリーリエ様、こちらへ……」
ミリアがわたくしたちの前に立ち、先導してくれる。
その間もずっと、ドクンドクンと心臓は嫌な音を立て耳の奥の方で鳴り響いていた。
一つ一つ歩みを進める度、カツン……コツン……と足元から大きな木霊が闇へと吸い込まれて行く。「このまま、自分たちも闇に溶けて行ってしまうのではないか……」――そんな現実離れした事を考えてしまう程、悍ましい空気を感じていた。
――それから、僅か数回歩を進めた後、ミリアは不意に足を止めた。
カツリという微かな――けれど、大きく響き渡っていく石畳からの反響音もぴたりと鳴り止む。わたくしやクリス様も彼女に続き、立ち止まった。
この場は、計り知れない程の静寂に支配された。それが余計に恐怖を煽っていく。
どうしたのかしら……?
唐突な彼女の静止に聊か困惑してしまう。
ちらりとクリス様を窺うと、彼はじっとミリアのいる向こう側を凝視していた。そこには只、「闇」だけが存在している。
けれど――
「……ひっ……!」
ドクン!! と、殊更激しい鼓動が体中を襲った。
そして、ゾクッと一瞬にして全身の体温が冷え切ったしまったような悪寒を感じる。無意識に瞳を大きく見開き、思わず燭台を落としてしまいそうだった。膝はガタガタと震えてしまい、足を運ぶ事は適わない。
ミリアの手にしている灯がぼやりと映し出していたモノ――それは、自分の想像を遥かに超えたモノだった。
「なっ……何なのですか!! これはっ……!?」
自分でも驚く程大きな声で彼女へと問うた。それは、この闇の中では似つかわしくない大声だった。
――でも、わたくしは本当は気が付いていたのです。
それが、どのようなモノであるのかを……。
”それ”を目にする為ここまでやって来たのに、ミリアに聞かずにはいられなかったのです――
その時、突としてクリス様が歩を進めた。そして、ミリアの側に近寄って行く。
やがて二つの灯が重なり合い、”それ”はゆっくりとではあるが、確実に姿を鮮明にさせていった。
「……あ、あぁっ……」
いや……。
既に声を出す事は出来なかった。
わたくしの瞳が捉えたそれは、まざまざと自らの脳裏に深く刻み込まれていく。
――そこに在ったのは、あまりにも凄惨な光景。正視できない程の残虐な道具たち――
始めに目に飛び込んできたのは、木製の椅子だった。けれど、只の椅子では無かった。そこには、至る所にびっしりと鋭利な針が付いていたのだ。この暗闇の中でさえ、錆び付いた針はギラリと不気味な光を放っている。
いや……こんな所に座らされてしまったら……。
自身の体をそこに重ね合わせ、再びゾッと身を震わせる。噛み合わせる事の出来ない歯が、カチカチと音を立てていた。
「これは……」
クリス様も、大きく目を見開いている。皇子とは言え、その衝撃はとてつもないものだろう。
それから、その隣にゆっくりと目を向ける。
見たい訳ではありませんのに、見なければいけないような気がするのです。
何故だか、そんな使命感のような気持ちに駆られていた。
「これは……一体?」
そこには、一本の柱に大きな輪が取り付けられていた。裏側には、長い鉄製の棒のようなものが備えられている。
ミリアが、そちらの方へ無表情で近付いた。彼女の持っている灯りが、余計にそれの存在感を知らしめている。
「この輪に罪人の首を通すのです。そして、後ろの取っ手を回し……」
「……あ……」
わたくしは察してしまった。
これ以上、聞きたくない……。
けれど、彼女はそのまま続ける。
「ゆっくりと……窒息死させていくのです…………」
「あぁっ……ぃや……」
手に力が入らず、ガタン……と燭台を落としてしまう。僅か程度しか無かった灯は、より一層心細いものとなってしまった。
自身の体を支えきれず、ふらりと足元から崩れて行く。
「リーリエ!!」
床に体を打ち付ける寸前、がしっとクリス様がわたくしを抱きかかえてくれた。そして、ゆるゆると落ちていった体は、ぺたりと床に腰を下ろした。
……あ……
彼の温もりに安堵してしまったのかもしれない。堰を切ったように感情が溢れ出て行くのが分かった。かあっと目頭が熱くなり、自分では押さえきれない大粒の涙がぽろぽろと頬を伝っていく。
「……っいや、いやああああぁぁぁぁ!!!」
気が狂ってしまいそうな現実が、愛しい城の地下に存在していた。それは、わたくしが生まれる遠い昔日から。
こんな事知らなかった……。
わたくし、知りませんでしたのよ……。
この場のひどい悪臭は、罪人たちから流れた血でもあり、痛み、苦しみ、嘆き、悲しみ、そして後悔……。
様々な想いが溶け合い、混ざり合った心でもあったのかもしれない。
お兄様やお父様、それに叔父様も、これ程重いモノを背負っていらっしゃったなんて……――――
mission=使命、役目




