*38*ローザリカのfear Ⅵ
それからのわたしたちは、何事もなかったように家族として過ごしてきたわ。
何も知らないリーリエは、これまで通りわたしの事を慕ってくれている。
父や母も、それ以降あの話題には触れていないらしく、わたしも特に問い質す事はしなかった。いいえ、「したくなかった」という方が似つかわしいかもしれない。
ただ、リオンとの関係だけは大きく変わってしまった。
彼との間には、何か見えない壁が存在しているような、超えてはいけない一線があるような……。
そんな曖昧であやふやな関係。まるで、水差しから溢れ出してしまった水が零れ落ちた時、一瞬で決壊してしまうような……。
今考えてみれば、彼との間に「壁」を作っていたのは、わたしの方だったのかもしれない。
リオン。
わたしは、真実を知るのが恐い……。
もし、わたしたちが本当の「兄妹」だったら……?
そして、水差しから溢れてしまった水が零れてしまった時、超えてはいけない一線を超えてしまった時……わたしたちには、何が待ち受けているの……――――
――――恐れていた事が再び起こってしまったのは、あの日から3年後だった。
「なんですって……!?」
わたしは、ミリアからの「報告」に顔を青ざめた。思わず、ぞくりと背筋が凍る感覚に襲われる。
今度は、リーリエが兵士に襲われたのだ。
またしても、王族たちが信頼を寄せる者からの裏切りにあってしまった。
わたしの一件で兵士を増やしたというのに、これでは意味がないじゃない……!!
「っ……どうして……?」
悔しさで涙が滲む。
「それで、リーリエは大丈夫だったの……!!?」
嫌な想像も視野に入れてしまったわたしは、逸る気持ちで彼女へと尋ねる。そのため、聊か怒声にも似た勢いで言い放ってしまった。
「はい、幸いにも無傷との事です。リーリエ様が襲われる寸前、別の兵士によって助け出されたそうです」
けれど、ミリアは冷静にリーリエの無事を伝えた。
その兵士は、彼女を襲った兵士の刃をまともに受けてしまったらしい。脇腹の辺りを刺され重傷だというが、命に別状は無いとの事だった。
「!! ……そう、良かった」
それを聞いた瞬間ホッと気が抜けて、ストンとその場にあったソファへと無意識に腰掛けた。
本当に……良かった…………。
緊張の糸がほぐれていく。
「……っ……ふぅっ……」
「ローザリカ様……」
「わああああぁぁぁぁ!!」
余程安心したのだと思う。その場で、激しく泣き崩れてしまった。
彼女は、そんなわたしの気持ちを慮ってくれたのだろう。わたしが泣き止むまで、ずっと傍で見守っていてくれた。
もうこんな思いをするのは、わたしだけで十分なの……。
リーリエにとって大切な家族、大切な城であって欲しいのよ……――
「……はぁ……」
少し落ち着きを取り戻してから、一度微かなため息をついた。
リーリエを襲おうとしたのが兵士であるのに、それを助けたのもまた兵士であるなんて、何という皮肉だろうか……。
――――それから陛下は、王族たち専属の護衛騎士を付ける事にした。
けれど、わたしはそれを拒否した。人が傍に居続けるという事が恐かったからだ。家族たちも、そう思っている。
確かにそれも理由の一つではあった。
けれど、何よりも気掛かりだったのはリーリエの事だ。
この城には、ミリア以外に女性兵士は存在していない。もしも、わたしにミリアの護衛が付けば、リーリエには男性兵士が付くことになるだろう。
わたしは、それをひどく危惧していた。
わたしの一件では、皆が案じていたような大事には至らずに「王女」としての尊厳を保つ事は出来た。けれど、それと引き換えに心には大きな傷が残り、家族との絆さえも信じられなくなってしまった。
万が一、リーリエの身にわたし以上の”出来事”が襲い掛かってしまったとしたら……?
それを想像して、ぞくっと身震いする。
そんな事が城で起こる可能性があるのだ。信じたくもない実情が、ここには存在している。
今回のリーリエの件も、彼女を必死に守ろうとしてくれた兵士がいたから良かったものの、その場に彼がいなかったら……? もし、優秀な兵士でさえも、我が身可愛さにリーリエを見限るような者がいるとしたら……?
だからと言って、ずっと部屋に閉じ込めておくことなど出来る訳がない。
わたしは、半年間の療養生活をしてわかった事がある。
ずっと部屋に引き籠っているというのは、想像以上に苦痛だったのだ。やる事と言えば時期によって移ろい行く花々や、ふわふわしたパウンドケーキのような雲が浮かぶ碧空を眺めてみたり、時々遊びに来る小鳥たちに餌を分け与えたり……。
そんな事を続けていると、次第に「もっと城の外を見てみたい……」という欲が出てきてしまう。けれど、その時の自分は城外に出る事はおろか、私室で軟禁状態だったのだ。それでなくとも、お父様や伯父様が簡単に認めてはくれなかっただろう。
「外の世界……。どんな所なのかしら……?」
ふと、そんな疑問が沸いてきた。それからわたしは、憧れにも近い衝動で書物庫の本を読み漁っていった。その時から、わたしは周辺諸国の事情に対しての知見を広げていく。あの時はリオン以上に詳しかったと思う。
けど、そんな毎日の中でも、わたしの意識の中に常にあったもの……。
早く病気を治して、また以前のようにリオンやリーリエと一緒に庭園を駆け回りたい、笑い合いたい!!
そんな事をずっと考えていた。
けれど、そんなものは夢物語でしかないのだと気付いてた。
もう、何も知らなかった頃には戻れない……。
だからだと思う。わたしは自分でも驚く程すんなりと、この「現実」を受け入れてしまっていたのだから――
――やっぱりだめよ、兵士は信じられない……。
リーリエを守るためには、ミリアに護衛を頼むしかない……!!
わたしは、改めて心を固める。彼女は絶対にリーリエを裏切らない。そう思えるだけの信頼関係を、この3年間で築いてきた。
それにリーリエはエメリア様の血を引く、この国の正当な王女よ。
父親は未だ分からずじまいだけれど、それだけは揺るぎ無い事実だわ。
そんな王女に「傷」を付けてしまうわけにはいかない。それが「その身自身」であっても……「心」であっても……。
そしてわたしは一人になったの。
それが、最善の方法だと信じて……――――
――――そうしてミリアは、リーリエの正式な護衛騎士となるべく城の居館へと移って行った。
お父様とお母様は、わたしに護衛が付かない事に最後まで反対していた。それをわたしが強引に押し切った形となった。
代わりにやって来たのが父の護衛であるエルネストと、母の護衛であるジョルジュだった。
第一印象は、「対照的な者たちね……」だった。
エルネストは長身で、如何にも女性たちの視線を集めるような容貌をしている。彼は、わたしたちへ口元に笑みを浮かべ挨拶してくれた。
対してジョルジュは、人並みの見掛けとほとんど変化の無い表情……。けれど、その真摯な瞳からは彼の実直さが窺える。
彼らは、伯父様が多くの兵士の中から選んだ精鋭たちだ。彼らの兵士としての腕や才能を見込んでの任命だろう。それに、きっとお父様も騎士たちの選定に対して補佐していた筈だ。
この者たちは、きっと信用できる……!!
そう自分に言い聞かせながら、5人の離宮での生活が始まったのだ――――




