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*39*ローザリカのfear Ⅶ

 わたしが一人になって3年後――あれは16歳の頃だったわ。

 わたしの婚約者候補の話が出たのは……――――




 いくらわたしが(ひと)が苦手とは言っても、一国の王女である自分は生涯を城で過ごす訳にはいかなかった。この国では身分の高い女性が独身でいる事は、非常に体裁の悪いものとして映ってしまう。

 それだけではない。わたしは城から出たかった。


 平たく言えば、「望んでいた」のだ。


 相手など二の次だった。

 それは、わたしでなくとも父や母、伯父様、宰相、側近たち……。彼らが、わたしと相応しい者を自ずと選んでくれる。

 当然そこに愛など存在しない。王女としての務め、そして相手の家格の為……つまりは、お互いの「利害関係」(ゆえ)の結婚。


 わたしには、愛情など不要なモノでしか無かった。とにかく(ここ)から離れたかったのだ――――






――――始めはティンダル侯爵家の長男だった。

 何度か顔合わせを済ませていて、そろそろ本格的に「候補」から「正式」な婚約者へと格上げする寸前だった。

 おそらく、最初の頃は恐怖で顔が引きつってしまっていたと思う。どうにか自分を鼓舞させて乗り切ろうと必死だった。


 


――その時わたしは、私室でローズティーを飲みつつ「目的」の為の策を講じていた。


 病の事は今は何とか隠し通さなければ……。

 婚約が決定した後は、とにかくどんな手を使ってでも治療するのよ!!

 国中の名医を集めようかしら? それとも、ありとあらゆる薬を試してみる?


 そんな事を考えていた。

 けれど、そのような手段は、この6年ですっかり遣り尽くしてしまった。


 これは、できればやりたくなかったけど……。


「……」


 無意識に険しい顔付きになってしまう。


 荒治療にはなってしまうけれど、男性に付きっ切りで傍にいてもらって克服するしかないのかもしれないわ。エルネストかジョルジュあたりに頼めないかしら?


 それは、これまでも何度か考えていた方法だった。けれど、わたしはそれを想像するだけで、ぞくりと瞬く間に恐怖が全身を襲ってしまう。


 恐い……!!


 グッと眉間に深い皺が出来る。幾らか痛みを感じてしまう程、目元に力が入ってしまう。硬く力んだ手はカップの中の紅茶(ティー)を揺らして、今にも零れ落ちてしまいそうだった。


 とにかく、わたしは成功させなければならないのよ。

 何とかして乗り越えなければ……!!


 

 わたしは、一度冷静になろうとクイッと喉を潤す。


「ふぅ……」


 そして一息ついた。

 上品さを感じさせる薔薇(ローズ)の香りが、ほのかに甘く鼻孔をくすぐる。


「ふふっ」


 本当に落ち着くわ……。


 飲み慣れた紅茶の筈なのに、何故だか笑みが浮かんだ。

 その時――



『ローズ』



「え……?」 


 ふと、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 思わずキョロキョロと辺りを見回す。


 空耳、よね……?


 「当たり前だ」と思いながらも、どこか現実味を帯びていた声音に、こくりと首を傾げた。

 ”彼”がこの場にいる筈がない。それ以前に、この部屋には自分一人しかいないのだ。それに今の”彼”は低くて落ち着いた声をしている。わたしが聞いた(それ)は、もっと高くて可愛らしい声。とても、とても……懐かしい声。


「どうして、こんな時に思い出してしまうの……?」 

 

 それは、自分の”内”から聞こえた(あふれた)ものだった。


「っ、どうして……?」


 本当は胸の奥底に眠っている、その「答え」を知っていたのかもしれない。


 でも何故だろう?

 知るのが恐かった。知りたくなかった……。


 不意に目頭が熱くなり、ぽろりと一粒の雫が零れた――

 




――――今思えば、”だから”わたしは早く城から出たかったのだと思うわ。

 わたしたちに待ち受けている「現実」が、哀しいものであるのかもしれないのだから……。


 それにね、「愛」など存在しなくとも「家族」にはなれるのよ……――――





 

――その数日後だった。ティンダル侯爵家の不正が発覚したのは……。


 なぜ、突然不正を明るみに出したのかは分からない。

 彼らの方から罪を認めた為、今後も侯爵の家格を名乗る事は許された。もしかしたら、わたしが嫁いだ後に発覚する事を恐れたのだろうか……。


 何れにせよ、正直わたしはホッとしていた。今の状態で降嫁したとしても、きっと上手くはいかなかっただろう。


 「形だけの妻」――そのような評価(レッテル)付けされるだけならまだ良い。

 この国の王女が心の病で長年苦しんでおり、その原因が兵士に襲われた為であるなどと民の知るところにでもなれば、アルダンの兵士たちへの信用は失墜するだろう。

 それに何よりも、再び家族たちの悲しむ顔を見たくなかった……。

 



――それから約1年半後、2人目の婚約者候補が選定された。

 彼は、マスルール宰相の次男であるフレデリク。

 宰相は、わたしの事情を知っている。そのような意味でも、わたしが降嫁しても安心だと思ったのだろう。特にお父様とお母様が、「嫁ぐのであれば彼のところへ」と切望していた。



 その日わたしは数人の侍女を伴い、当たり障りのない会話をしながらフレデリクと庭園を散策していた。

 父や母から聞いた話では、彼は非常に真面目で政治や経済への知見も広いらしい。それは彼の出で立ちからも推測する事が出来た。

 それに、多分ほとんど女性と接した事が無かったのだろう。既に2回ほど顔を合わせてはいるが、未だに彼はわたしへと緊張感たっぷりの真っ赤な顔を向けていた。


 それに……


 ちらりとフレデリクを覗き込む。

 すると案の定、バチッと互いの視線がぶつかった。


「あぁっ……!!」


 それから、彼は今にも倒れてしまいそうな勢いで、それまで以上にカーッと顔中を沸騰させた。


「……」

「……」


 そこには何とも言えない微妙な空気が流れる。

 わたしたちは、共に俯き加減となってしまった。

 

 なんだか、ずっと見られているような気がするのよね……。

 いいえ、彼は婚約者候補なのよ。

 相手の事を良く知りたいと思うのは当たり前だわ。

 でも……


 再びちらっと視線を動かす。今度は先程よりは控えめに覗いた。

 

 え……?

 

 フレデリクは相変わらず真っ赤な顔をさせてはいるが、わたしを見る目が今までの(ソレ)とは違うモノのような気がした。


 なぜかしら?

 嫌な予感がするわ。


 彼の視線が徐々に熱を帯びていく。それは、彼の纏っている空気(オーラ)そのものでさえも変化させていく様相を呈していた。



ドクンっっ!!



 一際大きな鼓動が襲う。


 恐い……!!


 わたしは無意識に半歩後ずさりしてしまった。

 けれど、フレデリクは「はー、はー……」と息を乱しながら、こちらへと歩みを進めて来る。


「……ぃや……」


 恐いよ……。


 彼を直視出来ず、グッと両手を胸の前で硬く握って身動きが取れないでいた。

 しかし、尚も彼が近付いて来る気配がする。

 直後――



「……ぃや……いやあああぁぁぁ!!」

「ローザリカ様っっ!!」



 お互いの声が重なった。

 そして――



「え……?」



 気が付いた時には、わたしはフレデリクの腕の中に収まっていた。



ゾクッ



 虫が這っているのではないのかと思う程、体中をゾクゾクと悪寒が走る。なのに彼はわたしの意に介さず、グッと腕の力を更に強めた。恐らく、彼は自分自身の事で精一杯で、わたしの悲鳴など耳に届いていなかったのだろう。


 ……あっだめ、これ以上は……!!


 あの嫌な不快感が、胸の奥の方からせり上がってくる。


「ローザリカ様……」

「……やっ……」


 彼は耳元でわたしの名を呟いた。それが「合図」だった。


「いやあああぁぁぁぁ!!」


 

ドンっ!!



 まるで、「あの時」を再現するかのようにフレデリクの胸を突き飛ばしていた。けれど男性(おとな)である彼はふらりと少し体勢を崩しただけで、後方へと倒れ込んでしまうという事は無かった。


「……あっ……」


 今し方、自分が仕出かしてしまった事にハッと意識が現実に戻る。

 けど時すでに遅し、目の前には呆然とした彼の姿があった。それと同時に、とてつもない息苦しさと嘔吐感に襲われる。


 もうだめ……!!


 限界が迫っていた身を何とか踵を返し、すぐ側の繁みにうずくまった。


「はぁ……はぁ……はぁ…はぁ……」


 グッと、胸の中から逆流してくるモノの兆しを感じる。そして、その場でそれを吐き出してしまった。


「……っく……はぁ……はぁ……はぁ……」


 やってしまった……。

 

 ガタガタと体中の震えが止まらない。

 「男に抱きしめられた」――それは相当な苦痛であるのだと、まざまざと自分自身へと見せつける事となった。


「……っ……うぅ……」 


 情けなさで、ぼろぼろと涙が溢れてくる。

 その時だった――



「ローザリカ!!」



 ……え……?


 斜め後方から、わたしを呼ぶ声がした。


 この声……リオン……?



『ローズ』



 それは「あの時」とは違うけれど、確かに「彼」の声だった。


「ローザリカ……」


 彼は、もう一度わたしの名を呼んで歩み寄って来る。

 けれど――



「来ないで!!」



 わたしは咄嗟(とっさ)にリオンを拒絶した。それと同時に、彼はぴたりと動きを止める。


「え……?」

「お願い……。来ないで……」

「……くっ……」


 横目で見た彼は未だ何か言いたげな表情をしていたが、わたしの意思を尊重してくれたようだ。「そうか……」と呟き、この場から去って行った。



 ごめんね、リオン……。

 きっとあなたは、わたしの事を心配して来てくれたのでしょう?

 本当はあなたが、とても優しい人なんだって事くらい知っているわ。

 でも……


「っ……ふっ……」


 再び、感情(なみだ)が溢れ出してくる。



 リオン……あなたにこんな惨めな姿、見られたくないのよ……――――




――後日、宰相からは正式に婚約者候補を辞退するという話を聞いた。


 わたしが、あんな失態を犯さなければ……。


 そんな後悔だけが残ってしまった――




 リオン……。

 いつかあなたは、正式な王妃を迎えなければならないのよ。

 そして、それはわたしも同じ事。



『ローズ』

『リオン』 

 

 彼の涙を拭って、抱きしめて、手を繋いで、笑い合って……。

 それから、あの二人だけの大切な場所に向かって……。



 もう、あの頃には戻れないの……――――

 







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