*43*リーリエのso close yet so far
城に到着すると、お兄様が馬車の側で手を取ってくれた。
そして、直ぐ様ミリアが傘をわたくしへと差し出す。それは、彼女と二人で使っても差し支えない程の大きさではあるが、桃色で裾の部分にレースがあしらわれた上品なものだ。
対して彼女やクライドたち兵士は、始終冷たい雨に晒されていた為、ずぶ濡れになってしまっていた。
すると、その先には、叔母様が笑顔で出迎えに来てくれていた。裾が汚れてしまわぬように足元がチラリと覗き、いつもよりかは簡素なドレスを身に付けている。
そこにあったのは、いつもと同じ叔母の笑みで、何故だかとても安らいだ心地を感じた。
お兄様やクリス様も、側で控えていた侍女たちによって冷たい雨を防いでもらう。
「お帰りなさい」
「ただいま、叔母様」
わたくしも笑顔で返答する。
「あら……? ローザリカはどうしたのかしら……?」
叔母は、わたくしたちを一通り眺め回した後、従姉の姿が見えなかった事で何かを察したのだろう。馬車の中を覗き込んだ後、サッと顔色を変えた。
「それなのですが……」
兄は事情を話そうとしたが、躊躇していた。
叔母へと視線を合わせる事が出来ず、言い淀んでいる。
お兄様……。
兄の心中を思えば、仕方のない事だった。
姪に知られただけであれば、まだ良いだろう。
けれど、夫となるオチェアーノの皇子にまで、「10年前の悲劇と、それが元で負った娘の心の傷」を知られてしまった事になるのだ。
クリス様も、幾分か居心地が悪そうに見えた。
「……リオン、何かあったのね?」
「……っ……」
その時、お兄様の拳にグッと力が入ったような気がした。
叔母様は兄を真っ直ぐに見据え「リオン」と呼び、不穏な空気を纏っている。その目つきや表情には、刺々しささえ感じられた。
それは、あの時叔父様へと向けた、お姉様の空気に似ていた。
『お父様、本当に大丈夫なのですね?』
それだけ叔母は、「素」の状態だったのだ。
なんだか、叔母様が怖い……。
それは、わたくしが初めて見るような叔母の様相だった。
叔母様はいつも微笑んでいて、叔父様の傍に寄り添っていて……。そんな穏やかな表情しか知らなかった。
その時、後方から馬の蹄の音と、ガラガラという車輪の音が聞こえてきた。それは、わたくしたちの乗って来た馬車の後部でガラン……と止まる。
しばらくすると、カチャリと音を立ててドアが開いた。
そして、白く雅やかな傘を差し、彼女はこちらの方へとゆっくりとした足取りで歩いて来る。
「ローザリカ!!」
叔母様は、お姉様の姿を確認するとホッと和らいだ表情をさせた。そして、その顏ばせそのままに従姉へと駆け寄る。
そこには、いつもの叔母の「顏」があった。
「お母様……」
お姉様は母の姿を確認すると、安堵したように微笑む。けれど、そこには心なしか”陰”のようなものを感じた。
「大丈夫なの……? 気分が優れなかったりしないかしら……?」
「平気よ、お母様。そんなに心配しないでちょうだい」
お姉様をしきりに案ずる叔母様は、今にも泣きだしてしまいそうな程、儚げに見えた。そして、一度だけそっと娘の頬を撫でる。
それに応えるように従姉は叔母の手に自らの手も重ね、ニコッと笑った。
それは、わたくしへと向けてくれる優しい微笑みとは違う、”母”への笑顔だった。
「けど少し疲れてしまったから、お部屋で休みたいわ」
「ええ、そうね。さあ、戻りましょう」
叔母様は、気遣わしげにお姉様の腰の辺りにそっと手を添える。
「ありがとうございます、お母様」
従姉は、心の底から安らいでいる面持ちで離宮へと歩き出す。わたくしたちの横を通り過ぎ、この場から去って行ってしまった。
その間、わたくしたちへと視線を合わせる事はなかった……――
――「…………」
残されたわたくしたちの間には、重苦しい静寂だけが流れていた。事情を知らない侍女たちは、終始無言で居続けるまま一向に動こうとしない王族たちを訝しんでいるようだ。
それに……
お兄様……。
兄は、叔母から冷たい眼差しを被ってからというものの、俯いたまま一度として顔を上げる事は無かった。
「お兄様」と声を掛けようとした正にその時、ふらりと兄は歩き出した。
「あっ、リオン様!!」
それまでの成り行きを見守っていたクライドが、突然歩みを進めた主へと慌てて付いていく。そして、彼はちらりと一度だけこちらを振り返り、ウインクした。
「ふふっ」
思わず、笑みが零れてしまった。
「またクライドったら……」
ミリアは、彼の行為を王族たちへの無礼な振る舞いのように思っているようだ。その声色には、微かに呆れの口調が感じられた。
けれど、わたくしは何度となくクライドに救われている。
「いいのよ、ミリア。あのようなところがクライドの良いところなのですわ」
「ああ、僕もそう思う」
隣に立っていたクリス様は、わたくしに同意してくれた。
こんな時、いつもわたくしは、「きっと、お兄様はクライドがいれば大丈夫だわ」と思っておりましたわ。
けど、わたくしは一つの「答」を見付けた……見付けてしまった……。
それは、お兄様の「妹」であるわたくしだからこそ分かったもの。
とても、大切なもの……。
クリス様とは出会ってまだ僅かだが、彼がクライドの行いに同調してくれた事は何となく腑に落ちた。けれど、これまでの自分であれば、恐らく理解できなかったのだろう。
そうしてお兄様は、離宮とは反対方向へと歩んで行った……――――
――――この場には、わたくしとクリス様、ミリアの3人だけが取り残された。
クリス様は侍女に断りを入れて、自ら傘を差している。
「さて、と……。これからどうしようかな。流石にあんな話を聞いた後じゃ、ローザリカと親睦を深める、というのもね……」
「ええ、そうですわね……」
彼の身になって考えてみれば、非常に複雑なものだ。
妻となる女性が「男性が苦手であり、触れる事さえ困難」であるなどと、全く想像もつかない事実であっただろう。
それに、それを知ってしまったところで国同士の婚姻だ。そこに、私情が入り込む余地など無い。
例えクリス様かお姉様が拒否したとしても、この結婚は本人たちの意志など関係なく進んで行ってしまう。
――それが、「皇子としての立場」、「王女としての立場」であるのだからと自分自身を説き伏せて……。
「とりあえず、僕も部屋で休ませてもらおうかな?」
良い案も浮かばず、今はしたい事も見付からないといった風貌の彼は、くるりと城内の方向へ踵を返そうとした。
あっ……!!
「あのっ!」
「え……?」
咄嗟に彼を引き留めてしまった。
クリス様は、幾らか目を見開いて立ち止まる。
「あ、あの……実は、わたくし行ってみたい所があるのですわ。もしクリス様が宜しければ、ご一緒にいかがでしょうか?」
「え? ああ、もちろん僕はかまわないさ」
彼は、わたくしの突然の提案に多少驚いたようだが、にこりと笑みを浮かべ快諾してくれた。
断られる事も考慮し及び腰で尋ねた為、彼の応えにホッと安堵する。
「それから、ミリアもお願いしますわ」
「ええ、もちろんです! ですが、どこへ行かれるのです? 城外は陛下から許可を頂かないといけませんし、難しいと思うのですが……」
びしょ濡れの状態でありながら、ミリアも了承してくれた。
一先ずは、彼女を温める事が先決だろう。
「わたくしが行きたい場所。それは……」
そこはミリアだけでなく、クリス様でさえも唖然とさせてしまった。
それほど、自分にとって縁遠い所……いいえ、「“これまでのわたくし“にとって、とても近くてとても遠い存在」だったのです……――――
so close yet so far=とても近いが、とても遠い




