*40*ローザリカのfear Ⅷ
私もリオンも正式な婚約者候補ですら決まらないまま、既に19の歳を迎えていた。
そろそろ本格的に候補ではなく、正式な婚約を結ばなければいけない段階が迫っていたのだ。
そんな時、先にその話が出たのはリオンの方だった。
どうやら伯父様にも急き立てられたようで、侯爵家の中から相応しい令嬢を選出した。でも、彼自体はあまり乗り気ではないように見えた。
けれど、わたしたちはそれが乗り気であろうとなかろうと、そういう「立場」なのよ。
必要な事、仕方の無い事なの……――――
――――そして、わたしの3度目の候補者の話が出たのは、リオンの婚約が正式なものとして纏まりかけていた頃だった。
相手は、わたしたち王族の一員であるエドワード。
この頃になると、身内の中からでも良いから早く決めてしまおうという、一種の諦めのような雰囲気すら漂い始めていた。あれ程わたしが降嫁する事を憂慮していたお父様やお母様でさえ、焦りの色が見てとれたのだ。
父や母も王族なのだ。
わたしが、これ以上城に留まり続ける故に不名誉な評判を与えられ、傷付けられる事を心配してくれていたのだろう。だからわたしは父や母の為にも、この婚姻こそは必ず成功させると意気込んでいた。
そう……どんな事があっても必ず……!!
――わたしとエドワードは雲一つない穏やかな日差しの下、庭園の東屋で共にお茶を味わっていた。側では数人の侍女たちが、カチャカチャと茶菓子の準備をしている。
彼は、フレデリクとは真逆な人物だった。
王族に多い金髪碧眼で容姿端麗。
女性の扱いにも慣れているのだろう。わたしがその場へ腰掛けようとした時、スッと手早く椅子を引いた。それから、ニコニコとした笑顔で「どうぞ」と言う風に右手を差し出し、着座するよう促してくれた。
2回ほど顔を合わせているが、彼はこのような事が自然と出来る者だった。
「ありがとう」
口角を上げて笑みをつくる。
上手く笑えたかしら。
彼の心遣いにさえ、素直に喜びを表現できない。これが普通の女性であれば、うっとりとした瞳を向け、一瞬で恋に落ちてしまうものなのかもしれない。
けれど、わたしにはそれが出来ない。
今まで嫌という程「嘘」を重ねてきた。
今回もそう……。
でも、それがわたしの”王女として”の務め。そして、果たさなければならない責務――
当然、王族としての礼儀作法を心得ているエドワードは、フレデリクのような事はしないだろう。それは、彼の紳士的な態度からも察する事が出来た。
でも……
またもフレデリクの時のように、彼をちらりと覗き見てみる。
わたしは「人」を苦手とするようになってから、相手の本質を見抜こうとする癖を身に付けてしまった。「人」を窺い知る事によって、相手との”予防線”を準備するのだ。
その時のエドワードは優雅な佇まいを崩さず、悠々とした面持ちでセイロンティーを味わっていた。彼の動作一つ一つには、王族としての格調高さが感じられる。
「ん……? どうかされましたか? ローザリカ様」
彼はわたしの視線に気が付いたようで、こちらに顔を向ける。その表情には穏やかな笑みが浮かんでおり、わたしが覗き見ていた事に対して不快感は無さそうだった。
「あっ、いいえ! ごめんなさい、何でもないわ……」
突然話し掛けられたわたしは、聊か動揺してしまい慌てて返答した。バタバタと両手を振り、即座にそれを否定する。
「そうですか」
対するエドワードは常に保たれている品位と微笑みを絶やさず、私へと視線を合わせた。と言うよりも、「じっと見つめようとしている」気がしたのだ。彼は、こちらへ向けている碧い瞳を欠片も外そうとはしない。
わたしも、彼の瞳から逃れる事が出来なかった。
何故だろう。
再びフレデリクの時のような、嫌な予感めいたものを感じた。
……嫌……恐いっっ!!
またわたしは、あの時のような失態を犯してしまうのだろうか?
そんな不安が頭を過ぎる。
――その時だった。
不意に彼とは別の視線を感じたのは……。
……えっ……!?
思わず、わたしは大きく目を見開いてしまう。
それは、エドワードや侍女たちの背後からのモノだった。そのため、この位置からでしか「彼」の存在を把握する事は出来ない。
わたしの目線の先にいたのは、リオンだった。
どうしてリオンがあんな所に!?
彼は、花々が咲き誇っている通りの角の辺り……東屋から幾ばくか離れた所から、こちらを見ていた。
それに――
ゾクッ
どうして、あんなに恐ろしい瞳をしているの……!?
彼は碧い瞳でこちらを凝視していた。眉間には深い皺が寄り、彼の雰囲気そのものでさえも変化してしまっているような、そんな悍ましさを感じる。
そして、その「碧」は、わたしたちとは違う碧を放っていた。冷たくて全てを否定するような……そんな、恐れを感じる碧……。
否、それは凝視するというよりも、「睨み付ける」と言った方が似つかわしいものだった。
こんなリオン初めて見たわ。
どうして、あんな恐い顔をしているの……?
わたしは、生まれて初めて彼に対し「恐怖」を感じていた……――
「……あの、ローザリカ様? どうかされましたか……?」
エドワードに名を呼ばれ、ハッと思考を彼側へ戻す。
「あっ……!! ごめんなさい、少しぼうっとしてしまって……」
何とかその場を取り繕うとしたが、先程のリオンの瞳が頭から離れず、俯き加減に返答してしまった。
わたしは、再度ちらりとエドワードの背後を覗ってみる。
けれど、既にそこには誰も存在していなかった。
リオン……
「……あの、エドワード? 申し訳ないのだけれど、少し体調が優れなくて……。今日は部屋に戻らせてもらってもいいかしら……?」
目的を達成する為の3度目の機会だというのに、何故だか急にその決意が揺らいでしまった。それに、彼の目があの時のフレデリクの目に近いものを覚え、不穏な空気を感じ取ったからというのも正直な気持ちだった。
「……そうですか。あなたの事をもっと知りたかったのですが……。とても残念ですが、それではまたの機会にという事で」
「本当にごめんなさい……」
エドワードは、心底残念そうな表情をさせながらも承諾してくれた。
わたしは「申し訳なさと嫌な予感」のおかげで、彼の視線を直視できなかった。
「いいえ、気にしないで下さい。次にお会い出来るのを楽しみにしております。それから、あなたの”正式”な伴侶となる事も……」
彼は絶やさない笑みをそのままに右手を胸に添え、丁寧な別れの挨拶を告げる。
だから、きっと気のせいだったのだと思うわ。
ほんの一瞬、エドワードの瞳が冷たい碧を見せた気がしたのは……――――
――――それから数日後の事だった。わたしは再び失敗したのだ。
よりにもよってエドワードは、リオンの婚約者候補であった令嬢と正式に婚約を果たしてしまったのだ。
それを知ったのは、既に”事後”だった。
父や母は激昂していた。
当然だろう。この国の王女である娘の顔に泥を塗られた形となったのだから。父は彼の爵位の剥奪まで要求したようだったが、それを伯父が何とか諭し事なきを得たのだ。
けれど、当事者であるリオンは全く意に介していない様子だった。
わたしは、「婚姻」というものを諦める事にした。
始めから無理だったのだ。こんな体で、こんな心で。
頑張ろうと思っても何も報われない。
努力したところで、結局は裏切られるだけでしかないのよ……。




