*41*ローザリカのfear Ⅸ
わたしの目の前には、この国の正妃であった女性の大きな肖像画。
本当にそっくりね。
彼女は、わたしの従妹に瓜二つな容姿をしている。異なっているのは、その若草色の瞳だけ。
エメリア様……。
あなたは……、あなたとお父様は……
「わたしたちを裏切っていたの……?」
彼女の瞳を真っ直ぐに見据え、呟いた。まるで、現実にそこへ存在しているかのように。
リーリエの碧い瞳は伯父様のものなの……?
それとも……。
わたしは、「真実」を知らないままアルダンを離れる。
でも、それでいいの。
ただ裏切られるのが恐いだけなのかもしれない。
けれど、真実を知る事が、必ずしも良い結果を生みだす事となる訳ではないのだから……。
あの日から――ミリアがやって来た日から、父はわたしに手を差し伸べる事は無くなった。
けど、いつしかわたしは、自ら父を拒絶したにも拘らず、その手に触れてほしいと願っている別の自分がいた事にも気が付いていた。父の事を疑っていても、嫌いになんてなれなかった。
結局のところわたしは、本当はお父様の事をどう思っていたのだろうか……、どうして欲しかったのだろうか……?
未だ、その答えは見付けられずにいる――
――その時だった。
後ろの方からカチャリと、この部屋の扉が開く音がした。
誰かしら……?
くるりと、そちらの方向へ体を向ける。
すると、そこには意外な人物がいた。
「あら、お姉様。こちらでお会いするとは珍しいですわね?」
彼女は、心底驚いた風に目を丸くしている。
「リーリエ。あなたのお母様を眺めていたところよ」
わたしは、にこりと笑って彼女を出迎えた――――
――――ザァーッと、未だに馬車の外では、既に聞き飽きてしまった雨が響き渡っている。
このまま、今日は陽が差す事は無いだろう。降り注ぐのは、ただ鬱々たる雫だけ……。
リーリエは、わたしの事を本当に慕ってくれている。
だから、本音を言えば離れたくなんてない。彼女が”本当の”妹であるかどうかなど関係ない……。
「あの子が大切」――それだけは、わたしたちが遠く離れてしまっても変わらない「真実」。
これまで何度となく、リーリエをこの腕の中に抱きしめてきた。
あの子が寂しそうにしている時、辛そうな時、泣きそうな時……それから、わたしを”母”のように想って甘えてくる時……。
この手で包んで温めてあげると、あの子はとても安心したように、ぎゅっとわたしの事も抱きしめ返してくれる。それが、とっても嬉しいのよ。
あなたは、わたしの大事な”妹”だから……。
でもね……
「もう、苦しいの」
どんよりと薄暗い天を眺めながら、ぽつりと呟いた。
これが、今まで何度も嘘を重ねてきたわたしの「本心」。
リーリエを抱きしめる度に思い知らされる。わたしは、愛おしい家族でさえも受け入れる事が出来ないの……。
リーリエ、リオン、お父様、お母様、伯父様……。
大好きなのに、大切なのに……。
抱きしめたいのに抱きしめられない。この身を包んで温めてもらいたいのに触れられない。
それが、こんなに辛くて哀しい事だなんて知らなかった……!!
ごめんね、リーリエ。
わたしはね、もうあなたの”お姉ちゃん”でいる事に疲れちゃったの。
――わたしも誰かに愛されたいのよ――
だから伯父様からの”あの話”は、わたしにとって最後で最大の好機だったの。
「大国の皇子の正妃」――わたしは、自分自身を満たしたかった……いいえ、「肯定」させたかったのだと思うわ。こんな自分でも誰かに認めてもらえるのではないのかって。
でも……――
「……っ……」
胸が押し潰されそうに痛い。思わず、ぐっと両手で胸を押さえる。
本当は、この国を離れたいなんて思ってないわ。
皆の……家族の傍にいたい……!!
「っ、……わああああぁぁぁっっ!!」
馬車の中、一人ぼっちで涙を流した。
けど、それでいいのよ……。
わたしには「一人」が相応しいの。
そして、遠く離れた所からアルダンを守っていくわ。
それが、わたしの「王女としての務め」なのだから――
それに、きっとクリスは、わたしを大事にしてくれる。
彼の琥珀色の瞳は、いつも柔らかく優しい色を放っていて「嘘」という壁を作る必要がないの。そうして彼はいとも容易く、わたしの壁を取り払ってしまった。
だから、きっと大丈夫。
わたしはオチェアーノで生きていく。
もし、わたしが子をなす事が出来なければ側室を配してもらえばいい。
改めて意志を固める。
けど――
「リオン……」
あの日見た彼の冷たい瞳が、ずっと心の中で引っ掛かっていた。彼には、わたしの知らない「顔」がある。
あなたは、これまで何を背負って生きてきたの……?
想い出すのは幼い頃の事。
いつも寂しそうにしていて、わたしの傍を離れなかったわね。
それに、ずっと手を繋いでた。
「ふふっ」
昔を懐かしみ、無意識に笑みが零れた。なのに絶えず涙は頬を伝っていく。
あなたはこの10年、辛そうな顔一つ見せた事なかったわ。
リーリエには、優しい”兄”の顔。伯父様には、次期国王としての”王太子”の顔。お父様やお母様には、実直な”甥”の顔。クライドには、堂々たる”主”の顔。
そして、わたしには、憎まれ口をたたく”子供”のような顔……。
どれが本当のあなた?
どれが本当の顔なの……?
ゆっくりと瞳を閉じて、彼との記憶を追想する。
リオンは、とっても泣き虫だったわ。
だから、いつもわたしはハンカチーフを用意しておいて、彼の涙を拭っていたわ。
そうすると、リオンはぷいっと恥ずかしそうに視線を逸らすのに、真っ赤な顔をしながらも嬉しそうにしていて……。
まるで、そうしてもらうのを待っていたみたいに……。
「……ぅっ……」
あなたはどれだけの辛さや苦しみを、その身で受け止めてきたの……?
どれ程の涙を流してきたの……?
今はもう、「リオン」がみえないのよ。
それに、未だに時々思う事があるわ。
『お兄さま? お姉さま……? どうかされたのですか?』
『いいや、何でもないさ』
『ええ、リーリエは気にしなくて大丈夫よ』
あの時にわたしたちが素直になっていれば、もっとお互いを大切にしていけたのではないのかって。
もっと、お互いの心を繋ぎ合わせる事が出来たのではないのかって。
そんな後悔を、ずっと続けているのよ。
それにね……
零れてしまう想いは、感情の赴くままに溢れさせた。
あなたの本心を知ってしまったら、きっとわたしの決心が揺らいでしまうから……。
だから、わたしたちは、お互いの心を通わせないままでお別れするの……――――




